特集


第1部

被災した釜石港の津波防波堤 提供:(独)港湾空港技術研究所
3月11日の東日本大震災では、太平洋沿岸域の港湾施設が甚大な被害を受けました。ただ、その被害程度はさまざまで、今後安全・安心に暮らすことのできる港湾施設づくりを進めていくには、今回の地震や津波に対する港湾施設の効果や被害状況などを十分に検証し、その後の施策にフィードバックしていく必要があります。第1部では岩手県釜石港の津波防波堤の被害状況とその効果などを中心に、これからの港湾施設づくりの考え方などを整理しました。第2部では茨城港常陸那珂港区の耐震強化岸壁などをリポート。第3部では5月20日の社団法人日本埋立浚渫協会の通常総会後に講演した国土交通省の山縣宣彦大臣官房技術参事官(港湾局担当)の講演要旨をまとめました。(日刊建設工業新聞社)
釜石港の津波防波堤は津波高を4割、遡上高を5割低減
●波力と〝流れ〟で防波堤が破壊された●
今回の地震・津波による港湾施設の被害を概観すると、太平洋沿岸の北側エリア(青森県、岩手県、宮城県)では津波による防波堤などの被害が顕著に見られ、南側エリア(福島県、茨城県)では地震動による岸壁などの被害が多数見られました。被害地域が広範囲にわたるため、地域によって被害状況やその被害のメカニズムが異なることは、今回の港湾施設被害の特長と言えます。
北側エリアに位置し、津波で大きな被害を受けた港湾施設の一つに釜石港(岩手県)の津波防波堤があります。津波防波堤は港の入口に位置し、開口部(延長300m)をはさみ、南側に延長670mの防波堤(南堤)と、北側に延長990mの防波堤(北堤)で構成されています。最大水深は63mで、世界最大水深の防波堤としてギネスブックから認定されています。
この津波防波堤の被害は、ケーソンが移動し完全に破壊された部分と、健全な部分が見られます。現地で目視調査した国土交通省国土技術政策総合研究所の長尾毅港湾施設研究室長は「防波堤のケーソンの滑動、傾斜、埋没が見られました。その原因は津波の波力でケーソンが移動したこともありますが、〝流れ〟によって基礎部分が壊れた箇所もあります。被害は、北側防波堤に集中しています。津波高さが高い港湾ほど被害が大きい傾向にあることも分かりました」という。
想定される被害メカニズムは、まず防波堤によって津波がせき止められ、防波堤を境に海側と陸側で水位差が発生し、防波堤が滑動する。つまり、波力によって破壊されたものです。さらに水流、つまり〝流れ〟によって防波堤の基礎が洗掘されて、壊れた部分もあります。特に防波堤の端部ではその流れが一層速くなるため、海底地盤が大きくえぐられ、被害が拡大したと考えられています。
●防波堤が津波の到達時間を6分遅らす●
釜石港の津波防波堤は、倒壊や滑動等の被害を受けたものの、津波被害を抑える一定の効果がありました。国土交通省と(独)港湾空港技術研究所が発表した釜石港の津波による被災過程検証によると、津波防波堤が有る場合と無い場合を比較した結果、津波防波堤があったことで津波高を4割、浸水域(最大遡そ上高)で5割それぞれ低減したと分析しています。津波が市街地に届くまでの時間も6分間遅らせたとしています。
今回の検証は、(独)港湾空港技術研究所が開発した「高潮津波シミュレータ(STOC)」を用いて、津波の伝播と遡上を計算したものです。釜石港沖合のGPS波浪計で観測した津波波形データを入力し、津波防波堤が有る場合と無い場合の2ケースを計算して、津波防波堤の効果を分析しました。それによると、釜石港内の津波高は津波防波堤がなければ13.7mにも達していましたが、津波防波堤が津波の進入を防ぎ8.1mに抑えたと分析しています。遡上高も同様に20.2mにも達するところを約10.0mに抑えています。津波が陸地にある防潮堤を越えるまでの時間は、津波防波堤がなければ28分でしたが、それを6分遅延させ34分であったと見ています。

●最大の津波高である第1波は抑えた●
防波堤の被災要因では津波が押し寄せた際に、防波堤の外側の水位が10.8mであるのに対し、防波堤内側の水位が2.5mにとどまり、港外と港内で最大8.3mの水位差が発生。この水位差がケーソンを滑動させるとともに、強い流れが起こり、基礎マウンドの石材が流された結果、ケーソンが不安定になり破壊が進行したと分析しています。 (独)港湾空港技術研究所の高橋重雄研究主監(当時)は「釜石港に押し寄せた津波は第1波が最も大きく、この第1波が押し寄せた時に防波堤が多少動いていますが、大部分壊れてはいません。むしろ引き波やそれ以降の第2波、第3波で破壊が進行したと思われます。最大の津波が来たときは波を抑えたことになりますから、本来の機能は果たしたと思います」と解析しています。

