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細坂 晋一郎(ほそさか・しんいちろう)氏
 1979(昭和54)年日本テトラポッド株式会社(現株式会社不動テトラ)入社。2008(平成20)年横浜支店長、2010(平成22)年東北支店長、2012(平成24)年執行役員、2016(平成28)年常務執行役員。東京都出身、60歳。
激務に耐え成し遂げた震災復旧
 1995(平成7)年1月17日に発生したマグニチュード7・3の巨大地震は兵庫県南部を中心に、神戸市など各地に甚大な被害をもたらした。阪神・淡路大震災の発生当日を振り返り「早朝から時間の経過と共に被害の全容が明らかになっていき、新たなニュースが届くたびに緊張感が高まった記憶がある。会社では、直ちに対策本部を立ち上げ、状況の把握や支援策の検討に入った」と話す。
 しばらくした後、被災した港湾施設の復旧工事に携わるため神戸に向かった。「神戸に近づくにつれて変わっていく街の姿に目が釘付けになった。新神戸駅から三宮地区に向かう道路は、まるで戦争で空爆を受けたような有様だった」。
 ダメージを受けたポートアイランドの護岸を復旧するため、神戸営業所に招集されたメンバーは現場近くに用地を確保し、神戸復興工事事務所を開設した。
 最初に提供されたのはわずか2枚の図面。護岸の構造などはほとんど情報がなく、現地調査から復旧方法の検討、断面図の作成、数量計算、工事費積算まで、とにかく遮二無二取り組んだ。
 調査を昼間に実施してその成果を基に夜間に図面等を作成し、翌朝までにまとめ発注者(国土交通省(旧運輸省))と打ち合わせを行う。「担当者は徹夜の毎日だったし、島から役所に向かう道は大渋滞。連日時間との戦いで思わぬ切迫感を味わった」という。
 苦労を重ねてようやく現場での作業が始まったある日、現場代理人が体調の異変を訴え、戦線を離脱する事態に陥った。
 「会社は現場の状況を考え、まだ若かった私を現場代理人に指名した。はじめのうちは作業がなかなか進まず不安を感じたが、徐々に工事が軌道に乗り始めると私も周囲がよく見えるようになった」
 現場代理人として気を配ったのは工事の進ちょくはもちろん、現場で苦労を共にする仲間たちの体調だった。「重要な工事で全員気を張ってはいたが、疲労は隠せない状況だった。社員を交代で帰宅させ、月に2回は完全休養日を設けていた」そうだ。
 工事は地震によって沈下・はらみ出した護岸と後背地の復旧、没水した防波堤のかさ上げが主な作業内容だった。
 「開いた目地の隙間から裏込材が吸い出された護岸の修復、防波堤復旧での水中不分離コンクリートの採用など、技術者として学ぶことも多い現場だった。激務だったが、工事が無事故で無事竣工した時には本当に安堵し、気が抜けたような思いがした」
 神戸港での復旧工事を経験し「災害が起きた場合どの段階で何をすべきかは、その後に大変参考になった」。東北支店への赴任は2010(平成22)年7月。9ヵ月後に発生した東日本大震災では、地震発生直後から初動対応に奔走した。
 これまで幾つかの自然災害の被災地で復旧の最前線に立ってきた。「神戸の現場で一緒に働いた仲間も社内に残っているのはわずかになった。けれども苦労を共にし時間を共有した思い出は、今も消えていない」と話す。そして「災害の記憶を風化させず、次の世代に伝えていく」ことが、自らに与えられた使命の一つだとも感じている。
ポートアイランドの護岸復旧現場
神戸復興事務所での仲間との1枚(後列右から3人目が本人)

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