Human's voice 技術者たちの熱き想い

Human's voice 技術者たちの熱き想い

 「はたしてこの会社でやっていけるのだろうか」。物理(工学)と生物では考え方が違う——。生き物が大好きな一人の男は、そう真剣に悩んだ。そんななかでも自分を見失わず、一貫して環境という視点から仕事をしてきた。環境という命あるものを大切にする。時代の先を走ってきた領域だったが、時代がようやくその考え方に追いつく。そして生物エンジニアを表舞台へと押し上げていった。

生物のプロとして自然を再生

 東京都大田区。ここでいま自然再生型のプロジェクトが進められている。大森ふるさとの浜辺整備事業。運河を埋立てて人工的に海浜や干潟、魚釣り場、磯などを整備しようというプロジェクトだ。計画の制定から着手まで約20年。自然保護団体や環境分野の専門家らが関わり、PI(パブリック・インボルブメント)のモデルといわれる事業である。
 水産学科の出身である中瀬は、建設会社の中では数少ない生物の専門家「生物エンジニア」として、このプロジェクトの実現に大きな役割を果たす。
  事業主体の大田区にとって、このプロジェクトは地域密着型の行政を象徴するものだった。「環境がわかる人間を入れておけ」。それが施工にあたっての要望だった。中瀬は単に施工という立場だけではなく、さまざまな観点から生物のプロとしての技術や学術的な研究成果を提供した。
 自然保護の立場の人というと、ともすると建設業は敬遠しがちだが中瀬は違う。技術や学術はもちろん大切だが、自然保護側の人たちに真摯に接し、彼らの声を敏感に察知してプロジェクトに反映させた。といってもすべてを受け入れるというわけではない。違うと思ったことには、プロとしての知識をいかして理解してもらうことに努めた。
 こんなことがあった。工事に伴って覆砂の必要があったが、自然保護団体は計画している山砂ではなく海砂での覆砂を求めた。海の生物が生息するためには、やはり海砂が必要だという考えからだ。
  「どうしよう」。戸惑った発注者は現場に意見を求めてきた。「だったら実証しましょう」。会社から相談を受けた中瀬はそう提案し、実証実験をすることになった。その結果、山砂での覆砂でも問題ないことが証明され、理解を得ることができた。
 生物護岸と呼んでいる実験施設をつくって、人工海浜や干潟にどんな砂を使えばいいのかを調べており、現在もモニタリング調査を実施中だ。「この生物護岸には、生物の生息を促すために、水分を逃がさないような潮溜まりがつくられています」。実験に盛り込まれている独特の方法も中瀬の提案によるものだ。

ビジネスにならない環境・生物研究では失格です

 「建設業は環境に手を加えざるを得ない側面ももっていますが、自然を再生するのも建設業の重要な使命です」。中瀬はこの自然再生技術こそ生物のプロの役割と位置付ける。失敗も経験したが「正直に、これはまずいと思ったことは絶対にやらない。信用を失うことは絶対にしない」という信念で仕事をしてきた。
 環境の時代といわれ、今でこそ建設業にとって重要な要素になったが、ともすれば建設業を営むうえでの補完的なもの、あるいは利益を圧迫するマイナス要因と捉える風潮もある。だが中瀬は違う。
 「環境はビジネスとしても捉えるべきだと思います。環境に配慮した結果利益が出ないというのは意味がありません。企業に属するプロの技術屋としては失格です」。中瀬が研究者であるのは確かだが、それと同時に組織に属し、組織の利益に貢献する技術者でもあることを強く意識する。現実は厳しいと言いながらも、この心意気を忘れたことはない。
 しかも環境関連の技術は、何か特別な技術だと強調されがちな一面があるが、中瀬にとっては「特別ではありません。まったく普通の技術です」。普通の技術と言い切るところに、水産学科出身であり他者に先んじていているという自分の研究に対する絶対の自信が垣間見える。
 そんな中瀬も、入社当時は「はたしてこの会社でやっていけるのだろうか」と思い悩んだ。というのも工学と生物の世界は、あまりにモノの見方や考え方が違っていたからだ。環境や生物に対する関心も低かった。まさに「特異な世界」。というより建設技術者が中心の会社だから、中瀬の方こそ特異な存在だったといった方が適切かもしれない。「戦力外というか、タダ飯食いと思われていたと思います。ずいぶん遊ばせてもらいました」と笑う。
 遊ばせてもらったというのは、もちろん中瀬独特の表現だ。「納得出来る仕事をしてきた」という自信の裏返しである。とくにアマモの研究では15年以上のキャリアがあり、論文もある。アマモ場の造成は、現在では大規模な事業もでてきた。

先遣隊になって本隊を支えたい

 「考えてみれば工学も生物も結果を求められる点では同じです。それに定量的なアプローチをする点でも共通するんですね」。最初はやっていけるかと不安だったが、環境や生物の大切さを懸命に訴えながら、同時に自分でも土木の仕事を理解することにも努めた。「土木を理解するのに10年かかりました」と振り返るが、「技術部門の中では同じエンジニアですから環境や生物のことも話せばわかってくれました」と周囲に感謝する。
 中瀬にとってやや気の毒なことがあったとすれば、仕事の内容が少し時代の先をいった分野だったことだ。「別に気の毒とは思っていません。パイオニアはそういう役割もあります」と納得しているが、それでも、もどかしさのようなものを感じていた時もあったはずだ。
 時代はいまようやく中瀬の考えに追いついた。環境関連技術は時代の最先端として注目されている。喜ぶべきことだが、その一方で中瀬の言葉の端々には少し戸惑いのようなものも感じられる。時代がどうあれ、環境の重要性は一貫して認識してきただけに、流行のようなものになってはならない。そんな思いが強くあるのかもしれない。
 仮にそうではあっても、時代に流されず「環境再生技術で会社と社会に貢献していきたい。そのため研究と現場の橋渡しをしたいと思います。新しいビジネスという視点から、どうやって仕事を創出するか、どうやって事業化するか、そしてどうやって利益を出していくか。その仕組みをつくりたいですね」と自らの使命は忘れない。わかりやすくいえば「例えは適切でないかもしれませんが、先遣隊のような役割で、本隊(建設技術者)がいい仕事をできるように支えたい」と思いを語る。
 それともう一つ。生物のプロとしての切実な思いがある。これは会社というよりも建設業界全体に対してのものだ。「これだけ環境が重要な時代です。せめて各社に一人か二人くらいは、水産学科のように生物を扱う専門家がいてもらいたいですね」。

ロングスパンの自然・環境整備 - 工事は終わっても熟成期間が必要だ

大森ふるさとの浜辺整備事業

 中瀬がいま関わっている大森ふるさとの浜辺整備事業は、平和島運河を埋立てて自然や環境を再生するプロジェクト。埋立に4年かけて今年6月に工事は完成する。ただし工事は終わってもオープンは平成20年とまだまだ先になる。というのも「自然が創出するまで時間を置く必要があるから」だ。「いわば熟成期間ですね。ここまでしないと、自然は創出されません」と中瀬はいう。その間のモニタリングを中瀬らがすることになっている。
 15年以上のアマモの研究は、千葉県の海岸で現在も実施している。アマモが生える場所を特定するシミュレーション技術などさまざまな技術も開発した。これらの技術は、土木と生物のコラボレーションによる成果である。