釜石港での津波防波堤の効果(シミュレーション結果) 提供:(独)港湾空港技術研究所
●高さ15.5mの防潮堤と水門は住民を守る●
こうした防災施設が地元住民の命を守り、被害を抑えた例はほかにもあります。岩手・三陸海岸の北部にある普代村。この村では1896年(明治29)年の明治三陸大津波で1,000人を越える犠牲者を出したため、1970(昭和45)年に高さ15.5mの防潮堤を整備。その後1984(昭和59)年には同じ高さの津波水門を完成させました。この二つの施設が今回の津波をはね返し、住民を守りました。
現地を調査した高橋研究主監(当時)は「防潮堤の手前の太田名部漁港には二重の防波堤があり、この防波堤が津波高を小さくしたため、防潮堤を津波が越えなかったと見ています。水門は津波が越流していましたが、水門自体が壊れずに残ってくれたため、侵水被害が最小限にとどまったようです」という。
千年に一度と言われる今回の大津波を予測し、それに備えた防災施設を整備することは容易ではありません。普代村の場合、戦後同村の村長を務めた和村幸徳氏が津波で二度と被害を出したくないという信念のもと、県にひたすら防潮堤と水門の建設をお願いし、やっとの思いで整備されたものです。人命や財産を守るという視点から、津波災害に対し、どのような防災施設の整備が望ましいのか、今後十分に議論を重ねる必要があります。

Interview 独立行政法人港湾空港技術研究所の高橋重雄研究主監(当時)
性能設計を用いて"ねばり強い構造物"を
今回の津波に対し港湾施設はどのような効果があったと思いますか。
「津波防波堤だけでなく、通常の防波堤も、港内への津波の侵入を低減する役割を果たしており、 港外に比べて港内の浸水高は低くなっている。その意味では、防波堤も津波防災に対して、一定の役割りを果たしている」。
GPS(衛星利用測位システム)波浪計は機能しましたか。
「釜石沖の18kmの位置にGPS波浪計が設置されていて、第1波の津波高6.7mが観測された。沿岸では水深が浅くなるため、この2〜3倍になり、巨大な津波が予測された。この観測データは気象庁にも提供され、大津波警報の参考になっている。ただ、その後陸上部の通信網が寸断されたため、観測データは陸上局に送信されたものの、データを見ることができなかった。GPS波浪計の効果は十分に確認されており、通信網の強化などの課題を今後改善していきたい」。
防災対策上、港湾施設を今後どう整備していきますか。
「防災対策は〝想定外でした〟では許されない。従来の津波対策を考える時の津波規模をレベル1とすれば、発生確率は低いが今回のような大津波、あるいはさらにそれ以上の大津波の規模をレベル2とし、そのレベル2の可能性もあることを考えながら対策を練らなければならない。人命を守るということを大前提にハード、ソフトの両面で施策を総動員する必要がある。千年に1度起こる大津波に備え、巨大な防災施設をつくるのは、費用面でも難しいだろう。ただ、従来と同規模の施設でも、さまざまな工夫を加えることで、ねばり強い構造とすることは可能だ。多少変形しても、堤防の機能をきちんと果たす構造を今後考えていかなければならない。津波だけでなく、高潮や高波の対策も同時に考える必要がある」。
ねばり強い構造をどのような形で実現していきますか。
「2004年に改定した海岸保全施設の技術上の基準では性能設計という考え方が盛り込まれている。この性能設計の考え方を用いて実現していきたい。発注者側が要求性能を示すことで、受注者側がさまざまな提案を出し、ねばり強い構造ができあがっていくのではないか。現在、各種の会合で、今後の港湾施設整備に向けた技術的な検討が進められているが、個人的には、性能設計の制度をまず確立して、民間企業に技術開発を推進していただくことが重要であると思っている」。
第2部
茨城港常陸那珂港区・中央ふ頭A岸壁
効力を発揮した耐震強化岸壁
震災4日後の15日には使用可能に
3月11日に発生した東日本大震災では、東北・北関東の港湾施設も大きな被害を受けました。その中で、いち早く供用を再開したのが茨城港常陸那珂港区・中央ふ頭A岸壁です。津波注意報が解除された直後から航路の啓開作業に入り、15日には使用可能となりました。この早期供用再開が可能だったのは同岸壁が耐震強化岸壁だったからです。ここでは震災発生から現状までの茨城港の復旧状況と、中央ふ頭A岸壁を中心に被災から立ち直りつつある常陸那珂港区の状況をリポートします。

