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中西 勉 氏
 1979年に東京理科大卒、日本テトラポッド(現不動テトラ)入社、96年テトラ富山営業所長、金沢営業所長、東京支店次長、05年執行役員東京支店長、07年不動テトラ建設本部執行役員副本部長を経て、11年に現職。北九州市出身。55歳。
台風被害を克服し、工期を大幅に短縮
 「心配になって暴風雨の中、夜に現場を見に行ったのですが、暗いのと、もの凄い波浪で何も見えませんでした。台風が通過した明け方にもう一度行ったら、ケーソン1函の姿が見えるだけで、昨日まであった施工中の防波堤は影も形もなく、その場に茫然自失で立ち尽くしました」。
 1987(昭和62)年9月1日夜半に北陸地方を襲った台風は、今でも忘れることができない。日本テトラポッド株式会社(現株式会社不動テトラ)に1979(昭和54)年に入社し、初めて本格的に現場に出たのが、この現場だった。工期短縮を最大の課題として取り組み、何とか順調に工事を進めてきたのに、一夜の台風でこれまでの努力が水泡に帰した。
 石川県志賀町にある赤住漁港。能登半島西側のほぼ中央に位置し、約100隻余りの小型漁船が刺し網漁を営む。この漁港から約1km離れた位置に北陸電力志賀原子力発電所が整備されている。その原子力発電所建設に伴う地域振興計画の一環として、赤住漁港の大規模改修工事が1987年から2カ年計画で実施された。
 「漁港の改修は、南北2本のメイン防波堤の築造と、3基の離岸堤の設置が主な整備内容でした。このうち、当社は地元業者とJVで北防波堤の工事を受注しました」。
 防波堤の構造形式は、ケーソン1函による堤頭部と、25トン型および12・5トン型テトラポッドによる傾斜堤形式の堤幹部。「テトラポッドを使う工事なので当社が得意とするものでした。ただ、この構造形式は日本海側ではあまり例を見ない大規模な二層被覆形式の断面で、捨石量が多く、捨石マウンド天端が静水面上にあるため、施工中に被災しやすい構造でした」。
 工期は1987年6月〜1988年3月。形式的には10カ月間あるものの、日本海側は11月に入ると、冬期風浪で海上作業がほとんどできないため、10月までにほぼ作業を終えなければならない。「小さな漁港で作業エリアも限られていたので、2000個にも及ぶテトラポッドの製作・据付には苦労しました。製作したテトラポッドが陸地に置けなくなり、海岸や海中にも仮置きし、何とか工事は順調に進んでいました」。
 それが一変したのが台風の襲来だった。「台風が来るのは事前に分かりますから、作業船などはすべて避難させました。ただ、現場は対策の打ちようがなく、被害が少ないことを祈るだけです。台風通過後、傾斜堤部の捨石は3分の1が流されました」。
 それから不眠不休の作業が始まる。捨石などを再度手配し、土・日返上で職員や作業員が一体となって懸命に作業を続けた。台風の通過後40日連続して好天が続いたことも幸いし、結果的には工期を5カ月間短縮し、予定通り10月末に竣工した。「発注者の志賀町役場の方々は親身になって対応してもらい感謝しています。この現場は私にとって〝工事屋〟の原点です」。

 
漁港内の公園には、同社が寄贈した国内最大級の80トン型のテトラポッドがモニュメントとして今も設置してある。 仙台塩釜港仙台港区(−12m)岸壁位置図

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