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易 直樹(えき・なおき)氏
 1978(昭和53)年大本組入社。島根県の災害復旧工事や常陸那珂港工事などの海洋工事を担当。25年間の現場勤務のうち海洋工事と陸上工事が約半分ずつ。2003(平成15)年に東京港出張所長、2007(平成19)年横浜支店土木部長、2012(平成24)年東京本社土木部次長。岡山県出身。55歳。
万全な準備を整え工事に挑む

 2001(平成13)年12月から4カ月間担当した工事は、建設業では珍しい「地図に残る仕事ではなく、地図から消す仕事」だった。東京湾口航路(浦賀水道航路)方塊撤去工事(その5)。東京湾口にある第三海堡の構造物を撤去するものだ。
 海堡は明治から大正にかけて東京を防衛するために東京湾口の海中に設けられた砲台設置のための人工島。浦賀水道航路を挟んで千葉県寄りにある第一・第二海堡と、神奈川県寄りの第三海堡があり、このうち第一・第二海堡は今も残る。第三海堡は竣工の2年後の1923(大正12)年に発生した関東大震災で大きな被害を受け、地盤が4.8m沈下。砲台などの施設の3分の1が水没した。その後、太平洋戦争などが始まったため、修復は行われず、波浪などで崩壊が進んだ。
 工事前の第三海堡は構造物の一部がわずかに海面から出ているだけで暗礁化していた。このため船舶の座礁事故などが相次いで発生。国は2000(平成12)年からコンクリート構造物などの撤去工事に着手した。
 工事は数工区に分けて実施。「当社はA工区と呼ばれるところを担当し、探照灯の台座や弾薬庫などの3つのコンクリート構造物を引き揚げました。探照灯の台座が最も大きく約900トンもありました」。
 施工はまず磁気探査機や突き棒で不発弾などの危険物探知を行い、その後コンクリート構造物の周囲の土砂を大型掃除機のような「エジェクター」で吸い上げた。次に構造物の寸法を測り、三次元CADで形状を把握した。「土砂の吸い上げや寸法測量はすべて潜水士が担当したのですが、大型船舶の航跡波や潮流が速いなど、厳しい作業環境でした。特に寸法測量は水中の視界が狭く、形状も複雑なため、困難をきたしました」。
 構造物は1,400トンの起重機船で吊り上げて台船に載せて陸地まで搬送する。ただ、バランス良く吊り上げなければならないため、神経を使う作業となった。「100年近く前のコンクリートの強度がどの程度あるのかを調査し、埋め込むアンカーの長さなど、各種の検討を事前に行いました。それでも作業当日は不安でいっぱいでした」。
 構造物の吊り上げ撤去は無事に終了。その後、構造物は魚礁や堤防などに再利用された。
 「海洋工事は準備が大変です。大型作業船で吊り上げてしまえばそれで終わりですが、そこに行き着くまでに水深の確認や適切なアンカーの位置など、事前の調査が重要になります。海象や気象など自然条件にも大きく左右されますから、経験が物を言う世界かもしれません」。
 入社して25年間、現場に携わり陸上、海洋の両工事を経験した。2003(平成15)年に管理部門に異動したが、今でも現場時代のことを思い出す。「現場は肉体的にきついことも多いのですが、自分の考えでさまざまな工夫もでき、やりがいがある仕事。最近は発注ロットが細分化され、限定的な工種での仕事が増えていますが、若い人たちには、いろいろな現場を経験し、総合的なマネジメントができるようになってほしいです」。
 これまでの経験を生かし、若い技術者への指導がこれからの業務の一つの柱になりそうだ。
上写真は、約900トンの探照灯の台座を吊り上げた
ところ。左図は、東京湾の地図。
 

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