早期供用を再開したA岸壁(手前部分)
●護岸先端部が流出、背後地が沈下●
東日本大震災では、茨城県内の港湾施設も地震と津波の両方に襲われ、大きな被害が発生しました。以下は各港湾施設の被災の概要です。
- 各ふ頭地区の岸壁背後が液状化し1m程度の沈下が発生
- 第1、2、4ふ頭地区は先端部の護岸が流出、岸壁の一部が使用不能
- 第5ふ頭地区では津波により岸壁背後のふ頭用地に置いてあった自動車が一部炎上
- 北ふ頭外貿地区の岸壁(−14m、−12m)を中心に、全体的に岸壁の損傷が激しい。特に岸壁背後が液状化により最大1.7m程度沈下
- 中央ふ頭地区A岸壁(−7.5m、耐震強化岸壁)は岸壁本体の被害はほとんどなく、背後のふ頭用地が一部損壊
- 臨港道路は液状化による陥没・隆起が発生
- 津波により中央航路・泊地が埋没
- フェリーターミナルがある第3ふ頭地区背後ヤードが陥没・破損
- 津波により小型船舶が打ち上げられたり、駐車車両が漂流・散乱
- 南公共ふ頭地区はC岸壁(−7.5m)のハラミだしが生じるなど損傷が激しい。岸壁エプロンも陥没
- 北公共ふ頭地区は岸壁エプロンに段差
- 湾奥部のふ頭背後のフェンスが津波により流出したコンテナで倒壊、ふ頭前面泊地は自動車等が津波で漂流または沈没
- 民間企業の専用岸壁も荷役機械等を含め相当な被害発生
●耐震化の必要性を再認識●
このような甚大な被害の発生を受け、茨城県はすぐに応急対策に乗り出しました。ただ、地震発生直後から余震が続き、津波警報が出ていたため現地に入ることができません。それでも大まかな被害状況の把握をもとに「第1段階として、全体的に被害を受けている中で、比較的健全なふ頭、岸壁を見つけ使用できるようにする。各港(区)1バースを何とか使えるようにするとの方針を決めました」(佐々木宏茨城県土木部港湾振興監)。この方針に沿い、津波注意報解除後に現地調査がされ、応急復旧作業が始まりました。
その中で最も早く使用できたのが耐震強化岸壁の常陸那珂港区・中央ふ頭A岸壁です。A岸壁は2006年3月に供用を開始、茨城県内では唯一の耐震強化岸壁でした。現地調査により被害が比較的軽微であることを確認した上で、国土交通省関東地方整備局の支援のもと、接岸のための航路啓開作業を行うため水深や落下物の調査および背後のふ頭用地や臨港道路の復旧を早急に実施しました。
「A岸壁は15日には使用可能となりました。当初、岸壁の早急な供用は、緊急物資輸送も想定していましたが、幸いにも今回の地震では陸路(道路)が早期に使えたため、結果的にこの岸壁からの緊急物資の陸揚げはありませんでしたが、耐震強化岸壁の必要性・有効性を改めて認識しました」(同)。
船は大量に緊急物資を運べます。港湾は災害対応の重要拠点となるのです。今回の地震は、はからずも災害時における港湾の役割の重要性と耐震岸壁の有効性を証明したものといえます。

大洗港区の被災前

大洗港区の津波の被災状況

常陸那珂港区北ふ頭外貿の被災の状況

常陸那珂港区北ふ頭外貿の復旧後の状況

日立港区第1ふ頭1−BC岸壁の被災の状況

日立港区第1ふ頭1−BC岸壁の復旧後の状況
●未だに残る爪痕●
震災発生後3カ月が経過した常陸那珂港区を訪れました。すでに応急復旧工事が行われ、臨港道路を使い岸壁まで車で行けますが、かつてはきれいに舗装された道路の面影はなく砕石を敷き固めた道路です。このほか構内の敷地には漂流した車が並べられ、中には塩水が原因で延焼した車が整然と並べられていました。敷地のあちこちで液状化等による陥没が見られたり、簡易な修理を施した場所があるなど被害の爪痕があちらこちらに見えました。
耐震強化されたA岸壁そのものは、被災直後の写真と比べてもほとんど変わらず、無傷であったことがわかりました。しかし、岸壁に接続する背後地は陥没して段差が生じ、応急措置がとられていました。A岸壁と接続するB岸壁(−9m)も被災直後は背後ヤードが沈下し舗装面は大きく割れましたが、応急復旧を行い3月22日には使用可能となりました。現地を訪問した日はRORO船が着岸するなど徐々に活気を戻しつつありました。
中央ふ頭に比べ、北ふ頭の被害は甚大でした。北ふ頭のC、H岸壁は3月22日に使用可能となりましたが、B岸壁(−12m)の復旧も急がれました。B岸壁は臨港地区に進出した建設機械メーカーのコマツと日立建機の海外向け機械の積み込みに使用する岸壁だからです。大きく沈下した背後ヤードとの段差を解消し、4月1日には暫定供用を開始。4月25日にはインドネシア向けにコマツが輸出を再開しました。隣接するA岸壁にあるガントリークレーンの本体は無事でしたが、モーターと電気系統が津波にさらされ使用不能の状態です。また、A〜C岸壁にまたがるガントリークレーンのレールにズレと曲がりとが生じており、揺れと津波の被害がいかに大きかったかを物語っています。
茨城港の常陸那珂港区を含め日立港区、大洗港区、さらに鹿島港でも被害の少ない岸壁から応急復旧が進められ、順次、暫定供用がされています。内貿、外貿の定期航路も徐々にですが再開し始めています。なお、内航のRORO、フェリー航路については、6月6日に大洗港区と苫小牧港との間のフェリー航路が再開され、全ての航路が再開されています。(表参照)。

