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原田 英知(はらだ・ひでとも)氏
 1982(昭和57)年本間組入社。新潟、東京、九州地区の港湾工事に従事。2001(平成13)年東北支店土木部工事課長、2009(平成21)年同土木部長、2011(平成23)年名古屋支店土木部長、2014(平成26)年土木事業本部機電担当部長。東海大学海洋学部海洋土木工学科卒。新潟市出身。58歳。
自分で見て考える「答えは現場にあり」

 「どの現場にもいろいろな思い出があるのですが、なぜかこの現場が思い浮かんだのです。若い頃から鹿児島に縁があったからですかね」。
 志布志港(若浜地区)防波堤(沖)工事(第2次)。志布志港の沖に捨石基礎を均し、3900トンのケーソン据付、蓋コンクリート、根固めなどを行う工事だ。1997(平成9)年10月から1998(平成10)年3月まで現場所長として工事を担当した。
 「ケーソンの重量は当時としては大きく、私がそれまで経験した工事では最大規模でした。ケーソンの浮上、曳航、据付には随分神経を使ったのを覚えています。ケーソン据付の日程を決めるのに基礎均し作業が重要になるのですが、作業の進捗状況が気になって潜水士の世話役さんによく話を聞きました」。
 鹿児島県内の仕事は、1986(昭和61)年に志布志湾の石油備蓄基地東護岸工事に携わったのが最初で、その時はまだ入社4年目の20代。「初めての鹿児島県内の港湾工事だったこともあり、取引先に注文をするのでさえ、名刺を出してあいさつしてからでした。それだけに大変でした」。
 以来、鹿児島本港など県内で5件の工事を担当。志布志港内での工事はこの工事が2件目で、作業所長をするようになってから10件目ぐらいだった。「技術者として各種の経験を積んできて、意気込んで乗り込んだ現場でした。今もケーソン据付は緊張しますが、この工事では特に張り詰めていたような気がします。その分だけ計画通り着底した時は達成感や安堵感がありました。懸命に仕事をした者にしか理解できないような喜びを感じました」。
 当時、ケーソン据付は現場をあげて取り組む一大作業。チルホール(ウィンチ)や水中ポンプの操作で多くの作業員が携わり、現場には失敗は許されないという張り詰めた空気が流れていた。職員はトランシットをのぞきながら、ケーソンの挙動を無線で逐一伝え、作業指揮者はそれを受けて各作業員に指示。すべての作業員が慌ただしく動いた。
 「いま考えると、この工事が私にとって港湾工事の基本形のような築造工事だったのかもしれません。入社以来、縁が深い鹿児島の志布志で行った工事ということと、この工事でいろいろと考え行動したことが、その後の技術者人生での大きな財産になりました」。工事を終え、ダグリ岬の手前にある国民宿舎の大浴場から眺めた若浜防波堤の夕景は、今でも時折思い出す。
 現場を離れ、すでに14年が経つ。この間、計測機器や管理装置が発達し、現場の施工管理も様変わりした。ただ、若い技術者には現場主義に徹し、自分で現場に足を運び、確かめ、話し合い、実行し、確認しろと声をかける。「現場は生き物なんです。だから本質をつかむには現場に行き、見て考えるしかない。長年現場を担当してきて『答えは現場にあり』が、技術者としての私の答えなのかもしれません」。
志布志港若浜地区の防波堤
基礎均し作業を行った潜水士との記念写真。下段中央が原田氏
 

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