『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

古くて、新しい鳥取港

 港湾事務所のある千代地区から鳥取港を巡ってみることにした。千代地区は千代川改修後に造成され、昭和61年から63年にかけて完成した埋立地だ。平成2年から供用が始められ25tのクレーンと2棟の倉庫が整備されている。接岸した貨物船から砂や石材が降ろされ、あっという間に小高い山を作っていく。ここはいわば港の物流拠点だ。鳥取港の将来的な課題の一つに物流の活性化がある。平成11年には計画を上回る160万tの貨物量を達成し、近年、観光客船の入港も果たしてはいるが、物流港としての理想的な取扱量をこなしているとは言い難い。定期コンテナの誘致、大型客船の恒常的な寄港などを模索する鳥取港にとって千代地区は要となるエリアだ。

 千代地区の東には1kmを超える緑地が伸び、その向こうは一級河川の千代川、緑地に沿って南に向かうと港の最深部だ。湖山川に架かる賀露大橋付近には陸側、港側双方に数えきれない小船が浮かぶ。橋のたもとのボートパークの桟橋にも漁船やプレジャーボートが整然と係留されていた。

 ここから北西に広がる一帯が賀露地区になる。物揚場と岸壁にそって走る道路1本を挟んで、商店や飲食店が港に向かって軒を列ねている。鳥取港の歴史はここから始まったといっていい。かつては対岸の千代地区は存在せず、目の前は千代川の河口、北側には沖合に伸びる砂州が見えていたはずだ。付近の家並みには港町、漁師町の風情が残されている。一歩山側に足を踏み入れると迷路のような小道が入り組んでおり、どこか懐かしい佇まいを感じさせる。

 港の西側に広がる西浜地区は鳥取港でも一番新しい港区。西浜の漁港では毎日早朝から威勢のいいセリの声が響き、それが落ち着いた頃には、鳥取ならではの新鮮な魚介を求める多くの観光客、市民でにぎわうようになる。「マリンピア賀露」と呼ばれるこの地区では松葉ガニを筆頭にカレイ、ハタハタ、イカなどの魚介を心ゆくまで楽しむことができる。今年オープンした「かにっこ館」は松葉ガニが生息する深海の様子や海洋生物を常時紹介しており、小さな水族館といってもいいほど充実した施設だ。観光ゾーン西浜地区は、物流拠点の千代地区と対極をなす鳥取港の新しい顔だ。

 隣接する賀露海岸は西浜地区の開発によって姿を消した海水浴場の再生を目指して整備された。美しい砂浜、ウッドデッキがリゾート気分を盛り上げる。近隣の企業、自治会が毎日のように自主的な清掃をしているため、ゴミひとつ落ちていない。こんな風景にも市民の海、港に対する深い愛着が伝わってきた。

漁師町の面影が残る賀露地区

威勢のいい仲買人の声が響く西浜地区の市場

西浜地区では新鮮な海の幸が手頃な価格で手に入る

松葉ガニや深海生物の生態が観察できる西浜地区の「かにっこ館」

賀露海岸は市民の憩いの場

3万年の歳月が生み出した鳥取のシンボル「鳥取砂丘」

写真/西山芳一

COLUMN

自然の摂理に挑んだ河口付替事業

 江戸期の絵図をみると千代川河口の「賀露湊」は、鳥ケ島が波浪や千代川の流れに影響して、対岸の砂州の形成を促し、川筋は上流から湖のように広がり、左岸の岩礁がこれを誘導して格好の船溜りとなっていたことがうかがえる。しかし海象と河川流の拮抗する砂州はその景観を季節ごとに変化させ、船の安全な航行を脅かしていた。明治以降、突堤や導流堤によって安定した築港に向け懸命な努力が繰り返されるが、その都度、別のポイントが影響を受けて形状を変え、「河口」は生き物のように港を翻弄し続けた。ここに港湾土木における河口処理の難しさがある。
 昭和50年にまとめられた「千代川河口付替事業計画」は、港湾と河口を共存させる誘導水路方式から河口付替方式へと大きく発想を転換したものだ。洪水を直接海域へ排出することで防災効果も果たしている。この事業によって鳥取港は河川上流から流れ込む土砂もなく、安全な水深を確保した重要港湾として地域発展の一翼を担うこととなった。

江戸期の賀露港

昭和50年代初頭の河口部