marine joy みなとから“ぶらり”旅

marine joy みなとから“ぶらり”旅

讃岐の「ほうこさん」この人形を病気の子どもに抱かせたあと海に流すと、病気が全快するとの言い伝えが

金刀比羅宮は、出雲・神戸・松山・尾張・鳥羽・東京に分社を持つ
[上]上段写真の大門をくぐると古風な傘を広げた通称「五人百姓」が加美代飴(かみよあめ)を売っている
[下]ひたすら上り続けたら、参拝のご利益も倍増(?)

アクセス 琴電琴平駅下車徒歩15分

海の守護神「こんぴらさん」

 高松築港駅から琴平電鉄に揺られることおよそ1時間、琴平駅を降りれば、そこは讃岐の「こんぴらさん」の愛称で庶民の信仰を集める金刀比羅宮の門前町だ。

 金刀比羅宮の主な祭神、大物主神(おおものぬしのかみ)は海の守護神。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が並ぶ。しかし神徳は漁業航海にとどまらず農業殖産、医薬、技芸など広範に及ぶ。

 お宮参りは、象頭山(ぞうずさん)の中腹にある本宮まで785段、山頂近くの奥社まで1368段もの石段を上る苦しい道程であるにもかかわらず、年中参拝客が絶えない。円山応挙筆の障壁画「遊虎図」を納めた表書院と宝物館、収蔵庫を合わせた博物館や、「大祭」「桜花祭」「田植祭」「潮川神事」「蹴鞠」などの独特な祭典・行事が一年を通じて行われるなど、見どころが盛りだくさんなのだ。とはいえ、いかに興味深くても度重なれば物珍しさも薄らぐ。やはり、海の神が与えるご利益と、人々の厚い信仰心が幾度となく足を運ばせるのだろう。

武士の世の序章は海にありき

 源氏と平氏が激戦を繰り広げた舞台として知られる屋島。元暦2(1185)年2月18日から21日の4日間にわたる源平屋島合戦は、那須与一が扇を弓で射抜くエピソードや源義経が指揮を執った奇襲などが、時代劇などでたびたび題材にされる。

 標高292mの屋島山頂付近の「談古嶺(だんこれい)」からは古戦場を望むことができる。また、平家一門の栄枯盛衰のドラマを310体の蝋人形で再現した「高松平家物語歴史館」、源氏の兵が血の付いた刀を洗い、水が真っ赤に染まったという「血の池」のほか、那須与一の子孫が旗や勝臼などを寄進した屋島神社ほか、歴史ファンならぜひ訪れたいスポットである。

 屋島合戦に敗れた平家の一門は西海へ落ち延び、翌3月24日壇ノ浦で滅亡、のちに源頼朝が鎌倉幕府を開く。こうして始まった武士の世は、明治に至るまで700年近く続くこととなった。屋島合戦は、日本史上屈指の大転換をもたらしたのだ。

栗林公園
高松市内にある栗林公園は、江戸時代初期から後期にかけて、高松藩主が100年にわたって造園した大名庭園

屋島
赤く染まった屋島の夕景に、領土制覇に命をかけた兵士たちの想いが眠る。挫折の運命と相まって、820年の時を超え、観る者の胸をほの熱くさせる

金丸座
金刀比羅宮へ続く参道の途中にある金丸座は、1835(天保6)年に建てられた現存最古の歌舞伎小屋。毎年春に開催される「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は有名人気役者が出演し連日賑わう。琴電屋島駅から車で5分

めしあがれ

讃岐うどん
いまや全国区となった香川名物。ダシの利いた素朴な汁で、濃いめの汁をぶっかけて、汁を使わず生醤油でと、さまざまな食べ方も定着。しかしやはり讃岐うどんは麺の腰の強さが身上。製麺所が空きスペースで営業するセルフうどんが旨いが、地元の人以外はなかなか見つけられない。

栗林のくり
栗林公園にちなんだ人気のお菓子。白あんのなかに刻み栗が入っている。卵風味の皮と、口の中でさらりと溶ける白あんの組み合わせが心地よい食感。
ほどよい甘さで、子どもから大人までだれにでも喜ばれるお土産だ。
湊屋 高松市寿町1−1−3
0120−21−8634

志満秀のえびせん
車海老や赤小海老などをたっぷり使い、薄塩の素朴な味付けで仕上げた、高松の老舗の自信作。海苔や山椒などのフレーバーや、海老の挽き方、焼き上げ方などさまざまな工夫が凝らされ、商品バラエティが豊富。
志満秀 高松本店 高松市今里町2−15−18
087−833−0025