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消波ブロックの設置が進む八戸港(2011年8月撮影 提供:八戸港湾・空港整備事務所)
昨年3月11日の東日本大震災で被災した港湾施設の復旧・復興工事が本格化してきた。国土交通省が直轄工事として実施する各被災港湾は10月いっぱいで災害査定をほぼ終了、今後復旧・復興工事が順次発注される。国土交通省は2013年度末までに、各被災港湾の機能をおおむね回復させる方針で、今年から来年にかけて各被災港湾で復旧・復興工事の本番を迎える。先行して復旧・復興工事が進む八戸港(青森県)、仙台塩釜港仙台港区(宮城県)、鹿島港(茨城県)の3ヵ所の現場を訪ねた。
(日刊建設工業新聞社)
安全かつ作業効率の高い施工方法を検討
●ナローマルチビームが活躍●
昨年3月11日に発生した東日本大震災では、八戸港にも4.2m(最大8.03m)以上の津波が襲来した。揺れによる被害は軽微だったものの、この津波により防波堤に被害が集中。特に八太郎地区の総延長約3,500m北防波堤の被害が甚大だった。北防波堤は陸側から「基部」(延長約1,250m)、「中央部」(延長約1,550m)、「ハネ部」(延長約700m)で構成。このうち、中央部とハネ部のケーソンの約4割が転倒し、いずれも港内側に崩れ落ちた。転倒ケーソン以外の防波堤部でも消波ブロックの飛散、沈下、基礎マウンドの洗掘が発生した。
国土交通省東北地方整備局八戸港湾・空港整備事務所は、発災翌日の3月12日から被災状況の調査を開始。最初は目視による調査を進めるとともに、青森県とともに臨港地区内のふ頭用地や道路の啓開作業などを進めた。発災後約1週間が経過した18日には、測量などを含めた本格的な調査を実施。並行して港内の啓開作業や復旧工事を進めるために、ナローマルチビームによる支障物の調査や被災したケーソンや基礎マウンド、消波ブロックの飛散状況などを詳しく調べた。
●新規ケーソン製作は74函●
啓開作業はまず浮遊物を取り除き、その後ナローマルチビームで海底に沈んでいる支障物の位置を確認。そこに赤旗を立て、潜水士が実際に潜って支障物の形状を調査し、順次引き揚げていった。「震災直後は水が濁っていて視界が無く危険なため、潜水士が潜り、ロープを使い、赤旗を中心に半径1m→2m→3mと円を描く様に順次安全を確保しながら位置と沈んでいるものを確認した」(八戸港湾・空港整備事務所の齊藤節文副所長)。港内の啓開作業は青森県などと地域を分担して実施。同事務所が引き上げた支障物だけでも1,100個を超えた。啓開作業を進めながら、岸壁や航路の水深などの情報を関係者に知らせ、次々と使用可能な岸壁を増やしていった。支障物の引き揚げは昨年5月末にはほぼ終了した。
一方、被災した防波堤の調査も同時に進めた。3月下旬から、北防波堤の中央部の災害査定資料づくりに着手。被災調査結果などから被災断面の作成や数量算出、施工計画・作業スケジュールなどの検討を進めた。
中央部とハネ部の被災ケーソンは全部で102函。このうち、中央部は60函、ハネ部が42函。「従来型のケーソンを製作し直すと、102函が必要となるが、施工の効率性やコスト縮減の観点からケーソン1函当たりの延長を長くし、中央部で40函、ハネ部で34函を新たに製作し、据え付けすることにした。」(八戸港湾・空港整備事務所の神山豊所長)。また、使えるものはできるだけ活用する方針で、横に移動しただけのケーソン1函は調査の結果、再利用が可能と判断し、そのまま利用することにした。課題となったのは、被災したケーソンの撤去。安全かつ作業効率の高い撤去方法を検討したほか、上部工は無筋コンクリートであり陸上で砕き、砂と混ぜ中詰材などに利用することも決めた。


