名作が生まれた港

名作が生まれた港

神島漁港では良質な海の幸が水揚げされる


三島由紀夫 Mishima Yukio

1925(大正14)年東京生まれ。東京帝国大学法学部卒業後は大蔵省に入省するも、執筆に専念するため9ヵ月で退職。翌年、最初の書き下ろし長編で半自伝的小説とも言われる「仮面の告白」が刊行され、本格的に作家として歩み始める。「潮騒」「金閣寺」「豊饒の海」ほか代表作多数。劇作家として「鹿鳴館」「サド侯爵夫人」などの戯曲も発表。作品は諸外国語に翻訳され世界中で読まれている。1970(昭和45)年没。

「潮騒」は1954(昭和29)年6月に刊行。同年12月、第1回新潮社文学賞を受賞した


神が見守る漁師と海女の島

 三重県鳥羽市の鳥羽佐田ノ浜から定期連絡船にゆられて1時間ほど、伊勢湾から太平洋へ抜けるところで緑豊かな小島に行き着く。その昔、伊勢参りの中継地として人々が盛んに往き来した鳥羽市「神島」である。
 名前から察せられるとおり伊勢神宮にゆかりの深い島で、地場の真鯛を貢物として奉納してきた。現在も蛸や平目、伊勢海老、鮑などさまざまな良質な海の幸に恵まれ、これら目当ての観光客も多い。漁船はもちろん定期連絡船の発着地でもある神島漁港は、島の経済と島民の暮らしを支える基盤となっている。
 とはいえ全周約4km、1時間もあれば徒歩で一周できてしまうほどの小島の港のこと、“古き良き”という形容の似合う風情にあふれている。時間が止まっているかのような長閑な風景のかたわらで、漁師たちが水揚げした魚を捌き一輪車で忙しげに市場へ運ぶ。また、年に20日しか働くことを許されていないものの海女も健在だ。
 神島の自然と島民の生活ぶりは、とりわけ都市生活を送る者に懐かしくも新鮮な感動を与える。昔ながらの暮らしから隔たるほどに、日本の原風景といえるような営みに心打たれるのだろう。いまからさかのぼること五十余年、神島を訪れて心を動かされ、作品の着想を得た一人の小説家は、東京の四谷の名家に生まれ、帝大在学中に文壇デビューを果たすという洗練された経歴の持ち主だった。戦後の日本を代表する文豪、三島由紀夫である。


ギリシャの古典が離島で転生

 神島の名を「歌島」に変え、ここを舞台に生まれた「潮騒」は1954(昭和29)年に発表され、第1回新潮社文学賞を受賞。後年、数回にわたって映画化された三島の代表作である。炎を挟んで二人が向き合い「その火を飛び越して来い」と叫ぶ名場面を記憶する人も多いだろう。若い漁師・新治と養子先から戻された網元の娘の海女・初江が、島という小さな共同体ゆえに生まれる障壁を乗り越えて結ばれる純愛物語だ。新治も初江も健全で実直な若者として描かれており、読者は思わず二人に肩入れし、ハッピーエンドに胸がすくような思いを味わう。
 ストーリーそのものはシンプルで、うがった見方をすれば予定調和といえなくもない本作を、凡百の作品と隔てているのは、舞台となっている歌島にほかならないだろう。全16章から成る本作のなかでは、島の情景や風習が丁寧かつ絵画的に表現されており、それが主人公をはじめとする登場人物の気質を際立たせているのだ。
 本作が発表される2年前、三島は5ヵ月にわたって海外を巡り、北米、南米、ヨーロッパを訪れた。その旅程のなかでひときわ強く彼の心をとらえたのがギリシャである。かの地の神話に登場する雄々しい神のイメージは、のちに肉体鍛錬のためにボディビルにいそしむ伏線となる。そしてもうひとつ、ギリシャのまばゆい陽光と抜けるような青空、海を渡る風が彼に感銘を与えた。現代文明が進歩するにつれ堕落する人心。当時の日本をそのように捉えていた彼には、ギリシャの風土がその対極にあると見えた。そして、2世紀から3世紀頃のギリシャの恋愛物語「ダフニスとクロエ」を下敷きに生まれたのが「潮騒」である。帰国した翌年の春、三島は10日ほど神島に滞在したあと晩夏にも再訪。この旅が本作のきめ細かな描写を生んだ。伊勢神宮由来の伝統的な風習の残る牧歌的な離島は、三島版ギリシャ神話の舞台に選ばれたのである。


「潮騒」でもっとも眺めが美しい場所のひとつとして登場する神島の灯台

監的哨(作中では観的哨)は軍艦の大砲の着弾を確認するための施設。ここで新治は焚火を飛び越える

八代神社に続く200段を超える石段。難なく駆け上る新治の若さが描かれる


[参考文献] 「新潮日本文学アルバム 三島由紀夫」(新潮社)
[写真・資料提供]鳥羽市商工観光課