『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

海上都市「みなとみらい21」

 「ミナトヨコハマ」の代名詞である山下公園や中華街といった異国情緒あふれるスポットに加え、「近代的な国際港湾都市」という横浜のイメージが定着しつつある。その象徴となっているのが中央地区、新港地区にまたがる「みなとみらい21」だ。昭和58年に事業がスタートしてから約20年を経た今、海上に生まれた巨大な街に人々が集い始めている。最も新しい横浜の顔について横浜市港湾局臨海事業部の中島泰雄課長と矢野徹係長にお話しを伺った。「みなとみらい21事業には明確な3つの目的が示されています。横浜の自立性の強化、新しい港湾機能への転換、さらに首都機能の分担です」(中島課長)。 本格的な事業着手以前の昭和40年代から、コンセプトを構築する過程で、事業の課題も整理されてきた。3つの事業目的について中島課長はこう続ける。「横浜の都市機能は関内・伊勢佐木町地区と横浜駅周辺に二分されていました。そこで両地区に挟まれた桜木町周辺のエリアに息吹を与え、横浜の経済基盤を一体化して自立性を強化する。また、市民が居住、就労しながら海に親しむことができる新しい港づくり。さらに、東京に集中した首都機能を分担するための最大の受け皿となること。それが『みなとみらい21』の事業目的です」。

 桜木町の駅を海側に降りると右手は新港地区、左手が中央地区だ。かつてこの一帯は広大な造船施設で占められていたというが、平日でも人通りが絶えない賑やかさからは当時の面影は感じられない。

 平成14年4月、新港地区の赤レンガ倉庫が「赤レンガパーク」とともにオープンした。ヨコハマのシンボルが生まれ変わって市民に解放されたのだ。2棟の倉庫内にはショップやライブハウス、レストランホール、などが並び、多くの来客者で賑わっている。内外の壁面は赤レンガがそのまま活かされ、暖かな感触にホッとする佇まいだ。敷地内には旧横浜税関跡の遺構なども保存され、歴史と景観に配慮して整備されている。海に面したエリアは緑地と親水護岸が憩いの場として人気を集めている。夕暮れ時、美しくライトアップされた倉庫街から、鉄道跡をそのまま活用した汽車道が格好のデートコースになっている。

 隣接する中央地区は平成に入ってから活発に動き始めた。平成3年、「パシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)」、「インターコンチネンタルホテル」が相次いで開業したのを皮切りに、日本一の高さを誇る「横浜ランドマークタワー」や「クイーンズスクエア横浜」など、近代的な高層ビル群が次々と姿を現した。現在、この地区で最初の住宅施設となる超高層マンション「M.M.タワーズ」の建設が進められている。地区の衣食住を担う大型商業施設は既に営業を開始している。美術館、ホール、病院もこのエリアに集約された。また海辺はそのほとんどが「日本丸メモリアルパーク」、「臨港パーク」、「運河パーク」などの緑地、公園として解放されている。近代的でありながら、ウォーターフロントのうるおいとゆとりを重視した街づくりが展開されている。市民の「足」も確保される。「交通網の整備として『みなとみらい21線』の開業が平成16年2月に予定されています。東急東横線が横浜からこの地区の地下に回り込んで元町に達する鉄道です。海辺をつなぐシーバスなどの水上ルートも充実していますよ」(矢野係長)。

 日本の経済、産業、文化を支えて続けてきた横浜港。ここに次世代の国際港湾都市が誕生する日は目前だ。

鉄道のレールやトラス橋を活かした散策路「汽車道」からは都市景観が楽しめる

「みなとみらい21」全体では3,000戸、1万人の居住を確保する予定だ

夜空に浮かび上がる「みなとみらい21」の夜景も横浜の名物になった

横浜市港湾局臨海事業部事業計画課 中島泰雄課長(左)と矢野徹係長

中央地区の「臨港パーク」を始め多彩な親水空間が数多く整備されている

アミューズメントゾーンとして再生した赤レンガパーク

写真/西山芳一

COLUMN

「大さん橋」を支えたスクリューパイル

 山下公園に程近い「大さん橋国際客船ターミナル」は、1894(明治27)年の建設以来一世紀以上の長い間、横浜の歴史を見守り続けてきた。しかし、老朽化のため再整備が必要となり、昭和63年度から「さん橋」部分の工事に着手、平成12年からは、新しい客船ターミナル部分の整備を進め、昨年6月1日に先端部の屋上広場と大さん橋ホールを除いた施設の大部分が供用を開始した。9月20日からは24時間オープンの屋上広場も供用が始められている。地下1階地上2階建、最高高さ15m、建物の長さ約430m、幅約70m、7万tクラスの旅客船が同時に2隻接岸可能な国内最大級の客船ターミナルだ。ターミナルの本体は、山下公園側からの眺望や見通しを妨げない高さに抑えられ、接岸した船を引き立てる景観に配慮して設計された。屋根面は板材を敷き詰めた緩やかな曲面から構成され、建物には階段がなく、スロープやエレベーターによって各階を昇降できる完全なバリアフリー対応だ。出入国する船客の通関検査、パスポートやビザの審査、伝染病や動植物の検査など大型客船の入出港を目的とした施設だが、横浜の新しいスポットとしても人気を集め、多くの人が散策に訪れている。

 現在の大桟橋の前身である鉄桟橋は、海底にねじり込まれた約500本の鉄管の杭に支えられていた。鉄管はイギリス製で先端には螺旋状のシューが取り付けられており、その形状からスクリューパイルと呼ばれた。直径約32cm、肉厚約3cm、長さ約16〜20mのスクリューパイルを地盤にねじ込むようにして打設したという。大型客船が接岸する際に、桟橋には10万tを超える海水が押し寄せるという計算もあるが、この鉄杭は約100年もの長きにわたって膨大な水圧に耐えてきたことになる。

 今回の再整備事業で掘り出されたスクリューパイルは「みなとみらい21」の日本丸パークに展示され、明治期の高度な港湾土木技術を今に伝えている。