Human's voice 技術者たちの熱き想い

Human's voice 技術者たちの熱き想い

 海洋構造物をつくる仕事で、どうしても人手に頼らざるを得ない領域がある。それが潜水士の仕事だ。海中ロボットなど優れた機械も開発されているが、潜水士に勝るマルチな技能をもつ機械は今のところ存在しない。ところがなんといっても海の中での仕事であり、我々が目にする機会はほとんどない。知られざる潜水士の世界と彼らの仕事への想いは...。

潜水士は海のマルチ技能者

 「昔は腕のいい大工職人の10倍くらい(の給料を)取っていた」。

 長年、潜水士として活躍したベテラン潜水士の高橋は、こう語り始めた。「いまではそれほどではない」と笑うが、いかに潜水士が重用されていたかを物語る言葉だ。「潜りさん」という呼称は、彼らに対する親近感と同時に、尊敬とあこがれを象徴したものでもあった。

 とくに潜水の仕事が伝統的に受け継がれているのが、「南部もぐり」で知られる岩手県。高橋もここで育ち、日本で唯一、潜水技術を教える岩手県立種市高校に学んだ。

 なぜ潜水士はこれほど高い収入を得ることができたのか。それは潜水士の仕事の内容を見ると納得できる。

 たとえば防波堤の基礎部に投入される捨石の敷き均しやケーソン・ブロックの据付は、潜水作業なくして精度よく施工することは不可能だ。あるいは鋼材を使った岸壁、護岸、桟橋の工事では、水中での溶接や切断などの作業が必要になる。

 高橋は「鉄筋屋、鍛冶屋、大工など工事に必要なすべての専門工事の仕事をこなさなければならないのが潜水士」と話す。要するに、何種類もの専門技能者が手がける仕事を、1人でこなす海のマルチ技能者、それが潜水士だ。潜水士以外にさまざまな資格が必要で、高橋自身、「数えきれないわけじゃないけど、いろんな資格がある」と笑う。そしてなんといっても海の中。作業環境は厳しい。

ヘルメット式は潜水士のステータス

 潜水のスタイルには、伝統的なヘルメット式、いまやレジャー・ダイビングとなったスクーバ、さらにこの2つの中間的なフーカーの3タイプがある。最近ではフーカーを好む潜水士も若手中心に増えたが、高橋はあくまでもヘルメット式にこだわる。まるで宇宙服を連想させる、あの独特のスタイルだ。

 こだわるのは「やはり長時間の潜水性に優れ、安全性も高い」という信念からである。それでも「ヘルメット式で潜るのはベテランが多く、私が一番下の世代では」と残念がる。

 ヘルメット式は、すべて装備すると60キロもの重さになる。確かに行動性には欠けるが「でも海中に入れば潜水服の浮力を利用して数十キロもある捨石を持ち上げられるし、うまく利用すれば便利」と高橋は強調する。だがそのためには、「浮力の調整など、技能が要求される」スタイルでもある。

 これまで東京湾を中心に、人工島や沈埋トンネル工事に携わってきた。現在は、東京湾の新海面処分場の護岸建設工事が仕事場である。

 東京湾に限らないが、海中は透明な所だけではない。「濁って目の前は真っ暗。だから手探りでの作業になる」仕事もたびたび経験してきた。だがどんな悪条件でも、「確かに能率は落ちますが、きちっとした精度で仕上げてきたし、その自信がある」と自負する。これもヘルメット式潜水と無関係ではない。そのための技術・技能をみっちりと修得してきた。そうした裏付けがあって初めて口にすることができる言葉だ。

「上で一人前は下で半人前」

 潜水士は昔から職人の世界といわれ、師弟関係が引き継がれている世界だ。高橋は、いま「期待している若手のホープたち」と一緒に仕事することも多い。「そのたびに、『負けた』と思う仕事をすることが多くなった」と成長を喜ぶ。かつて先輩たちがそうであったように、自分の経験は惜しみなく伝えてきたつもりだ。だが潜水士の資格を取っても1、2年は船上で手元と呼ばれる送気員の仕事がある。潜水士に空気を送り命を預かる大切な仕事だが「上(手元)の仕事が一人前で、下(潜水作業)は半人前」といわれるほど、潜水作業はさらに技術や技能が要求される。

