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河邊 知之(かわべ・ともゆき)氏
 1985(昭和60)年、佐伯建設工業(現あおみ建設)入社。九州支店で現場を担当し、1992(平成4)年に同支店土木部技術課、1995(平成7)年神戸支店工事部、2006(平成18)年大阪本店副本店長、2010(平成22)年執行役員土木本部副本部長、2011(平成23)年執行役員東北支店長、2012(平成24)年取締役兼執行役員東北支店長などを経て、2014(平成26)年4月から現職に。岡山県出身。51歳。
自信を持って仕事をしよう
 1985(昭和60)年に佐伯建設工業(現あおみ建設)に入社。研修後すぐに九州支店勤務を命ぜられ、現場に送り込まれた。その二つ目の現場となったのが大分空港用地造成(護岸工)工事。右も左も分からず、約6カ月間無我夢中で仕事に取り組んだ。
 「最初の現場は佐賀関漁港の修築工事でしたが、この現場は2カ月程度で終わり、本格的に工事に携わったのが大分空港の護岸工事です。お盆の頃に現場に配属され、年度末の工期まで休む間もなく、働いた記憶があります」。
 大分空港は国東半島の沿岸海域を埋め立てて造られた海上空港。1971(昭和46)年に供用を開始(滑走路延長2000m)したが、その後2回にわたって滑走路を延長。1982(昭和
57)年に2500m、1988(昭和63)年に3000mに拡大した。
 同工事は滑走路を延長するための埋立護岸工事。「現場に赴任した時は、護岸の締め切りを行う段階でした。常駐している職員は私を含めて3人で、先輩方と寝食を共にしながら毎日かけずり回っていました」。
 ある時、現場付近にいると、現場から〝ゴロゴロ、ゴロゴロ〟と不気味な音が聞こえてきた。現場に駆けつけると、「護岸の前面に入れた捨て石が波で崩れ落ちる音でした。捨て石が流れているのは分かっていてもどうしようもなく、翌日その捨て石を拾い上げて、もう一度積み上げました」。
 台風が襲来し、大騒ぎになったこともあった。「ちょうどケーソンを仮置きした後で、先輩たちが心配していました。ただ、私はあんな大きなものが簡単に動くはずがないと思ったことを覚えています。今になって考えると、知識がないというのは恐ろしいことです」。
 石垣港や別府港、苅田港など九州管内の港湾工事現場を7年間担当した後、九州支店の土木部技術課に配属され、設計を担当した。「ちょうど、その時に阪神大震災が発生し、応援に行くことになりました。被災地に着くと、すぐに災害査定などの業務をまかされ、毎日仕事に追われる日々を過ごしました」。
 本来なら支店で数年間設計を担当し、また現場に戻るはずだったが、神戸港の復旧・復興工事に携わったことを契機に、その後は設計や技術開発、企画などを担当し、現場に戻ることはなかった。
 「阪神大震災の復旧・復興工事はいま考えると、私にとって大きな転機だったのかもしれません。若かったせいか〝(自分の力で復旧・復興で)何かできるのではないか〟と意気込んで仕事をしていました。毎日戦争のような忙しさでしたが、達成感はありました。現在、東北で復旧・復興の仕事をさせてもらっていますが、神戸の経験は大いに役立っています」。
 支店長として多忙な日々を送る中、今もできるだけ現場を見て回っている。「若い頃、とにかく品質の良いものをつくりたいとずっと考えていました。いまの若い技術者も同じ気持ちだと思います。ただ、良質なものの前に安全対策をきちんとしなければいけない。若い技術者には〝安全第一だぞ〟と声をかけています。それともう一つ、自分のやったことに自信を持ちなさいと言っています。過信することなく自信を持って仕事に接すれば、必ず良いものができるはずです」。
大分空港の位置図 大分空港
 

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