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黒江 俊郎 氏
 1980(昭和55)年東海大学海洋学部海洋土木科卒、株木建設入社。2004(平成16)年茨城本店土木部工事長、2009(平成21)年同土木部長、2012(平成24)年から現職に。東京都出身。55歳。
多工種を経験し、技術者として集大成ができた現場
 「現場に乗り込んだ時、そこにはきれいな砂浜が広がっていました。休日に子どもたちにもその砂浜を見せたのですが、お父さん、こんなきれいな砂浜に港を本当につくるのと言われたのを覚えています」。
 常陸那珂港(現茨城港常陸那珂港区)は、米軍の射爆場跡地に建設された比較的に新しい港だ。1989(平成元)年に工事着手し、北ふ頭に第1船が入港したのは1998(平成10)年のことだった。砂浜だった海岸線は、わずか10年という短期間で工業港に変身した。
 現場に赴任したのは、本格的な工事が開始された1991(平成3)年。入社以来、日立港や大洗港、礼文島(北海道)の漁港など、海の工事を中心に携わってきたが、「それまでの仕事は既設の港の中で、防波堤や岸壁の構築、あるいは浚渫をしたのですが、一から港をつくるのは初体験のことであり、新鮮でやりがいのある工事でした」。
 最初に担当した工事は、作業基地の積み出し岸壁の築造工事(第1船溜り岸壁工事)。防波堤や護岸となるケーソンを積み出すための岸壁を建設するものだった。まず砂浜を仮締め切りしてディープウェルで地下水を下げ、ー3mまで掘り下げる。そこに矢板構造物をつくり、その上に底版を打って直立消波ブロックを積み重ねて岸壁をつくった。
 「陸上での施工ですので、工事中の構造物の出来栄えが確認できるのは助かりました。ただ、沖合の防波堤は出来ていませんでしたので、施工が天候に左右され、事前の段取りには気を遣いました」という。
 その後も作業基地となるケーソンヤード整地工事や、陸上の製作ヤードで造られたケーソンを護岸より沖合に曳航し進水する装置である「DCL」の海底支承台工事なども担当した。
 「第1船が入港するまでは、事業者である茨城県、運輸省(現国土交通省)、東京電力、電源開発(Jパワー)が競い合うように港湾工事を進め、天気の良好な日には多くの作業船が航行し、活気に満ちていました。そんな時期に現場を担当できたのは、港湾技術者にとって貴重な経験でした」。
 7年前に現場を外れ、茨城本店土木部工事長に就任した。その最後の現場となったのも常陸那珂港の防波堤の基礎工事だった。
 「常陸那珂港の工事では、いろんな工種の仕事をさせてもらい、港湾技術者として集大成をさせてもらった気がします。モノづくりの楽しさを教えてくれた現場であり、入社以来先輩たちが教えてくれた技術やノウハウが役に立ったと実感できた現場でもあります」。
 これまでの現場経験を踏まえ、若い技術者には「中途半端なことはするな。なんでも一生懸命に取り組め。できる限り現場に出て、モノづくりの達成感を味わおう」と、声をかける。書類づくりに追われる若い技術者に、モノづくりの楽しさをどう伝えていくのか。これからの重要な仕事の一つとなりそうだ。
 
仮締め切り部を切って海水を入れた様子。右側の構造物が岸壁となる部分。
 

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