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いろいろな経験を次の現場に生かす
1990(平成2)年から7年間、横浜市の南本牧ふ頭建設事業に携わった。「工事現場の所長として赴任し、1年後にはいくつかの工事をまとめる工事作業所の統括所長になりました。何もない状態でのスタートでしたので、印象深い工事の一つです。特にいろいろな港湾工事を経験させてもらったことはその後に担当した工事にも役立ちました」。南本牧ふ頭事業は外貿コンテナの増加やコンテナ船の大型化に対応するため、大水深・高規格のバースを整備するもの。埋立面積は約217ha。工事着手は1990(平成2)年で、5つのブロックに分けて埋め立てが行われ、現在も整備が進められている。 事業開始と同時に現場に乗り込み、汚濁防止膜の設置工事や埋立区画の中仕切工事、護岸築造工事、地盤改良工事、ケーソン製作・据付工事など、各種の港湾工事を担当した。「この現場は工事規模が大きいのが特徴です。さらに水深が40mと深く、各工事の工期も短かった。大水深・短工期での施工が求められていたため、新技術が数多く導入されました」。 最初に担当した汚濁防止膜設置工事では、設置位置が陸上から離れ、従来のトランシットでは誘導ができないため、電波で計測するトライスポンダー(電波測位機)を採用した。「トライスポンダーはそれまで使ったことがなかったのですが、短時間に位置決めが可能になると判断し購入しました」。 ケーソンマウンドを構築する捨石均し工事にも新技術が導入された。同社は自社開発した着座式捨石均し機を初採用し、実用化した。「数年前に開発し、陸上試験などを繰り返し行った上で、現場に持ち込みました。最初は石材の入れ方や量などで苦労しましたが、作業船の船員とコミュニケーションを図りながら、最適な施工方法を確立していきました。この機械で2回施工したのですが、2回目は効率的な作業ができました」。施工データは、外洋でも使える「水中バイブロ式捨石均し機」の開発にも活用されたという。 工事作業所にはピーク時で16人の自社社員が在籍。各工事を合わせると年間60億円を超える工事を手掛けたという。統括所長は現場社員のマネジメントも重要な業務の一つだった。「各工事にはそれぞれ所長がいますが、統括所長はそれらの工事の全体を見ながら、発注者との調整、資機材や作業員の手配、社員の配置などを考えていかなければなりません。技術だけでなく、マネジメメントも勉強になりました」。 1996(平成8)年に同事業の担当を外れ、現場から離れた。それが9年後に羽田事業所長として現場に復帰した。「2005(平成17)年から5年間、羽田D滑走路新設事業に携わりました。南本牧ふ頭の工事経験はこの工事で生かすことができました」という。 これまでの工事経験を振り返り「海の工事を担当できて良かったと思っています。海象や気象などに左右され大変なことも多いのですが、海の工事は何かおおらかなところがある。若い人たちも現場のコミュニケーションを大切にしながら、海の工事の面白さを感じてもらい、いろいろな経験を次の現場に生かしてほしい」。 |
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着座式捨石均し機(均地郎) | 赤色部が南本牧ふ頭 |
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