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海外での施工が貴重な経験に
入社して36年。関東地区の現場を主に担当してきたが、一度だけ海外で仕事したことがある。UAE(アラブ首長国連邦)シャールジャ首長国。砂漠の地である同国のハムリヤ地区で天然ガスを日本に出荷するための桟橋工事に携わった。「30歳の時です。本社土木本部で海外プロジェクトの設計を担当していて、その施工も担当することになり、急きょ現地に飛びました。設計時に米国のコンクリート仕様書などを使っていましたが、事前の語学研修などはいっさいなく、行けば何とかなるという感じで赴任しました」。 現場に赴いたのはイランイラク戦争中の1985(昭和60)年4月。役職はチーフエンジニア(主任)で、日本人スタッフは上司となる現場代理人を含め8人。主な作業内容はボンベイ(当時)で採用したインド人技能者・作業員に片言の英語で指示を出しながら施工を進めることだった。 工事は全長400mの係留施設と陸上からのアクセス桟橋などの出荷設備一式。現場でまず感じたのは「蒸し暑さ」。砂漠の夜露は太陽が出ると、陽炎と化し、5月に入ると連日40度C台が続いた。「毎日雲一つない天気で、現地にいた7カ月間、雨が降ったのはわずか1日でした」。 先発隊が鋼管杭(84本、径800mm)の打ち込みを完了させていたため、最初に手掛けたのは鋼管杭上に製作するコンクリート構造物工事。「コンクリート打設は50Kmも離れた町から生コン車を呼び、陸側から海上配管を使い、ポンプ圧送で打設しました。生コンは現場状況から氷を配合したため、生コン車が到着すると、冷えたミキサーに頬を当て、涼を取ったのを覚えています」。 暑さ対策だけでなく、コンクリート型枠の施工方法の違いにも苦慮した。「日本から型枠セパレーターを持っていき、パキスタン人の大工に使用方法を教え組み上げても、見たこともないのでそれだけでは信用せず、厚く大きなコンパネを使った型枠を外から林のように突張らせていました」。 工事はほぼ順調に進んだが、施工途中でイスラム教徒が断食を行う「ラマダン」の時期とぶつかり、作業の遅れにやきもきすることもあった。「6〜7月くらいにかけてラマダンがあり、多くの作業員が午前中で作業を止めて帰りました。工事は続けていましたが、異教徒でも日中に人前で水や食べ物、煙草などを口にすることができず、われわれも事務所に暗幕をして昼食を取っていました」。 無事に工期内に工事は終了。その年の12月に帰国した。海外での施工は貴重な経験になったという。「チャンスがあれば、また海外に行きたかった。インスペクター(検査員)のサイン一つで工事がどんどん進むことや、世界中の資材や労働者を使うこと、各国の習慣や独自の施工方法を知ることなど、どれも貴重な体験でした。若い人たちにも是非、海外に積極的に出てもらいたいですね。苦労も多いでしょうが、技術者として良い経験になるはずです」。 |
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天然ガスの輸送船が接岸する係留・出荷施設 | インド人技能者とインスペクターと並ぶ 馬渕氏(右端) |
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