●急がれる本格復旧●
茨城港は、その地理的優位性をいかし首都圏の海上物流の一翼ー「首都圏の北側ゲートウェイ」の役割を担っています。特に茨城港から北海道へは週31便が運航、首都圏と北海道を結ぶ重要な海上ルートです。また国内のみならず海外とも海上ネットワークでつながっています。
今年3月には北関東自動車道が全線開通し、茨城港の常陸那珂港区が4つの高速道路(関越道、東北道、常磐道、東関道)と結ばれました。この開通を機にさらに発展を目指そうという時に東日本大震災が発生しました。「震災発生による茨城港の被災で一部の船主は京浜港などに暫定寄港していますが、問題が多くて早く港湾機能を回復して欲しいという声を多くいただきました」(茨城県土木部港湾課)。茨城港常陸那珂港区は、中核国際港湾として発展してきており、国内外からの要請として早期復旧が期待されています。

東日本大震災後の定期航路運行船社の状況について
第3部

東日本大震災について講演
各港湾ごとに協議会を発足し議論進める
国土交通省大臣官房技術参事官(港湾局担当)山縣宣彦氏
■被害額は5000億円を超える見通し
3月11日の東日本大震災では、震度6強という強い揺れに加え、10mを越える大きな津波が沿岸部に押し寄せ、港湾施設に多大な被害が発生しました。今回まとめた北海道苫小牧港から静岡県清水港までの被害状況だけをみても、被害額は概ね4,700億円に達し、今後地方港湾などの被害状況の調査などが進めば5,000億円を超える被害総額になると思われます。 今回の被害の特徴は、宮城県相馬港よりも北側の港は主に津波で被害を受け、相馬港よりも南側の港は液状化など地震による被害が目立ちました。
■高潮対策、企業対策、がれき処理の3課題
国土交通省は、港湾施設に関する今後の復旧スケジュール案をまとめています=表=。港湾施設の復旧では大きく3点がポイントとなります。一つ目は9月の台風期までに高潮対策をきちんと実施することです。今回の被害には地盤沈下もありますので、高潮対策を港の背後地も含めて実施していきたいと考えています。
二つ目は、港湾の背後地にある民間企業への対策です。1次補正予算では県の起債で整備したクレーンが被災した場合、補助する制度を設けました、これを民間レベルにも拡大できないか検討しています。三つ目はがれきをどう処理していくかです。阪神大震災時は2,000万トン弱のがれきが出ましたが、今回はそれを上回る2,500万トンと言われています。阪神大震災時はかなりのがれきを海面埋立で処分しましたが、今回も港湾海域に埋立処理しなければならなくなるでしょう。そのための港湾計画の変更や埋立免許の取得、環境アセスメントなどの手続きをいかに迅速に進め、最終処分場を確保するのかが課題になります。また、全国に30港程度あるリサイクルポートの活用なども検討されています。
■津波に対する技術的な基準を検討
被災地の復興という段階になりますと、港湾施設だけで復興を進める訳にはいきません。その地域をどうしていくのか、港だけでなく背後地の産業や住宅をどうするのか。そうした議論が現在進んでいます。政府の復興構想会議をはじめ、被災した各県や各地域でいろんな検討が進められており、港湾サイドも各港ごとに協議会をつくり、地域づくりと歩調を合わせた各港湾の復興の議論を開始しました。
その際、港湾施設の技術的な基準をどうするのかということも課題になります。地震対策ではレベル1、レベル2といった設計レベルがありますが、津波対策ではどう考えていくのか。こうした技術的な基準を国土交通省の審議会や、河川局、水産庁などもと議論しながら研究を進めています。6月末には復興構想会議が中間まとめを策定すると聞いていますので、それに併せて港湾や海岸関係の今後の復旧に関する考え方を整理し、それを踏まえた上で個々の港の具体的なプロジェクトや復興方針としていきたいと思っています。

港湾施設に関する今後の復旧スケジュール