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松尾 史朗(まつお・しろう)氏
 1982(昭和57)年五洋建設入社。東北、東京地区の港湾工事や空港工事などに従事。2009(平成21)年千葉工事事務所土木総括所長、2010(平成22)年東京土木支店工事部長、2012(平成24)年土木本部土木部長、2014(平成26)年土木本部副本部長兼土木部長、2015(平成27)年から現職。武蔵工業大土木工学科卒。長崎県出身。57歳
土木屋としての誇りを
 1982(昭和57)年に入社し、28年間現場に従事した。海上・陸上工事の両方を担当し、その割合は半々程度。このうち海上工事は主に外洋工事に携わった。その外洋工事の基礎を学んだのが、20代に担当した相馬港防波堤および岸壁工事だった。
 相馬港の工事を担当したのは入社後の半年間と3〜5年目までの3年間。入社1年目は沖防波堤の捨石工事やケーソン据付工事などを行い、3年目以降は沖防波堤だけでなく、北防波堤や岸壁の築造工事なども担当した。
 「事務所には当時、職員が12〜13人いましたが、一番の若手でしたから何でもやりました。相馬港は港湾ランクで6という海象条件の悪い地区で、天候によって施工が左右されます。このため、朝夕にラジオで気象情報を聴き、自分で天気図を作成していました。その予報と早朝の海の状態を見て、工事の実施を判断していました」。
 防波堤の築造工事ではケーソン据付や中詰砂投入、蓋コンクリート、根固ブロックの据付など一連の作業として3日間が必要となる。凪の状態が3日間続くかどうかを予測するため、いろいろな情報を集めた。「地元の漁師さんから〝あの磯に波が上がると翌日はしける〟という話を聞き、これは貴重な情報源になりました。いろいろなアンテナを張っておくことの大切さを知りました」。
 外洋工事は波浪の影響を受けやすく、その作業の場面ごとに危険を察知する能力が求められる。そうした危険防止も教わった。「何かを始める前に必ず一拍置くようにしました。ワイヤのフックに何かをかける際、フックがどう揺れるのかまず確認します。外洋では急に高波が来ることもありますから、こうした些細な注意が事故防止につながります」。
 工事中止の判断を誤り苦い経験もした。ケーソン上部工の型枠を組んでいる際、途中から海象条件が微妙に変化してきたのに気づいたにもかかわらず、翌日のコンクリート打設の準備をしていたため、作業を続行した。結果、その夜に海がしけ、すべての型枠が流された。「なぜ、あの時工事を止められなかったのかと、後悔しました。工事の中断は勇気が要ります。現場の第一線にいる技術者は作業の途中でも止める勇気を持ってほしい」。
 今でも現場にできるだけ足を運ぶ。その度に現場は楽しいと思う。土木屋として手がけてきたモノが少しずつできあがり、完成した時の達成感や喜びは何ものにも代えられない。「完成時の喜びは工事に携わったものだけが分かるものです。ただ、私の場合、それ以上に作業員や作業機械などをどのように効率的に働いてもらうかというのを考えるのが好きでした。例えば作業終了時に建設機械を明日の作業位置に移動させる。それだけで翌日、朝礼後にすぐに作業に入れます。ほんのちょっとの工夫やアイデアで作業効率が上がります」。
 2011(平成23)年の東日本大震災で相馬港は甚大な被害を受け、沖防波堤などは倒壊した。妻の実家が相馬市内にあることもあり、震災後間もなく被災地を訪ねた。「防波堤は無惨な姿でしたが、地元の方から〝防波堤は頑張ってくれた。防波堤がなければ被害はもっと大きかった〟と聞いた時、胸にこみ上げるものがありました。土木屋の誇りを感じた一瞬でした」。
ケーソン100函の据付終了後に全作業員で記念撮影した。

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