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本多 將人(ほんだ・まさと)氏
 1984(昭和59)年近畿大学理工学部土木工学科卒、東亜建設工業入社。2003(平成15)年土木本部設計部西日本設計センター課長兼大阪支店土木部技術課長、2007(平成19)年土木事業本部設計部陸上グループリーダー、2012(平成24)年土木事業本部設計部長、2015(平成27)年中国支店長、2016(平成28)年横浜支店長、2017(平成29)年執行役員横浜支店長。大阪府出身、56歳。
チャレンジ精神を育んでくれた職場
 横浜とは深い縁があるようだ。
 入社2年目。本社設計部からの配属先が、横浜支店大黒町作業所だった。初めての現場経験。「右も左も全く分からない状況」で放り込まれ、内勤部署との違いの大きさに面食らった。当時、現場の先輩はとても厳しかった。新人の身には余計そう映ったのかもしれないが、翌日作業の段取りが不十分だったときなどには、「何やってるんだ」と、大勢の職員がいる前で大声で叱咤されることもあった。
 いま振り返ると、先輩の仕事に対する厳しい姿勢には、後輩の指導係としての役割を意識した面があったのかもしれない。「設計部にいたのだから、このくらいの計算は出来るだろう」と地盤改良工事のための海上測量台の計算をする機会を与えてくれ、「ここが間違っているよ」と最後まで付き合ってくれた。厳しくも後輩思いの先輩からは、基礎から仕事の手ほどきを受けた。
 計算書が出来上がると今度は「実際に作ってみよう」と海上測量台の製作を任せてくれた。海上櫓の設置から測量台の組み立てを担当し、最終的に測量ポイントを設置するための足場板を敷いたところ、測量墨が足場板の間に落ちることが分かり、慌ててベニヤ板を打ち付けて墨を打ち直した。先輩からは「測量精度は良かったが、出来映えはバツ」と怒られたのを覚えている。とても貴重な経験となった。
 その後もいろいろな施工管理を担当しながら、設計計算があるたびに「まずはやってみよう」と自分で計算し、支店にチェックしてもらうなどして、現場での仕事を覚えていった。上司も「やってみなさい」という雰囲気で、充実した毎日だった。仕事にも慣れてきた現場6年目に担当したのが、大黒ふ頭のP3バース改良工事である。工事名称は「横浜大黒地区岸壁(−7.5m)改良工事」。発注者は当時の運輸省第二港湾建設局。鉄鋼上屋の沈下対策として既設岸壁(鋼矢板式護岸)の背面に桟橋を作る工事で、この現場でも鉄筋の拾い出しから材料注文、測量計画や型枠計算など、現場でできることをどんどんトライさせてもらった。
 工事の手順は、既設エプロン舗装をはがし、新設する受け梁の基礎杭として鋼管杭を打設。護岸背面を±0まで掘削した後、受け梁の鉄筋を組み立て、コンクリートを打ち、PC鋼線を挿入して緊張。梁間にPC床版を設置し、鉄筋を配置、コンクリートを打設して一体化を図る。最後にコンクリート舗装をして完成となる。
 難しかったのは受け梁の型枠工事。型枠を設置するために支保工を立てたかったが、掘削後の地盤は干満の影響を受ける上に、沈下の恐れもあった。そこで既設のクレーンレールを利用してH鋼を受け流し、吊り支保工で型枠を受けることにした。コンクリート打設中は、計算上の変位で収まるかどうか、梁下に潜り込んで確認したことを今でもよく覚えている。工期にあまり余裕がなく、台風で足場が壊れるといったアクシデントもあった。今でも鮮明に記憶しているのは、苦労して竣工検査を受けた桟橋の上から、夕日に映えるきれいな富士山が見えたことだ。あの景色は脳裏に焼き付いている。
 ちょうど同じ岸壁で現在、工事が進行中だ。関東地方整備局発注の「横浜港大黒地区岸壁(−12m)(改良)築造工事」(施工=東亜建設工業・みらい建設工業・りんかい日産建設JV、工期=2017年10月30日〜19年3月29日)。昨年、技術提案で受注することができた。起工式の日、同じ岸壁に立ち、新米技術者として駆け回った当時を思い起こした。岸壁から見る横浜の街並みは大きく様変わりし、まさに隔世の感を覚える。ふと同じ角度で見上げると、そこにはあの日と同じ富士山の姿があった。

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