【写真上】八太郎地区の北防波堤中央部での復旧工事 【写真下】北防波堤の被災状況。 提供:八戸港湾・空港整備事務所








●6月10日に第1号復旧工事を契約●
復旧・復興工事は、地元から港内の静穏度を早急に確保してほしいという強い要望があったため、工事の施工中でも静穏度をまず向上させる方法を検討した。その結果、中央部のケーソン倒壊箇所に消波ブロックを積み上げ、ブロック堤を暫定的に整備し、その後被災ケーソンの撤去、新規ケーソンの据え付けを行うことにした。具体的には、倒壊したケーソンを存置したままで、まず既存防波堤の位置よりも港外側に消波ブロック堤を築堤。ある程度港内が静穏になってから被災したケーソンを撤去。新規に製作したケーソンの据付後に上部コンクリートを打設。最後に消波ブロックの据直しを行う手順とした。
消波ブロックの製作・据付は早期に実施するため、災害査定終了後、直ちに契約手続きに着手し、昨年6月10日には消波ブロックの製作工事の第1号工事の契約を行った。これは、どの被災港湾よりも早いものだった。神山所長は「八戸港は津波による死傷者が少なく、当事務所も大きな被害がなかった。このため、災害査定の準備がどこよりも早くできた」という。
●港内静穏度を考えブロック堤(中央部)を築堤●
消波ブロックは再利用できるものは利用し、新たに製作したのは、約5,600個となった。被災した消波ブロックの撤去などは昨年7月中旬から現地で工事が開始された。8月中旬には新たに製作した消波ブロックの運搬・据付作業が始まり、施工業者の懸命な努力もあり、据付工事2件で1日200〜300個程度の出来高を確保するなど、順調に進捗した。消波ブロック堤の築堤工事は昨年11月上旬にすべての据え付けを完了した。
被災したケーソンの撤去工事2件や全体のケーソンの製作工事の一部である3件の本体工事は昨年9月までに発注している。ケーソンの製作は、同事務所が管理する東洋一のドック「むつ小川原港ケーソンヤード(154m×56m×13.5m)」で10月中旬から製作に入っている。一方、被災したケーソンの撤去工事も11月から現地で工事を進めている。「むつ小川原港ケーソンヤードでのケーソンの製作は1件の工事で12函、本年度内に2件で24函を製作する。また、八戸港のフローティングドッグでも本年度内に4函を製作する。これらケーソンの据え付けは今年の4月中旬くらいになる見通しだ」(神山所長)。
中央部の防波堤は、従来のものとほぼ同規模で整備される。ただ、粘り強い構造にするため、関東地方整備局横浜港湾空港技術調査事務所で模型実験が進められている。「粘り強くするために、どのような対策を加えるかは、この実験結果を待って決めるが、現在進めている工事には手戻りがないようにしたい」(神山所長)。また、今後、海洋での工事が増えてくるため、工事の安全確保に向け、地元関係者らと「水域利用調整会議」を昨年10月に立ち上げ、工事区域や船の運航規制などを調整している。
●安全確保ができる工事ロット●
神山所長は「とにかく安全対策に万全を尽くしたい。そのために、どのような工事規模が良いのか、あるいはどのようなタイミングで工事発注をすれば良いのか、じっくりと考えた上で進めていきたい」という。
北防波堤の中央部は2013年度末までに、完成させる方針。並行して、津波で海底が掘れた部分(水深16mが30mへ)に航路浚渫の土砂を活用し埋め戻す工事なども進めていく方針だ。
■八戸港復旧計画と施設配置図■


