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川村 功(かわむら・いさお)氏
 1982(昭和57)年日本大学生産工学部土木工学科卒、株木建設入社。2011(平成23)年茨城本店土木部工事長、2014(平成26)年茨城本店土木部次長、2017(平成29)年茨城本店土木部部長。茨城県出身、58歳。
〝美装〟通じて技術者のプライド実感
 大学で土木工学を専攻したのは「建築よりもスケール感があり、大きな仕事に携わりたいという願いを叶える」ためだった。就職活動を行った1980年代前半は就職難の時代。試験が受けられる会社を探すのも大変な中で、「地元の茨城県に拠点があり、仕事を通じて地域貢献もできる」という理由から、株木建設への入社を決めた。
 最初に配属されたのは茨城県日立市で施工した下水処理場の建設現場。現場管理のイロハを一から学んだが、「学生時代に工事現場でアルバイトをしていたこともあり、職人さんと一緒に体を動かすことも多かった」という。先輩には「それはおまえの仕事ではないとよく怒られていた」そうだが、「最前線の大変さを身を以て知ることは、その後の仕事でも大いに役立った」と若かりし日を振り返る。
 現場代理人として2004(平成16)年6月から携わった「鹿島港中央防波堤本体工事」は、15.0×16.2×12.0mという大きさのケーソン2函を約半年間で製作するプロジェクト。鹿島港にある国土交通省のドライドックは製作できるケーソンの高さに制約があり、運び出した後に1.5m分を海上で打ち足す作業が必要だった。
 ケーソン製作は若い頃に日立港で経験したが、所長として陣頭指揮を執ったのは鹿島港が初めて。「同じ土木でも陸と海では条件がまったく異なる。スケールの大きさ、天候の変化を読む力…。経験と知識が必要だと感じた」そうだ。そうした中で、工事の責任者として「現場をいかに効率的に運営するか。工事関係者に気持ち良く働いてもらうことにとにかく腐心した」といい、「国土交通省の監督職員と一体になり、様々な問題を解決したことは自分の糧になった」と今でも感謝している。
 ケーソン製作の仕上げ工程で使われる〝美装〟という言葉も、この時初めて聞いた。「この言葉を聞いた時、海上工事の関係者が持っているプライドを感じることができた。技術職は〝自分が造った〟という満足感が得られる仕事。茨城県は自分の出身地でもあり、誇りとやり甲斐を実感できた」と語る。
 工事ではもう一つ、思い出に残っていることがある。それは社会インフラの重要性をより多くの人に知ってもらい、同時に建設業のイメージアップを図るという広報活動だった。
 「一体どうすればいいのか頭を悩ませた。そんな時に思い付いたのは、現場に人が来ないなら集めてしまおうというアイデア」だった。現場近くの福祉センターに場所を借りフリーマーケットを開き、同時に鹿島港整備の情報も発信した。
 協力会社を含めて準備は大変だったが、「近隣の方々など多くの人に来場いただき、結果的に大盛況で終えることができた」といい、この取り組みが評価され「発注者から表彰を受けたのは思い出深い出来事」と話す。
 現場を離れ、統括管理の立場に就いたのは3年前。現場で汗を流す部下や後輩に「大丈夫か、無理はするな」と話し掛けることを心掛け、「事故がなく笑顔で現場を終える。心を一つにして頑張ってほしい」と常に願っている。
ドックから引き出したケーソン
フリーマーケットは多くの来場者でにぎわった

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