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横山 純一(よこやま・じゅんいち)氏
 1982(昭和57)年芝浦工業大学土木工学科卒、本間組入社。東京支店で都市土木工事、新潟本社で海上土木工事に従事。中越地震発生後には関越自動車道の応急復旧工事に携わった。2001(平成13)年土木本部第一部工事課長、2005(平成17)年同土木部工事部長、2011(平成23)年東北支店土木部長、2014(平成26)年土木事業本部土木部長を経て、2016(平成28)年4月から執行役員九州支店長。1957(昭和32)年7月14日生まれ。
日本海側初の沈埋道路トンネル工事
 大学を卒業して土木技術者として会社に入ってから、約20年間現場で仕事をしてきた。駆け出しの頃、東京・臨海副都心の有明南地区で共同溝築造工事を担当し、土木技術者の基礎を身に付けた。次の配属先である新潟本社では沈埋トンネルや離岸堤など海上土木工事に従事した。
 国土交通省北陸地方整備局発注の「平成11年度
 新潟港(西港地区)道路(トンネル)左岸擁壁部(その2)工事」は、信濃川河口の両岸を結ぶ「新潟みなとトンネル」のうち、沈埋トンネルに接続する左岸側道路の擁壁を220mにわたって構築する仕事だった。
 「日本海側初の沈埋方式による道路トンネル工事で、注目度が非常に高いプロジェクトでした。作業所長として初めて経験する大型工事でもあり、大きなプレッシャーを感じました。U字型の擁壁は高さが2・8〜11m、幅が27〜31・5m。3社JVの現場で指揮を執りました。若い頃に従事した臨海副都心での経験と、そこで培った技術者としての自信が役立ちました」。
 仕事を俯瞰的に捉えて流れをつかみ、とにかく現場に足を運んで問題意識を持つ。そして無駄な動きや無理な動作を排除して、仕事に集中できる環境を整える。大型工事で陣頭指揮を執り、しびれるような緊張感を味わいながら最優先に考えていたのは「仕事がしやすい環境づくり」だったと振り返る。「仕事に集中できればそれだけ生産性は向上します。元請会社と協力会社がよく話し合い、時に互いの意見をぶつけ合うことは、結果的に風通しの良い環境を作り出し、信頼関係を強くします」。
 信濃川河口での工事は気象条件が厳しく、特に冬場は北西の季節風が強く吹きつけ、極寒の中での作業になる。コンクリートの打設日に照準を合わせ、その日に向かって作業を進めた。作業の流れをつかみ、現場関係者の動線に無駄が出ないよう、とにかく気を配った。「全部で1万8000m3のコンクリートを打設し、多い時には一度の打設量が1500m3にも達しました。夏は暑く、冬は極寒という寒暖差の激しい現場でコンクリートの品質をどう確保するのか、その1点に腐心しました」。
 更地の状態から最終的に構造物が完成するまで約7年間、継続して工事に携わった。工事の終わり間近には現場を離れ会社に上がるという人事の内示を受けていた。「大型工事の作業所長を経験して、まだまだ現場の第一線に立っていたいという思いも正直ありました。竣工検査を受けた日、発注者に声を掛けてもらった時には無事完成することができ、達成感よりも安堵感の方が強かった記憶があります」と話す。
 決しておごらず「自分に与えられた役割をきっちりと果たし、淡々と構造物を造って生活に役立ててもらう」ことが土木技術者の矜持。本社勤務の頃は毎日、新潟みなとトンネルを通って通勤し時折、工事に携わっていた時の苦労や楽しさを思い出していた。
 「ものづくりの根幹は現場をしっかりと見ること。今の現場はやらなければいけない仕事が増えていますが、技術者としての基本は変わっていません。仕事の流れを的確につかみ、折り合いを付けていく能力が求められています。若い技術者には現場をくまなく観察して職人ととことん話をしてほしいと思っています」。
 出身地である新潟の地で、作業所長として生活に役立つ構造物を造る仕事を担当したのは感慨深い経験だった。「若い技術者の道しるべになって会社の発展に貢献する」ことが自らに与えられた使命の一つだと強く感じている。
擁壁部工事の様子㊧と完成した道路の全景

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