青森県・八戸港復旧、復興方針から作成
24時間3交代制で工事を完成

仙台塩釜港仙台港区の高砂2号岸壁の復旧工事の様子(2011年11月撮影)
東北唯一の国際拠点港湾である仙台塩釜港。国際物流の中核である高砂2号(水深14m)の暫定供用部の工事が完成した。その陰には、東北の経済復興のために早期復旧を願う地元企業の声と、それに応えるために24時間体制でわずか4ヵ月という短期間で完成させた復旧工事があった。
代替え杭を打って基礎部を補強
仙台港区は東北で唯一の北米航路寄港地で、2010(平成22)年の取扱貨物量は約3,300万トン。東北最大の取扱量を誇る。中国、韓国、台湾を結ぶ外貿定期コンテナ航路、京浜港との内航フィーダー航路も有し、東北港湾の国際海上コンテナ取扱量の6割を占めている。また、苫小牧港や名古屋港を結ぶフェリー航路もあるほか、完成自動車の移出拠点や火力・ガス工場などのエネルギー拠点としての機能も備えている。
昨年3月の東日本大震災では、仙台港区全体で約50cmの沈下があり、このうち最も被害が大きかった高砂2号岸壁は、設計高よりも約60cm沈下した。それに伴い海側と陸側のクレーン基礎の間、陸側クレーン基礎とエプロンの間に50〜80cm程度の段差が発生。岸壁本体は海側に最大68cmはらみだした。津波により岸壁上のガントリークレーン4基、ストラドルキャリア11基もすべてが損傷した。
●岸壁延長330mのうち、270mを暫定供用●
高砂コンテナターミナルには1号岸壁と2号岸壁があり、高砂1号岸壁(水深12m)は既存地盤だったため、比較的被害が軽少で、昨年6月には京浜港との内航フィーダーを再開。さらに9月には韓国・中国を結ぶ外貿航路が再開している。ただ、高砂2号岸壁は震災により大きな被災を受けて機能停止状態が続き、産業・物流の復興方針を決める仙台塩釜港復興会議などで、地元港湾利用者から早期復旧を求める声が上がっていた。こうした地元の要請を受け、国土交通省東北地方整備局塩釜港湾・空港整備事務所は、昨年8月上旬に高砂2号岸壁の復旧工事に着手。同岸壁を利用する中で最も大きな北米航路に就航する大型コンテナ船(船長300m)が利用できるようにするため、岸壁総延長330mのうち荷役作業範囲として270m(ただし、全延長接岸可能とする)を先行させて暫定供用させる方針を打ち出した。
復旧工事は、岸壁が鋼管矢板の後方にあるガントリークレーンのレール部の下に基礎杭があり、その基礎杭が一部地中内で損傷していたため、新たに杭を打って補強し、沈下した部分をかさ上げする順序で進められた。具体的には、「①損傷したレールと舗装を撤去した後、②新たな杭を打ち込み、③既設杭と一体化した後にレールを再設置し、④沈下した分の土砂埋め戻しと舗装という順で工事を進めた(代替え杭の施工フロー参照)」(塩釜港湾・空港整備事務所の渡部企画調整課長)。
●夜間作業の安全を確保しながら工事を進める●
工事は8月中旬に基礎杭の製作とコンクリートやアスファルトの撤去に着手し、9月15日に代替え杭の打ち込み作業を開始。陸側代替え杭は岸壁のはらみだしが大きく杭が損傷した約75m区間で、海側代替え杭は約30mの区間で施工し、10月上旬までにすべての杭の打ち込みを終えた。通常の施工体制では1年程度の工期となる工事だが、早期復旧の要請に応えるため、24時間3交代制で工事を実施。夜間にも安全に作業を進められるよう、適切な照明の配置を考えるなど毎日の仕事の内容を確認しながら施工が進められた。東北地方整備局は、狭い現場に多くの作業員・機械が入ることや夜間作業により事故発生の可能性が高くなるため、安全パトロールを強化し安全の確保を図った。工事は順調に進み、9月中にガントリークレーンのレール部分の基礎のコンクリート打設などを開始。10月の中旬には、工事を行う国と港湾を管理する県が北米航路を運行する船会社3社を訪問。工事の進捗状況と11月末には暫定供用できる状況に仕上げる方針を説明した。「船会社の対応は好感触でした。工事が完成しても船が来なければ意味がありません。暫定供用に向けた目標が明確になりました」。(塩釜港湾・空港整備事務所)
11月からは、はらみだした岸壁の法線をそろえるため、船体が接岸する際の緩衝となる防舷材をいったん外し、高さ調整用の鋼製台座と一体化して岸壁に取り付け、岸壁全延長にわたって船と岸壁が接する面を一直線にする作業に着手した。また、舗装部分のかさ上げ工事により工事は最終段階を迎えた。ただ、台風シーズンで天候が余り良くなく、当初目標の11月末を10日ほど過ぎた12月上旬に土木工事が完了、コンテナ船の入航の準備を整えた。
一方、県では岸壁整備にあわせて背後のふ頭用地の整備を進め、直轄工事とあわせて延長270m、幅60mの範囲を復旧させ、岸壁エプロン部(幅40m)とあわせて2.7haが利用可能となった。12月中旬までにコンテナ荷役を行うガントリークレーン全4基のうち3基が稼働可能となっている。残りの1基は高砂2号の取り付け部に係留しており、クレーン基礎や舗装の復旧とあわせて2012(平成24)年3月の復旧を目指している。民間が所有するストラドルキャリアは震災前の11台の中で修理した3台と名古屋港、博多港、門司港から無償提供された4台の計7台でコンテナの荷捌きを行う体制が整っており、あとは航路再開を待つばかりとなった。

