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大下 英治(おおした・えいじ)氏
 1988年広島工業大学工学部土木工学科卒、りんかい建設入社。国際支店工事部工事課主事、土木事業部復興対策本部課長、土木事業部企画部長、土木事業部長などを経て、2016年9月から現職。広島県出身、54歳。
入社から5年、海洋工事の基本をすべて学ぶ
 父が建築関係の仕事をしていたこともあり、建設業界は子供のころから割と身近な存在でしたが、大学は父とは違って土木へ進みました。
 1988年4月、りんかい建設に入社し、最初の配属先が福岡支店です。福岡なら地元の広島からそれほど離れてはいないので、軽い気持ちで支店へ赴くと、いきなり「職場は沖縄」と告げられ、えっ、と驚きの声を上げてしまいました。
 当時、沖縄の那覇港では新港地区の防波堤の築造工事が盛んに行われており、当社も現地に事務所を設けて何件もの工事に携わっていました。入社から1993年までの5年間、途中の一時期、東京支店で羽田空港の現場に関わった以外はほぼ一貫して那覇港で仕事をしたことになります。大学まで水泳部にいて海が好きだったこともあり、自分の原点になった仕事として那覇港の防波堤工事は一番の思い出に残る現場です。
 防波堤の築造工事は、海底の土台づくりからケーソンの製作と据え付け、被覆石の投入、上部コンクリート打設まで様々な工程があり、海洋工事の基本中の基本ともいえます。5年の間に防波堤工事のすべてを学んだといっても過言ではありません。
 1980年代の末から90年代の初めといえば、ちょうど情報通信機器が出始めたころです。今のICT施工の黎明期といえるかもしれません。手書きだった施工計画書をワープロで作ってみたり、パソコンが出ると表計算ソフトを使ってみたり。海上の現場にも携帯できるポケットコンピュータや、肩掛け式の大きな携帯電話も使ってみました。新しい機器が出るたびに自分で買っていろいろ試したことは、楽しい思い出と共に良い勉強にもなりました。
 1992年には1級土木施工管理技士の資格を取得し、まだ20代ながら1件の工事の現場代理人を任されました。沖縄は気候の良い所ですが、海洋工事では夏場は台風、冬場は冬季風浪に悩まされます。とりわけケーソンの据え付けでは、前後の作業も含めて事前に万全の準備を整え、綿密にスケジュールを組み立てる必要があります。1回のチャンスを逃せば次はなかなか巡ってきません。
 毎日作業が終わると、他社の工事の現場代理人も一緒に発注者の事務所に集まります。ここで報告・連絡事項の後、気象・海象についての非常に詳しい解説が行われ、専門知識をみっちりと教え込まれました。もちろん駆け出しですから失敗もあります。私の計算ミスが原因で、一度出来上がっていた物揚場のコンクリート舗装の小口止めを全部やり直したことも。失敗も含めて技術者として多くの大切なことをここで経験しました。
 那覇港での勤務を終えた後、サモアやインドネシアなど海外のプロジェクトにも多く携わり、社外の研究機関への出向や、震災の復興工事の現場などいろいろな経験をしてきました。いつも新たな経験が転機となり、そのたびに自分の世界が広がりました。
 建設会社に入ると、どこに行かされるかは分かりません。どこに行っても、そこを楽しむことが大切だと思っています。今、会社に入ってくる若い人たちには「自分の望んでいなかった所に行くことになるかもしれない。でも、実はそちらの方に本当の自分がいる可能性もある」と伝えています。
現場で仲間と共に(右から3人目)
製作中のケーソン

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