『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

近畿経済圏を支える港として

 終戦とともに軍の施設は転用が図られ、東港、西港は一体となって商港と漁港の機能を合わせ持った港として新しい時代を迎える。

 昭和26年、重要港湾に指定されたのを皮切りに、同33年に日ソ定期航路の寄港地となり、45年には小樽航路に大型高速フェリーが就航した。港湾整備も進められ、物資の流通港として港湾機能の充実が図られてきた。

 京都府港湾事務所の渡部優建設課長と田畑敏和管理課長にお話しを伺った。「東港は国内物資の流通拠点として機能しています。自衛隊の施設が集中しているのも東港です。西港は昭和33年に北洋材を積載した旧ソ連船が入港して以来、対岸諸国との国際貿易港になっています。木材が至るところに荷揚げされる様子が一番西港らしい姿ですね」(田畑管理課長)。最盛期の昭和50年代と比べ取り扱い量が減ったとはいえ、確かに貯木場は無数の木材で埋まっている。

 「現在進行中の主な港湾整備は和田地区の埠頭の造成です。この直轄事業は国土交通省舞鶴港湾工事事務所と共同で展開しています。水深−14m、5万t級の岸壁が完成すれば、大型の船舶にも対応でき、地域産業の生産性向上が期待できます」(渡部建設課長)。岸壁の西側1バースにあたる全長280mの岸壁は、昨年9月に最終ケーソンが据え付けられ、早期供用を目指して整備が進められている。「埠頭が完成しても港周辺の道路が現状のままでは流通港湾として完璧とは言えませんから、現在、臨港道路の整備も進めています」(田畑管理課長)。舞鶴港のセールスポイントのひとつとして京阪神とのアクセスの良さがあげられる。かつて神戸、大阪、京都まで一般国道で3時間近く要していた陸送時間が、舞鶴若狭自動車道、京都縦貫自動車道等の高速道路の整備により2時間弱に短縮された。さらに未開通区間が開通すれば、1時間半という身近さになる。そのためにも高速道路と港を結ぶ臨港道路の整備は必要不可欠だ。京阪神エリアと対岸諸国との結節点としての機能を舞鶴港が担っていく。

 「人と海とのふれあいを創出することも港の役割ですから、港湾緑地の整備も進めています。市民からもベンチを設置してほしいという小規模なものから大型施設の要望まで、港湾整備に対する意見が寄せられるようになりました。舞鶴港を語るとき、軍港や引揚げ港としての史実ももちろん欠かせませんが、ここは天橋立にも近く、元来自然に恵まれた美しい港です。市民や観光客の皆さんにもそんな港の姿を知ってもらいたいですね」渡部建設課長は最後にそう語ってくれた。

京都府港湾事務所 渡部優 建設課長

京都府港湾事務所 田畑敏和 管理課長

西港は今でも木材の集散基地だ

造船業も舞鶴の基幹産業だ

西港には大正期の護岸も残る

開発が進む和田地区

市民の憩いの場、しおじプラザ