『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

小学校の敷地に残る栄華を極めた仏教文化

 一乗院の跡は現在、小学校になっている。明治2年の廃仏毀釈の際、廃寺となってしまったのだ。校庭のかたすみに立つ仁王像は竹やぶにうち捨てられていたのを村の青年たちが拾ったもの。高さ2m70cm、胴回り2m40cmの堂々たる風格は、当時の寺の大きさを物語る。

 校舎の裏手には一乗院の敷石と思われる遺構が保存されている。小学校に通う子どもたちは「担任の先生はいつも『もし、この寺が残っていたら日本の宝だったのに』っていってる」と教えてくれた。「歴史民俗資料館」にはここから出土した器などが保管されている。ほとんどのが中国製で、上品な青緑の地に牡丹の花の模様が浮き上がる瓶、鮮やかな五彩、三彩のやきものなど、高い技術の工芸品だ。坊津は当時、正倉院の宝物クラスの進んだ大陸文明に、もっとも早く接することができた最先端の地だったのである。

 さらに坊津は、今から約1200年前、日本の仏教の発展に尽くした鑑真が上陸した港でもあった。坊津から太宰府を経て奈良に上った鑑真は唐招提寺を建て、日本全国から集まってきた僧の指導にあたった。それまで遅れていた日本の仏教は鑑真によって初めてインドや中国と同じレベルに達した、と言われている。

 鑑真は唐から経典や書、漢方薬、ガラス瓶、古代レースなど唐の高度で華やかな文化を伝えるものを持参していた。それだけでなく、画家や金工などすぐれた技術を持つ弟子たちを同行している。これによって日本でも医学、建築、美術工芸などが飛躍的に進歩することになったのである。

 また中国では赤(朱)は「難を逃れる色」とする言い伝えがあり、遣唐使船が赤く塗られていたのもそのためだ、という。還暦になると赤いちゃんちゃんこを着たり、お彼岸に赤飯を炊いたりするのも中国文化の影響らしい。身近なところにも坊津から入ってきた大陸文化が息づいているのだ。

 秋目には鑑真上陸を記念する碑と、記念館が建てられている。「鑑真記念館」は平成4年、地元のお年寄りの寄付がもとになって建てられたもの。唐招提寺にあるものと同じ技法で作った鑑真の座像や、鑑真の生涯を描いた「東征伝絵巻」の写真が展示されている。坊津に鑑真が滞在したのは数日だと言われているが、多くの苦難を乗り越えて日本文化の発展に寄与した人物ゆかりの地であることを坊津の人は誇りにしている。

 坊津には鑑真だけでなく、貿易にたずさわった唐人たちも多数住んでいた。1635(寛永12)年、江戸幕府が長崎を貿易港に指定してからは唐人たちも長崎へ移ってしまったが、そのころの町と墓のあとが坊津に残っている。長年町役場に勤め、社会教育に取り組んできた小原武典さんが「ここには林(りん)、交易場(こうえきば)、入来(いりき)といった人名が多いんです」と教えてくれた。いずれも、唐との交流から生まれた名前だ。

 小原さんは子どものころ、沖縄や台湾の船が水をもらいに坊津に寄港していたのを覚えているという。家庭の井戸から汲み上げた水を積んで出航するのだ。「坊津はセールスマンの天国なんですよ」という話もしてくれた。誰かが訪ねてくると、顔見知りでなくても家に上げてお茶を出したりするのだという。取材に訪れた私たちにも必ず、すれ違う人みんながあいさつしてくれた。かつて遠く海を渡ってきた人々もこうして気軽に受け入れ、もてなしていたことだろう。

仁王像の隣にある「頌徳碑」は鎌倉時代、日本で最初の行舟約法廻船式目(海上法規)を草案した飯田備前守西村や、慶長年間(1596−1614)に海外貿易で活躍した島原掃部助宗安の徳を称えるために建てられた。いずれも海上交通の発展に大きな役割を果たした人物だ

鑑真が数々の苦難の末、上陸した秋目の入江。たおやかな天然の良港に漁船が浮かぶ。ここは映画「007は二度死ぬ」のロケにも使われた

天正10(1582)年に島津十六代義久公が発行した朱印状。のちに徳川家朱印状の見本になったといわれる。海上交通における坊津の先進性を示す史料だ(坊津町歴史民俗資料館所蔵)

一乗院跡から出土した沈花牡丹文青磁瓶。元時代(1271年ごろ)のものではないか、と言われている。当時の中国の技術がいかに高かったかをうかがわせる逸品(坊津町歴史民俗資料館所蔵)

小学校の校庭に立つ仁王像は一乗院の遺物。手や顔が欠けてしまっているが、力士のような力強さを感じさせる

プールなどがあるレジャー施設「風車村」の展望台からの眺め。ここからは東シナ海を一望できる

鎖国直前まで唐人が住んでいた「唐人町跡」。近くには唐人たちの墓を集めた「唐人祠」もある

秋目の高台に建つ鑑真上陸記念碑と鑑真記念館。記念碑ははるか海の彼方、鑑真の故郷を向いて建てられている

唐人町跡にあった石畳。この石は「赤水石」と呼ばれ、石垣や石橋、防波堤などにも使われている