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木和田 雅也(きわた・まさや)氏
 1977年大阪市立大学工学部土木工学科卒、東洋建設入社。2010年執行役員土木事業本部土木部長、2011年執行役員土木事業本部副本部長兼国際企画部長、2013年常務執行役員土木事業本部副本部長兼国際企画部長、2014年常務執行役員九州支店長、2018年4月から専務執行役員九州支店長。兵庫県出身、63歳。
神戸港の緊急復旧に生きた経験
 1995年1月17日。この日起きた阪神・淡路大震災は神戸港の施設に壊滅的な被害をもたらしました。港の機能がすべて回復するまでにはおおむね2年を要するといわれる中、復旧工事中のコンテナターミナルの機能を補完するために桟橋埠頭の緊急整備が計画され、当社が受注したのが「六甲アイランド地区岸壁緊急復旧工事」です。
 延長350mの桟橋埠頭を施工するのに、発注者の運輸省第三港湾建設局(現国土交通省近畿地方整備局)から示された工期はわずか半年。阪神地域を地盤としてきた当社としては、何としてもやり遂げるという強い思いがありました。
 大幅な工程短縮策として採用されたのが、上部工の構造物の大型プレキャスト化です。これによって作業能率が上がり、安全性や品質の向上も図れます。鋼管杭の打設作業と並行し、現場から8㎞ほど離れた鳴尾浜のケーソンヤードで上部工とPCホロー桁を製作することになりました。私は当時勤務していた淡路島から現場に呼ばれ、「桟橋上部工」班の中心として設計や製作指導に明け暮れました。上部工は14ブロック製作し、7基ずつ2回に分けて据え付けるという手順です。起重機船で吊り降ろした上部工の鞘管に杭頭がぴたりと納まった時の安堵感は今も忘れません。
 この工事がうまくいったのには、実は大きな理由があります。震災から5年ほど前に手掛けた工事で原型となる技術を考案し、完成させた経験があったのです。淡路島の津名港に大阪湾フェリーが発着する桟橋を造る仕事でした。淡路島に赴任して5年。35歳の頃です。会社から「淡路島統括」を命じられ、自ら営業して受注した民間の工事でした。
 杭式桟橋の上部工を現場打ちで施工しようとすれば、支保工や型枠の一部は水中となり、潮間作業を強いられます。職人も作業が大変な上、安全と品質の管理にも多くの手間がかかります。できるだけ陸上作業でできないか、と考えたのが発端でした。
 近隣に製作ヤードを確保できるか、運搬は可能か、鋼管杭とプレキャスト部材の接合方法は、架設時の残留応力対策は、費用は割高にならないか…。検討事項は多岐にわたりました。
 幸運にもヤードは岸壁背面の土地を県から借りることができ、そこから起重機船で吊って旋回すると据え付けが可能なことが分かりました。杭との接合には高強度の無収縮モルタルを使うことで強固な固定が可能です。残留応力の問題は、杭頭の高さをH形鋼で調整した上、硬質ゴムをクッションにすることで解決しました。
 地元の関係者との調整がスムーズにいったことも成功要因の一つです。淡路島へ来て5年のうちに、多くの人たちとの間に人脈や信頼関係ができていました。そうした技術以外の大切なことを学んだのもこの工事です。
 淡路島での経験が、大震災という緊急時に生きることになりました。あれから24年。復興を遂げた神戸港を見ると、自分のやってきた仕事が世の中の役に立ったのだと、今でもうれしく、誇らしい気持ちになります。
起重機船を使った上部工ブロックの設置作業
わずか半年の工期で完成した桟橋埠頭

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