『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

スクールボートで元気に通学する子どもたち

 もうひとつ、笠岡諸島の暮らしを支えている独自の船がある。学校のない島に住む子どもたちのためのスクールボートだ。笠岡諸島では高島から神島(こうのしま)の小中学校へ通う子どもたちが乗る「たかしま号」がある。

 スクールボートが出ている島のひとつ、高島にも小学校はあったのだが、生徒数の減少に伴い昭和55年に神島にある笠岡市立神島外小学校に統合された。以来、高島に住む小中学生は朝1便、午後は授業の時間割やクラブ活動の終了時間にあわせて2〜4便出るスクールボートで登下校している。

 私たちが同行させてもらったのは小学校低学年が高島へ帰る「たかしま号」。この便には竹田純平くん、延彦くんの兄弟とその従兄弟航平くんの3人が乗る。高島でも3人でいっしょに遊んでいるという。スクールボート専用の桟橋は、学校から子どもの足で10分ほどのところにある。授業が終わって、神島に住む子どもと一緒になってにぎやかにおしゃべりしながら歩いてきた。桟橋で友だちに「バイバーイ」と大声で手をふり船に乗り込む。

 高島へは5分ほどで着くのだが、彼らは船の中でも元気いっぱい、一瞬たりともじっとしていない。船長さんのほかにもう一人乗り組んでいる乗務員のおじさんは、危険だと判断すると厳しく叱る。子どもたちに「おじさん、恐いから嫌い」と言われても、安全が第一と目を光らせる。

 「たかしま号」船長の山本軍二さんは、昭和55年に就航以来20年間ずっと、この船の運航に携わっている。「子どもが小学校に入学してから中学を卒業するまで毎日、朝夕この船で送迎しますからもう家族と同じですね」。山本さんも安全にはとくに気を使うという。天気の悪い日や子どもたちが走り回っているときなどはとくにケガなどしないよう、さりげなく神経をとがらせる。「ここの子どもたちは小さなころから船に乗っていますから、みんな慣れていますけど」。波の穏やかな瀬戸内海ということもあり、「欠航することはほとんどない」と、山本船長は胸を張る。こうして船とそれを操る大人たちに守られて、島の子どもたちは元気に育っていく。

 進学などで一度は島を離れても、大人になって戻ってくる人もいるそうだ。山本船長が送迎した子どもたちの中でも3人が島に帰ってきて漁業や民宿を経営している、という。彼らは港と船が支える島に、瀬戸内のやさしい眺めに人一倍愛着を感じているに違いない。

神島外小学校の子どもたち。児童数は多くはないが、そんなことを感じさせない元気さだ

高島港の桟橋を勢いよく駆け上がってくる学校帰りの子どもたち。家に帰ったあとも犬を散歩させたり、自転車で走り回ったりして三人なかよく遊んでいた

高島に今も残る旧高島小学校の校舎。木造平屋のかわいらしい建物だ。今は公民館の付属施設として使われている

白石島海水浴場ではウインドサーフィンやヨットを楽しむ人の姿が。近くに国際交流ヴィラがあり、外国人も多数来島する

子供たちの成長を見守っているスクールボート「たかしま号」

COLUMN

獲るだけでなく育てる漁業を「海洋牧場パイロット事業」

 高島と白石島の間の海域では平成3年度から「海洋牧場パイロット事業」が展開されている。牧場で家畜を育てるのと同じように、海でクロダイやキジハタなどの魚を育てようというプロジェクトだ。かつては豊かな漁場だったこの海域で、かつての乱獲などによって魚の数が減ったことに危機感を感じた人々が考え出した。

 この海域の底には、魚を成長させるための魚礁が沈められている。魚礁には魚の種類や成長の度合いによっていくつか種類がある。ここに別の施設で育てた稚魚を放流し、敵に襲われる心配の少ない魚礁で成魚になるまで育てる。さらに一日に数回、水中スピーカーで電子音を流し、それにあわせて餌をまくこと(音響給餌)で魚を餌付けする。この電子音に反応して条件反射を起こし、多くの魚が水面に集まる様子が確認できた。

 水中スピーカーはロープなどで海の中に吊されている。時間になるとプー、プーという電子音がして、餌がまかれる。地上にいてもかすかに音が聞こえるが、水中ではもっとはっきりと聞こえるそうだ。その音がしただけで、餌をまかなくても魚がスピーカーの周囲に集まってくるのが見える。初夏から秋口には、餌をまくと30センチ近いクロダイがばしゃばしゃと水面を跳ねる。これまでの調査でも、音響給餌が効果的であることを示すデータが確認された。単に獲るばかりではない、積極的に魚を育てるこの事業は日本の漁業の将来を先取りしている。

66月に海辺で行われる三浦漁火能。漁船の明かりがあでやかに舞を映し出す

静かな唄声にあわせて少女たちが舞う「チャッキラコ」にはたくさんの観光客が訪れる