24時間3交代で工事が進められていた。

完成全景。1月22日には震災後に初めて北米航路の船が寄港する見通しだ。

●地元の要望の強い岸壁から順次復旧を進める●

レール基礎と代替え杭を一体化して補強
仙台港区ではこのほか、中野ふ頭1〜4号までの工事も並行して進められている。中野ふ頭は岸壁のはらみだしなどはなかったものの、エプロン部分の沈下とともに損傷。かさ上げ工事や舗装部の打ち換えなどを進めている。さらに、今後、塩釜港湾・空港整備事務所では損傷した防波堤や高松ふ頭、中野ふ頭5号・6号、雷神ふ頭などの復旧工事を順次進めていく方針だ。渡部企画調整課長は「地元の方々の要望が強いところ、あるいは損傷の度合いが大きいところから順次復旧工事を進めていきます。ただし、すでに高砂2号以外の全ての岸壁が利用され混雑の度を増してきており、その岸壁の使用を止めて工事をすることはできませんので、その調整や安全対策が一層重要になってきます」という。具体的には工事の節目毎に、工事を実施する国、港湾を管理する県、港湾を利用する港運業者および荷主で構成される利用者調整会議を開催し、工事工程と岸壁利用を調整しながら進めている。
宮城県らが作成した仙台塩釜港の復旧・復興計画によると、今回の復旧・復興を単なる現況復旧にとどめず、さらなる飛躍に向けた足がかりにする方針で、45フィートコンテナの利用拡大も視野に入れている。そのためにも、仙台港区の2012(平成24)年度末までの完全復旧が期待されている。
利用頻度の高い仙台港区の災害復旧では、"ものづくり"により復活を目指す東北経済を下支えしている。このため、港湾の利用を妨げず、かつ、スピード感をもって進めることが求められており、現場では、実現に向けて必死の取り組みが続いている。
■仙台塩釜港(仙台港区)復旧対象岸壁■

東日本大震災では茨城県の鹿島港も大きな被害を受けた。鹿島港は国内最大級のコンビナートである鹿島臨海工業地帯を支える海上輸送基地であり、世界有数の掘込港湾だが、企業の施設群が港に隣接して立地しており、津波の規模がもう少し大きければ臨海工業地帯そのものが致命的なダメージを受ける恐れもあった。ただ、壊滅的な被害をまぬがれたこともあり、港湾施設の早期本格復旧に向け工事は順調に進められている。
●新たに耐震岸壁を建設●

