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赤木 政義(あかぎ・まさよし)氏
 1975(昭和50)年津山工業高校土木科卒、大本組入社。2011(平成23)年土木本部工務部部長、2016(平成28)年4月広島支店土木部長。1956(昭和31)年4月2日生まれ、61歳。
技術者の基本は〝常に確認〟
 大本組に入社したのは1975(昭和50)年。以来約40年にわたって現場での仕事に従事した。「入社して技術者として初めて配属されたのが浜田港(島根県浜田市)の改修工事。覚えなければならないことは山ほどあり、とにかく体を動かし目で見て耳で聞き、必死に仕事と向き合っていました」。
 同社にとって浜田港改修は、施工する海洋土木工事の中で大きな比重を占めていた。当時のケーソン製作方法は「ドライドック方式」や「陸上製作、斜路進水方式」、「大型起重機船吊上げ方式」に限られていた。浜田港とその近郊に対応可能な施設はなく、大型起重機船の回航、長期拘束も無理な状況だった。そこで従来は船舶の修理建造に使用されていた「浮き乾ドック」に着目し、これにケーソン製作に必要な設備・機器類を搭載した日本初の「フローティングドック(FD)工法」を開発した。同工法は浜田港で初めて公共事業に採用された。入社後に最初に担当したのが、2500t積載型のFDを使い、ケーソンを製作する工事だった。現場では「全6工程のケーソン製作のうち、4工程までをFDの船体内で行い、残り2工程を海底のマウンドに沈設仮置きした後行うという、当時としては画期的な工法」が使われていた。新人だった頃を振り返り「最初の進水で巨大なコンクリート構造物が浮いた時の驚きと感動は今でも忘れていません」と話す。
 日本海側にある浜田港は1971年1月、冬季波浪によって防波堤が壊れる災害が発生していた。当時の港は防波堤が1カ所しかなく、「港湾ランク4という海象条件の悪い地区で、工事が天候に左右されやすい」場所だったそうだ。
 「海が荒れた時には船員と一緒に、FDを係留するロープの取り直しや増し締めを行いました。海が時化(しけ)ると、FDは暴れ馬のような状態になります。直径100ミリの係留ロープでも破断してしまう恐れがあり、荒天時には『お願いだから切れないでくれ』と、ひたすら祈っていました」。
 土木技術者として必要な基礎を学んだ浜田港の改修。楽しく充実した思い出がある一方で、胸に刻まれた苦い経験もある。工事では防波堤によってさまざまな寸法のケーソンを製作した。ある時、安定計算の確認が取れないままバラスト水の数値を指示してしまったことがあった。その結果「FDをゆっくり沈めると垂直なはずのケーソンが目の前で傾き始めました。幸い転倒という最悪の事態に至りませんでしたが、基本中の基本である『確認して行う』ことを怠った自分を、今でも悔やんでいます」。
 技術者として長い時間を現場の最前線で過ごしてきた。40年に及ぶキャリアの7割で海上土木工事に従事し、浜田港の工事には15年近く携わった。過去の経験から学んだのは、技術者には状況を冷静に分析し決断を下す判断力が不可欠なこと。特に海上土木工事は気象・海象条件の影響を受けやすく、作業を進めるかどうか判断を迫られる場面に度々直面する。現場で奮闘する後輩たちを思いながら「決断には勇気が必要ですが、第一線に立つ技術者には『途中でも止める』という判断力を持ってほしい」と願っている。
 現在は土木部長の役職に就き現場の管理・支援を行う立場になった。現場で得た経験から部下には「常に確認を心掛けるように指導している」という。技術者としての原点である浜田港を「第二のふるさと」だと話し、「浜田港を拠点に全国各地を飛び回るような技術者生活でした」と笑顔を見せる。
2,500t積載型FD㊧と浜田港全景㊨

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