PORT REPORT 新みなとまち紀行

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Cover Issue  鹿島港は、鹿島臨海工業地帯の中央部に位置し、原材料や製品の海外輸送基地として重要な役割を担う。近年、東関東自動車道の開通などによりアクセスが向上し、取扱貨物量も増大。それに伴って東京湾岸に立地していた企業の鹿島への移転も増加、さらには公共ふ頭も供用が開始された。
 大規模な工場やコンビナートが建ち並ぶ港の姿は壮観だ。そこには、経済の発展を支える人間の叡智と営みが、確かに息づいているのである。


鹿島港の歩み
 茨城県東南部に約70kmのゆるやかな曲線をなす鹿島灘の中央よりやや南寄りに、鹿島港は位置する。
 1960(昭和35)年、国は高度成長の担い手として工業の地方分散化を図る「全国総合開発計画」を策定。これを背景に茨城県が「鹿島灘沿岸地域総合開発の構想」(試案)を作成し、翌年には事業化が決定した。1963(昭和38)年に港湾計画が決定、重要港湾と工業特別指定地域の指定を受け、鹿島港の建設に着手。用地造成や航路開拓など港湾機能の拡充をおこないながら、積極的に企業を誘致し、日本を代表する工業港として歩みつづけている。


アクセス
[車]東関東自動車道「潮来I.C.」から30分
[鉄道]JR鹿島線「鹿島神宮駅」から車で10分


世界最大級の掘込港湾に製造拠点が集積

砂丘に築かれた大工業港

 茨城県の広域地図を見ると、県の南端が太平洋に大きくせり出しており、そこから北西に海岸線を辿れば、小さな切れ込みのような箇所が確認できる。ここが鹿島港だ。
 港は、ゆるやかな曲線を描く鹿島灘から内陸に切れ込み、途中から二股に分かれる。海側から見ると、ちょうどアルファベットのYの形になる特殊な形状である。いわゆる「天然の良港」にある入り江も岬も見あたらない。それは鹿島港が、本来港ではなかった地域を海側から陸地を掘り込んで港として活用する掘込港湾形式で造られたからだ。掘込港湾としては世界最大級である。
 国を挙げて高度成長期の道を歩み始めた1960年代初頭、経済政策の一環として新産都市工業整備が進められ、鹿島臨海工業地帯の造成計画が策定された。当地で港湾建設に必要な自然条件の調査がおこなわれたあと、1963(昭和38)年3月、掘込港湾としての港湾計画が決定され、7月には工業整備特別地域指定を受けて、鹿島港の築港が開始。1969(昭和44)年には関税法に基づく開港指定を受けた。現在、鹿島臨海工業地帯は160社を超える企業が立地し、22,000人以上が就業する一大生産拠点。自国に乏しい資源を輸入し、製品化して国内外へ供給するという日本の基本的な産業構造を象徴する工業地帯である。そのなかにあってあらゆる原材料、製品が流通する鹿島港はその心臓部ともいえる港だ。
 臨港地区2,365haは全国5位の面積。20万t級の大型船が出入りできるほどの大規模な港湾が鹿島灘に造られたのは、首都圏を中心とした産業振興のためであった。
 原材料を輸入し、製品化して国内外に供給する加工貿易を背景に“技術立国”と評されてきた現在の日本の姿を思えば、鹿島港が担ってきた役割の大きさがうかがい知れるだろう。

[写真左]鹿島臨海工業地帯を擁する鹿島港 [写真中左]1965(昭和40)年、中央航路の掘込みを開始
[写真中右]1979(昭和54)年、掘込・浚渫が完了 [写真右]北公共ふ頭は2002(平成14)年に供用開始された

新しい港湾機能の拡充へ

国土交通省関東地方整備局 鹿島港湾・空港整備事務所 八木橋 貢 副所長

 鹿島港の取扱貨物量は2005(平成17)年で6,000万t以上。主に鉄鉱石や原油、石炭を輸入し、鋼材、化学工業品、鉄鋼を輸出。国内では石油製品や鋼材、化学工業品のほか重油や砂・砂利、穀物類などがここから全国へ供給される。
 港の北側の高松地区には製鉄工場、南側の神之池東部地区には石油コンビナートと火力発電所、西側の神之池西部地区には化学工場や薬品工場ほか、全国に名の知れたメーカーの生産拠点が港の航路を取り囲む形で集結している。鹿島港に運び込まれた原料は、この地で製品やエネルギーに姿を変え、国内外へと運び出されていく。港を中心とした一帯が、あらゆる物資を生み出す巨大な「生産装置」の様相を呈している。
 工業港として歴史を重ねてきた鹿島港だが、近年、流通港湾としての整備が進められてきた。従来から利用されてきた南公共ふ頭に加え、2002(平成14)年には北公共ふ頭の一部が供用開始され、2006(平成18)年にはコンテナターミナルが供用開始。都心から約80kmという好立地を活かした、首都圏の物流を担う機能も兼ね備えつつある。
 さらに現在、鹿島港で進められている整備について、国土交通省関東地方整備局鹿島港湾・空港整備事務所の八木橋貢副所長に話を伺った。
 「いまは外港地区の防波堤や岸壁の整備と、同地区の航路の浚渫を進めています。大型船が頻繁に出入りするために、浚渫をおこなって十分な水深を確保しておくことが必要。もともと鹿島灘周辺は砂丘だったのです」(談)
 かつての砂丘に拓かれた港は、工業港・商業港として首都圏の経済の活性化をこれからも支えつづけていくのだ。

[写真左]神之池東部地区の石油コンビナート [写真中]中央航路から火力発電所を臨む
[写真右]ガントリークレーンの下に工業塩が積まれている

[写真左]漁船と工業地帯が独特のコントラストを見せる [写真中](財)日本気象協会鹿島出張所では、鹿島港と常陸那珂港および関係各所に潮位や風、波などの情報をリアルタイムで提供