鹿島港の主要施設の復旧方法
鹿島港の外港地区では現在、岸壁の耐震強化工事が始まろうとしている。当初、同地区の岸壁工事は、通常の岸壁として11年度の完成を予定していた。しかし、東日本大震災を契機に耐震強化することになった。外港地区の岸壁耐震強化は、大規模地震時の緊急物資輸送および他の係留施設のリダンダンシーを確保する狙いがある。茨城県の港湾で耐震強化岸壁があるのは茨城港・常陸那珂港区の1バースのみで、他の港(茨城港・日立港区、同・大洗港区、鹿島港)には耐震強化岸壁はない。今回の震災では茨城港・常陸那珂港区の岸壁の多くが大きな被害を受けたが、耐震強化岸壁そのものはほぼ無傷で、その有効性が実証された。そこで「(外港地区の岸壁の)耐震強化の変更案を8月に地方港湾審議会に諮り、11月に交通政策審議会港湾分科会の答申を受けました」(茨城県土木部港湾課)。工事は来年度内をメドに終える予定だ。
●地域で復興計画作成●
外港地区の耐震強化岸壁をはじめ鹿島港の復旧・復興計画は、8月に策定された「鹿島港における東日本大震災の復旧・復興方針〜産業・物流復興プラン〜」に基づいている。この産業・物流復興プランは、鹿島港における港湾施設の本格的な復旧と地域の復興、災害に強い港づくりに向けた取り組みを計画的かつ効率的に実施するためのマスタープランであり、震災発生後に国や自治体、臨海工業地帯に立地する企業など79者で構成する鹿島港復旧・復興協議会(事務局は国土交通省関東地方整備局鹿島港湾・空港整備事務所および茨城県土木部)でとりまとめたものだ。

(出典)浸水高・遡上高は、国土交通省横浜港湾空港技術調査事務所調査による。

鹿島港の津波浸水範囲 耐震強化岸壁が計画されている外港地区
●市街地の一部が浸水●
そこで協議会での復旧・復興方針の検討にあたって、その前提となった港湾施設の被害状況をみてみよう。東日本大震災の本震で、鹿島港がある鹿嶋市は震度6弱、同じく神栖市は震度5強を記録した。茨城県ではその後、余震が続きマグニチュード7以上が5回も観測されている。一方、鹿島港には高さ5.7mの津波が襲来した。
鹿島港では、この地震と津波により岸壁の損壊、液状化現象によるふ頭用地や臨港道路の陥没、港内への大量の土砂堆積などの被害が出た。民間所有の係留施設や荷役機械なども甚大な被害を受けた。また、掘込構造の港のため港内の奥にある公共ふ頭が浸水、さらに背後にある鹿嶋市、神栖市の一部(両市合わせ6k㎡、2,353世帯、人口7,546人)も浸水し市民生活にも大きな影響を及ぼした。
●公共ふ頭の応急復旧●
「北公共ふ頭はそれほど深刻な被害はありませんでしたが、南公共ふ頭はA岸壁の背後地が液状化で大きく陥没しました。南公共ふ頭の一部は昔、〝神之池(ごうのいけ)〟とよばれた池があり、そこを埋め立てた土地だったために液状化現象が激しかったと思われます。津波で航路も埋まりましたが、応急復旧した岸壁を使うために航路の確保が不可欠であり、中央航路、南航路の浚渫を急ぎました」。震災発生直後の鹿島港の状況について、茨城県土木部の佐々木宏港湾振興監はこう振り返る。国が航路の啓開作業などを行い、公共ふ頭については軽微な被害だった岸壁から優先して暫定供用を行った。(表参照)
●今後の復旧・復興方針●
鹿島港の復旧では、12年度内には全ての港湾施設の完全復旧を目指し、応急復旧により供用した岸壁の利用を確保しながら、順次本格復旧の工事を行うことにしている。また、岸壁等の係留施設は、背後が液状化で沈下しており、すべての岸壁施設は基本的に原形復旧する方針だ。岸壁の高さについては、特にかさ上げを行わず平坦性、排水性を確保。ふ頭用地については、岸壁の高さや上屋等の高さとの調整を図り、利用に支障が出ないようかさ上げや擦り付けを行う見通しだ。
さらに、今後の復興方針では、今回の被災で港の背後地が浸水したことから、港湾機能の維持だけでなく、防災機能等の強化を検討する方針。特に浸水被害が生じたことを踏まえ、津波の減災機能について港湾利用との調和を考慮して対策を検討することにしている。
