21世紀に伝えたい『港湾遺産』

[No.17] 石川・旧福浦灯台

地域の情熱が伝わる最古の木造灯台

 日本海の荒波を受けて険しい断崖が続く能登半島に、2つの深い入り江をもつ天然の良港・福浦港がある。その高台(標高14.6m)に立つ旧福浦灯台は一見素朴な建物だが、約400年も前から船舶の安全を見守ってきた日本最古の木造灯台だ。

 旧福浦灯台の歴史をたどると、慶長13年(1608)、福浦の村民である日野資信(ひのすけのぶ)が自分の船の目印にしようとかがり火を燃やしたのに始まる。これが北前船など他の船からも喜ばれるのを知った日野家は、代々灯台守を任じ1600年代末には灯明堂がつくられた。

 現在の灯台は、明治9年(1876)、日野家17代の吉三郎によって建設されたものである。四角形の直線的な形に下見板貼り、屋根に黒瓦を載せたつくりは、現在の灯台のイメージとは異なり、ちょうど高灯篭を連想させる素朴さである。

 基礎部の石垣部と合わせても高さは約5mほどとずいぶん低い。3層に分かれた内部もシンプルな構造だ。はしごで上り下りする内部は頭がぶつかるくらいの狭さで、最上部の三方に窓を配して光を沖合に送った。それでも光の到達距離は、6里(24km)の沖合までにも及んだという。

 灯台の管理は、明治末期に地元の福浦村に移管されるまで日野家がつとめる。これほど長い間にわたって一つの家系で灯台の火が守り続けられてきた事実は驚嘆すべきものがあり、航海の安全を守り続けた日野家代々の人たちの熱意が伝わる。

 昭和57年(1982)の調査で、灯台の棟木は吉三郎のほかに、棟梁の名前3人も墨書きされていることが発見された。大工名が発見されたことは、灯台の建築史の上でも重要な意義をもつ。西洋文化が移入していた明治9年(1876)の建設でありながら、あえて伝統的な形を踏襲しているところに、先人の情熱を長く伝えようとする日野家の人たちの思いが感じられる。

 昭和27年(1952)に役割を終えたが、忠実に当時の姿を残しており、昭和40年(1965)に石川県史跡文化財に指定された。

見た目は和風でも設備は洋式。紛れもなく灯台だ。

石垣の上に立つ姿は高灯篭を思わせる。高さも5mほどだ。

内部は狭い。小さな灯台でも光は沖合24kmまで届いた。