 しかも海の中だけに、なにかあったら生死にかかわる。「服が破けても水は首までしかこないので大丈夫」だし、空気の供給が止まっても「ヘルメットと服の中の空気で2、3分はもつので心配ない」と意に介さない。「むしろ怖いのはパニックになること」というが、ここまでの領域に到達するには、相当な経験が必要なのはいうまでもない。

 もう一つ、潜水病の心配もある。体の節々に激痛が走り、バラバラになるような感覚に陥る潜水病の怖さは、潜水士なら誰でも知っている。ゆっくり浮上すれば問題はないのだが、それでも潜水病が起きるのは、注意を怠り急に浮上してしまうからだ。

 「数10mの潜水作業になると、減圧に2時間ということもあります。その間はじっとしているわけですが、冬場の作業になると、作業中の汗で濡れた肌が冷えるし、歯はガチガチと鳴ります。それでついおろそかになりがちなのです」。防ぐ秘訣は「1にも2にも忍耐」。潜水士は耐える仕事でもあるが、幸いに高橋はこれまで潜水病の経験はない。

機械にはプライドがない!負けてたまるか!

 潜水の仕事は孤独だ。無線で船上と交信できるとはいえ、誰にも見えない場所で、孤独な作業が続く。極端にいうと、適当に息を抜いていても誰にもわからないのだ。

 「だからこそ、我々の仕事はプライドが大事なんです」。高橋はこう強調しながら「誰にもわからないからこそ、絶対に手抜きは許されない。機械にはプライドはないでしょう?」と続ける。プライドだけだと鼻につくが、「限られた時間の中で最大限にいい仕事をする。そうした信念でやってきた」というように、行動で示してきた。

 たとえば捨石マウンドの構築なら「3センチ以内の精度で仕上げる。それより悪かったらプライドが許さない」。もしケーソンが傾いたら、「プロとして恥」であり、そんな失敗は「冗談じゃない!絶対にない」といいきる。事実、発注者らに感謝され表彰されたことはあっても、クレームがあったことは一度もない。

 真っ黒に日焼けした精悍な顔。小柄な方だが、シャツからのぞく腕は太い。まさに海の男と呼ぶのがぴったりだ。妥協を許さない一徹さ、ほとばしるほどの仕事への情熱に、潜水士としてのプライドが加わる。

 これでは機械が勝てるはずがない。
 師弟関係で強く結ばれた潜水士の世界。先輩の教えは高橋に伝わり、さらに後進へと引き継がれようとしている。そこには厳しさの中にも、海の職人としての愛情があふれている。

より深く、より長く、より安全に。

ヘルメット潜水の基本装備

 長く続いた素潜りから、潜水に革命を起こしたのは、1650年に開発された空気ポンプである。1797年には金属製大型ヘルメット、銅製のベルトで構成した最初の実用潜水器が開発された。20世紀半ばの1943年には、ボンベに高圧空気を充填した自給気潜水器「スクーバ」が誕生し、今日の潜水技術の基本形が整う。

一方、わが国では安政4年(1857)に初めてヘルメット潜水器が導入され、明治時代になると海軍で製造が開始され、本格的な潜水時代の幕開けとなる。とくにゴム潜水服の製造は、日本のゴム工業の始まりとされる。
 
潜水士の作業スタイルは、ヘルメット、スクーバに加えて、これらの中間的な存在であるフーカーの3つがある。

ヘルメット潜水の長所は、長時間の作業ができることと安全性の高さだ。潜水服にためた空気を利用して重いものを扱うことができ、万一、送気が止まっても潜水服に空気があるので救助に余裕がある。寒冷水域での作業にも有利だ。しかし浮力の調整には熟練を要する。

スクーバは、潜水装置を潜水士自身で携帯するため、行動範囲が広く機動性に優れるといった特徴がある。ただ携帯する空気量により潜水時間が制限されるのが難点だ。

フーカーは、ヘルメットとスクーバの長所を兼ね備えたもので、近年は、その活動性からフーカー潜水が増えてきた。船上から空気を送ってもらうので作業時間に制約がなく、スクーバの機動性を備える。

潜水技術は、より深く、より長く、より安全にという観点から開発が進んできた。今日ではこの3つに行動的にという視点も加わり、技術の進歩と歩調をあわせるように、潜水士の活躍のフィールドは広がりつつある。