『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

太平洋の宝石、東洋のガラパゴス

 手塚課長が父島を案内してくれた。「小笠原は東洋のガラパゴスに例えられるほど動植物に固有種が多く、太平洋の宝石といわれるほど美しいところです」と語る。その言葉の端々に島に対する深い愛着がにじむ。この島だけに生育するタコノキ、ムニンツツジなど植物の約40%は独自の進化を遂げてきた固有種だ。「乾性低木林」に覆われた山々は南洋の島ならではの趣がある。「母島の山は『湿性高木林』が主体でまた違った風景なんですよ」。お話をうかがいながら山の茂みをかき分けていくと洞窟のようなポイントに辿り着いた。旧日本軍の塹壕跡だ。赤錆びた巨大な高角砲が今も太平洋を睨んでいる。周辺には旧陸軍の星のマークが印された茶碗も散乱している。「あまり知られてはいませんが父島だけでも30近い『戦跡』がある。ここも間違いなく戦場だったんです」。課題はあるが、こうした島の姿も後世に伝えていくべきなのかもしれない。
 夕方、二見港の集落にあるスーパーは客でごった返していた。この日ばかりは新鮮な食品や日常品を求めて人が集まる。「今日は船が着いたから商品も売るほどあるの。週に一度は大繁盛するんだよ」と、レジをさばくおばあさんも元気一杯だ。村の人たちは皆大らかで島を心から愛している。船が島を離れる時もボートで並走し、大きく手を振って見送ってくれる。
 「おがさわら丸」が竹芝桟橋を目指して東京湾に入った。島の港とは対照的な巨大港湾の壮観に目を見張る。しかし、思えば日本も島国だ。四方を海に囲まれている点では小笠原の島々と違いはない。エネルギー資源から生活物資まであらゆるモノを供給する「港」の重要性を小笠原の港が改めて教えてくれた。

父島、洲崎付近には旧日本軍の飛行場があった

母島、沖港を護る外防波堤

入港日の夕方、スーパーは多くの買い物客でにぎわう

多数の固有種に覆われた父島の森はまさにジャングルだ

出港前夜の二見港

写真/西山芳一

COLUMN

小笠原が飛躍的に近くなる!TSL(echno uper iner)

 昭和47年東京〜父島間に民間航路による定期船「椿丸(1,040t)」が就航した。待ち望まれた定期船だったが所要時間は44時間、足掛け3日間の長旅だったという。翌年には「父島丸(2,614t)」に引き継がれるがそれでも38時間を要した。昭和54年、初代「おがさわら丸(3,553t)」によってようやく30時間を切り、現在の「おがさわら丸(6,679t)」によって小笠原諸島は25時間30分までに近づいた。新造船の就航、それは単に交通手段の向上、観光誘致だけではなく、緊急時の物資輸送や傷病者の搬送等、島民の生活を大きく左右する課題でもある。そして今、新たな輸送手段の実現が目前に迫っている。次世代の超高速船TSL(テクノスーパーライナー)の就航だ。
 TSLは双胴型船体を空気圧により海面から浮上させ、ガスタービン駆動のウォータージェットで推進する超高速船だ。船体には耐食アルミニウム合金を使用し、軽量であらゆる荷重に充分耐えられる構造を有する。時速70km、全長140m、全幅30m、総トン数14,500t、これまで25時間30分かかっていた東京〜父島間は17時間程度に短縮される。乗客742人を予定、現在週1便の「おがさわら丸」の定員は1,031名だが、週2〜3便に増便されることによってのべ定員数も増加する。総t数は「おがさわら丸」の2倍以上になることから小笠原の港湾整備も無関係ではない。就航にともないエアクション機能を持つ防舷材が敷設された岸壁整備も概成した。世界でも類を見ない高速船、TSLの就航予定は平成17年、島民の夢が一歩前進する。

小笠原航路に就航するTSL
(株)テクノ・シーウェイズ