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宮坂 豊光(みやさか・とよみつ)氏
 1983年山梨大学工学部土木工学科卒、若築建設入社。大阪支店次長、建設事業部門土木部次長兼復興対策室長、東京支店次長(東北支店駐在・東北支店土木統括)、大阪支店副支店長、大阪支店長を経て、2016年6月に執行役員大阪支店長(現任)。宮崎県出身、61歳。
自分が主役だと思って取り組む
 1983年(昭和58)に大学を卒業し、若築建設に入社しました。入社式後に大阪支店姫路工事事務所への配属が決まり、その日のうちに新幹線で姫路駅に降り立ちました。駅には先輩社員が迎えに来てくれていて、田んぼの真ん中にある2階建てのプレハブの工事事務所に連れて行かれました。これが現場人生の始まりです。
 現場は国鉄(現JR)の仕事で、山陽本線の下の河道を拡幅する工事。施工は線路下のトンネル断面を箱型中空鋼製エレメントで取り囲み覆工するURT工法が採用されていました。今では考えられませんが、宿舎は事務所の2階。2部屋あり一つが所長でもう一つが私の部屋。こんな環境ですから仕事漬けの毎日でした。所長が料理に凝っていて、よく所長の手料理をご馳走になったのを覚えています。
 あれから38年。海上工事を中心に、共同溝や下水道管渠シールド工事など、いろいろな現場を経験させてもらいました。土木屋ですが滋賀県内の町民センター建築工事も担当しました。海上工事では関西国際空港1・2期、阪神大震災や東日本大震災の復興工事、羽田空港D滑走路の大規模プロジェクトにも携わりました。どれも思い出深い現場ですが、なかでも関西国際空港進入灯点検橋工事(和歌山側)は、初めてJVの主任技術者として工事を任された現場で、今でも印象に残っています。
 工事を受注したのは1992(平成4)年4月で、ちょうど32歳の時です。飛行機を誘導するための進入灯を点検するための小さな橋梁を滑走路延長線上に構築しました。陸上に橋台1基、護岸法線から約500mまでの海上に橋脚8基を施工し、そこに工場製作した単純箱桁、3径間連続箱桁、4径間連続トラス橋を架設しました。橋脚は鋼管4本を1セットとした斜杭基礎構造で、その上部を巻き込むように箱桁の上部コンクリートを打設しました。どの工種も初経験でした。
 一番苦労したのは鋼管杭の打設です。当時、杭打ち船の位置決めに利用するRTK―GPSも、打設管理システムもありません。杭打ち船や鋼管杭の誘導から打設管理まで全て既設護岸上に記した誘導点、水準点からトランシットとレベルでの視準が基本でした。斜杭はある深度までは自沈したのですが、それからはディーゼルハンマーで打設しました。ただ、支持層が堅く、打設完了時にチャックを外すと杭頭が跳ね上がる傾向があり、その後の杭頭の結構作業は苦労しました。
 橋桁を据え付ける法線と沓座の位置決めも大変でした。橋脚の微妙な揺れに加え、陽炎が邪魔をし、測量のたびに落とす点が変わり、どれが正しいのか分からなくなりました。そこで、早朝の凪いだ時間帯で、日の出前の陽炎の影響が少ない短時間で、何度も何度もポイントを出しましたが、結局、最後は私の判断でポイントを決めました。橋桁を架設する際はドキドキでしたが、許容誤差内に設置でき、無事竣工を迎えました。
 竣工検査の際、検査官から検査終了を告げられ「ご苦労さま」と声をかけてもらった時、思わず涙ぐんだのを覚えています。先日、約30年ぶりにこの進入灯点検橋に行く機会がありました。当時と変わりなく、今も飛行機を誘導する進入灯をきちんと支えていました。すっかり忘れていましたが、橋脚の脇に取り付けられた銘板に施工業者として当社名が書かれているのを見て、感無量でした。
 我々の仕事は形に残るだけでなく、後世の人たちにも役立つものを造る仕事です。若い人たちには常に自分が主役だと思って、誇りと自信を持って取り組んでほしいと思います。
検査完了後に撮影

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