title
title
title
Back Number

天野 秀(あまの・すぐる)氏
 1977(昭和52)年臨海土木(現りんかい日産建設)入社。福岡支店、国際事業部イエメンアラブ事務所などを経て1982(昭和57)年福岡支店土木部、2001(平成13)年同支店土木部長、2006(平成18)年九州支店長、2009(平成21)年取締役九州支店長、2011(平成23)年取締役執行役員東京土木支店長。熊本大学工学部土木工学科卒。福岡県出身。63歳。
前向きな気持ちをもつことが大切

 初めて現場所長を務めた工事は、技術者にとって忘れられないものだ。発注者と円滑にコミュニケーションを取り、工期内に無事故で工事を終える。部下や下請企業を上手に指揮し、最終的には利益を上げて会社に貢献する。こんな様々な思いを胸に秘めて、現場に乗り込むのだろう。
 入社して9年目の1986(昭和61)年の春。初めて現場所長を任されて赴任したのが、大分港(大在地区)防波堤(北)工事(第6次)。「この現場は初所長だけでなく、初めて経験するケーソン工事、結婚後に初めて単身赴任する現場でもありました」。
 同工事は、ケーソンを製作し、所定の位置に据え付けて防波堤を整備する。FD(フローティングドック)でケーソン2函(1函当たり2,112トン)を製作し、すでに製作済みのケーソン2函と合わせ、4函を据え付ける。発注者は運輸省第四港湾建設局(現国土交通省九州地方整備局)。工期は1986(昭和61)年3月〜6月。
 「現場に乗り込む際、私がよほど頼りなかったのか、支店の土木部長が一緒に来てくれました。高速道路がまだ整備されていなかったので、福岡から山を越えて、大分港の現場に入ったのを覚えています。土木部長はそのまま3〜4日滞在し、工事事務所の設営や下請企業へのあいさつなどに付き合ってくれました」。
 入社してすぐに福岡支店に配属され、港湾工事を担当。その後、イエメンに赴任し、海外でも港湾工事を経験したが、ケーソン工事を担当したことはなかった。初経験の工事に不安な気持ちもあったが、優秀な部下や下請企業を付けてもらったせいか、工事は順調に進んだ。「技術的なことで苦労した記憶はありません。最も気にしていたのが、発注者とのコミュニケーションをどう取っていくかでした」。
 34歳で初めて現場所長となり、現場の中では会社の代表者でなければならないという気負いが、発注者との対応に思い悩んだのかもしれない。その際、いろいろと相談に乗ってもらったのが隣接する工区の他社の所長だった。
 「会社の枠を超えて、他社の所長にはお世話になりました。食事に誘ってもらい、いろいろなアドバイスを頂き、育ててもらいました。それが技術者としてのその後の大きな糧になっています」。
 その後、九州地区の港湾工事を中心に数多くの現場所長を務め、博多港の大規模な浚渫・埋立関連工事では1994(平成6)年から8年間、作業所長を務めた。2001(平成13)年に九州支店土木部長に就き、現場を離れたが、「入社後約24年間の現場生活は楽しかった」という。
 いま、若い技術者が港湾工事の世界になかなか入職してくれない。どうすれば港湾工事の面白さを若い人たちに伝えられるのかと悩む。「休日が取れない、転勤が多いなど。若い技術者が嫌う理由はたくさんあります。そうしたマイナス面ばかり見るのではなく、もっと前向きな気持ちを若い技術者にはもってほしい。港湾工事は多くの人が参加して、一つの構造物を造り上げます。その中でいろいろな人と出会い、交流することが、技術者を成長させ、新たなチャンスを広げてくれます。あらゆることを前向きにとらえる。そんな気持ちを大切にしてほしい」。
位置図
1990年代の大分港の大在地区の整備状況
提供:大分県

Back Number