『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

 平成5年7月12日午後10時17分、奥尻島は日本海に浮かぶ木の葉のごとく大きく揺れた。
「北海道南西沖地震」の襲来である。
崩落した山肌、黒煙をあげる港町、テレビに写し出された悲惨な映像は今でも記憶に残っている。
あれから10年、島は町民の復興の誓いと決意を礎に見事に蘇っていた。
生まれ変わった港、北海道ならではの大自然、10年後の奥尻は新たな魅力にあふれている。

奥尻港(写真:北海道開発局函館開発建設部)

奥尻島

自然の猛威にさらされた島

 マグニチュード7.8。「北海道南西沖地震」は日本海側における観測史上最大級の地震だった。この大自然の猛威により、人口4,000人ほどの美しい島は、壊滅的ともいえる甚大な被害を被った。死者172名、行方不明者26名、重軽傷者は143名を数え、被害総額は664億円に達した。

 大きな揺れもさることながら、港をはじめとする海岸線を襲った津波の被害も甚大だった。島の西側では31.7mという今世紀最大級の大波が打ち寄せたところもある。青苗岬でも最初は西側から、そのあとは岬をまわり込むように東側へと、複雑な動きを見せながら2m以上の津波が1時間に13回も襲来したという。

 その時、奥尻町企画振興課の長崎武巳係長は職場の仲間と市街地の店で食事をしていた。「突然、立ち上がれないほど店全体が大きく揺れました。取急ぎ役場へと走ったのですが、暗いながらも町中の被害の大きさがすぐに実感できました」。次々と職員が駆けつけ、被害情報の収集とその確認に役場内は一挙に喧噪に包まれる。不眠不休の一週間の始まりだった。「翌朝の港内を見て息を飲みました。津波で流された家屋の残骸で海面が見えない。岸壁も崩れ、とても船が接岸できる状態ではありませんでした」。しかし奥尻はその10年前にも『日本海中部地震』を経験している。「その教訓から奥尻港では津波を想定した防波堤が整備されていました。残念ながら南西沖地震はその予想を上回る規模でしたが、もし防波堤が未整備だったとしたら、被害はもっと大きくなっていたかも知れません」。奥尻港の被害を最小限に押さえた防波堤も、南西沖地震直後は力つきたように崩壊してしまったという。

奥尻島の玄関、奥尻港のフェリーふ頭

人工地盤が青苗地区の町と港を護る

津波による被害が大きかった青苗地区の防潮堤

島の漁業拠点、青苗漁港