『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

奇跡的といわれた2年間の神戸港復旧

 しかし、悲しみに暮れている間もなく神戸港は復興に向けて立上がる。運輸省港湾局(当時)は震災1ヶ月後には「兵庫県南部地震により被災した神戸港の復興の基本的考え方」を策定。これを受けて神戸市も「神戸港復興計画」を発表した。斉藤課長はこう続ける。「震災直後に全国の港湾建設局から20名近い応援が集まり4月1日に震災復興建設部が組織されました。本局の機能を有する新しい行政組織がこの地に設置されたようなものです」。復興事業には日本埋立浚渫協会も調査から参画、全力を上げて被害状況をチェックし査定書が整備された。3月の末には第一次査定分に係わる最初の復旧工事が始まった。地質調査、測量、概略設計、詳細設計をしながら施工を進める。高さ、位置を定めるための基準点すら失われている状況のなか、設計から施工までが同時に展開された。コストもさることながら施工スピードが優先される事態だったという。これは前述した復興計画の基本方針の中に「概ね2年以内での港湾機能の全体的回復」と明記されていたことによる。我が国のコンテナ貨物の約30%を取扱っていた神戸港の機能停止は、阪神地域のみならず国全体の物流、経済に深刻な影響を及ぼすことは明らかだった。海外からの貨物が他港へ流出することを抑制するためにも一日も早い復旧が求められた。「開港以来130年かけて構築してきた港をわずか2年で作り替えるようなものです。しかし全国から寄せられた支援の声に『やったろうか!』という気持になりました」(斉藤課長)。
 奇跡的ともいわれた短期間での復興を現実のものとしたのはこうした心意気と、最先端の港湾土木技術の導入だった。復旧工事には被害の状況、規模に応じてあらゆる工法、技術が採用され、港湾土木の博覧会といった感があった。
 新港第5突堤の西側岸壁はケーソンが海側に傾いた状態になっていた。そこで採用されたのがPBS工法(PILES AND BLOCKS STRUCTURE)だ。既設ケーソンの前面に鋼管杭を打込みコンクリートブロックをはめ込んで固定し、裏込石を投入して上部を整える。旧護岸は地中に埋まった状態で岸壁を支えている。最も顕著に展開されたのが既設ケーソンの前に新たな護岸を築造するこうした前出し工法だ。中突堤はの旅客ターミナルの桟橋は早期運営の必要があることから急速施工が可能なジャケット式の構造物が用いられている。あらかじめ工場で製作された鋼製の桟橋を現場に搬入し、クレーンで据付けるこの工法が岸壁に採用されたのは国内では初めてのことだった。しかし櫛形の岸壁など前出しすると水域が狭くなってしまう場所ではそうもいかない。こうした場合は背後に液状化対策を施した後、既設ケーソンの据直しが行われた。また、新港の突堤は御影石で造られた岸壁で、その歴史的な港湾構造物の価値を後世に残すため、時間を要するものの従来の御影石を再利用して施工された。そんな中、摩耶埠頭に建設されていた耐震強化岸壁の被災は軽微なもので、震災直後から供用が可能だったという。
 神戸港のいたるところで杭打機の音が響き渡り、騒音も発生したが市民の理解を得ながら工事は進められた。市民、行政、業界が一体となって取組んだ結果、神戸港は2年で見事に蘇った。斉藤課長は「当時の日本の最先端の港湾土木技術がここ神戸に集結しました。行政のバックアップや市民、港湾土木業界の協力があったからこそ様々な工法を採用して、これだけの復旧工事が展開できたんです。やりがいのある復興事業でした」と語った。

崩壊した状況を今に伝えるメモリアルパーク

神戸港の復旧工事

崩壊した護岸の前面に新たな護岸を造る

桟橋式の前出し工法

鋼管杭等による前出し工法

復旧事業を展開しながら荷役も再開されていた

神戸港のいたるところで鋼管等を打設する鎚音が響いていた