『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

コンテナ埠頭から市民の憩いの場まで、バランスの取れた伊万里港開発

 昭和30年代に入り石炭産業の低落が顕著になるとともに再び港の港勢も衰退するが、40年代の経済復興の時流に乗り、現在まで近代的な工業港、商業港としての整備が進められてきた。

 その活力を象徴するエリアが、港の東岸に位置する七ツ島地区のコンテナターミナルだ。巨大な造船施設と隣接する埠頭には平成9年から釜山との定期コンテナ航路が開設されており、貨物の取扱量も順調に伸びている。取扱貨物はバンコク、香港からのものも多く、4月からは、香港との航路も開設されさらなる発展が期待されている。コンテナを抱いた3機のストラドルキャリアが縦横無尽に走り回り、緻密なリレー作業のもと、クレーンから船に貨物が次々と積載されていく。 七ツ島地区を港の東岸に沿ってさらに車で15分ほど北上した地域には、コンテナターミナルとは対照的な風景が広がっていた。ここ福田地区は玄海国定公園の一角をなす、一大海洋性レクリエーション基地だ。美しく整備された砂浜は「イマリンビーチ」の愛称で親しまれている人工海浜だ。穏やかな波が打ち寄せ、夏に多くの海水浴客で賑わう。回り込んだ岩礁一帯もバリエーションに富んだ自然の地形を活用しながら遊歩道が整備されていた。付近の小さな入り江では牡蛎の採取もできるという。春先のこの季節、散策や潮干狩りに訪れた市民も多く、ゆったりとした時間が流れていた。工業拠点港としての開発と並行して、こうした総合的な親水施設の整備もバランスよく展開されている。

 港の東岸から対岸に目を転じると、伊万里港の本格的な整備が始められた久原地区だ。昭和40年代から木材港として開発が進められ、公共埠頭の後背地に多くの企業が進出している。現在でも輸入された原木の集散拠点として賑わいを見せている。かつて石炭の輸出港であった伊万里港だが、現在の久原地区は中国、インドネシア、ロシアから輸入された石炭を、佐賀市内の製紙工場の燃料として供給する機能も果たしている。

 西岸をさらに北上した浦之崎地区では新たな港湾開発に対応するため、廃棄物処理事業が進められている。港湾整備で発生した浚渫土を再利用して埠頭用地等を確保するプロジェクトだ。七ツ島地区のフローティングドックで製作、曳航される外周護岸は最終的には約3、000mに達する。現在二期工事が進められているが、将来87haに及ぶ広大な土地が現れることになる。

 河口部から放射状に広がる伊万里港は東岸と西岸に分割され立地的に制約を受けている。そうした地勢が将来的に物流機能に支障を来すことのないよう現在臨港道路の整備計画が進められている。計画の要は全長651m(海上部約420m)に及ぶ伊万里湾大橋だ。東西に向かい合う久原地区と瀬戸地区を結ぶ橋梁部が既に完成、四車線の道路部分の建設が進行中だ。シンプルでありながら風格を感じさせるこの橋は伊万里の新しいランドマークとなることだろう。

 この伊万里湾大橋から河口部に接近するにしたがって徐々に浅瀬になり、やがて伊万里川を通じて市街地に達する。この浅瀬が、江戸時代、陶磁器を求めて大坂や江戸から来港した多くの船でにぎわった「伊万里津」である。1647(正保4)年の『肥前一国絵図』に「伊万里津遠浅、舟大小五六十艚留る」とあり、当時から港湾としての機能が確立していたことが窺える。天保年間には河口から川筋を辿るように蔵が立ち並び、市街地一帯は「千軒在所」と呼ばれ、約80もの陶器商が軒を連ねていた。

町中には所々にかつての陶器の里の面影を残す町並みが残されている

七つ島は親水公園としても開放されている

イマリンビーチの人工海浜付近には磯遊びができる親水公園やマリーナも整備されている

七ツ島に隣接する瀬戸漁港区。今は漁船の姿は無いがプレジャーボートの係留施設として活用されている

現在でも木材や燃料の集散拠点としてにぎわう久原南地区の港

木材は伊万里港の取扱い輸入品目の約九割を占める

浦之崎地区の廃棄物処理用地

開通が待たれる伊万里湾大橋。臨港道路計画のメインプロジェクトだ