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![]() 鷲羽号 船団長 平宅 竜一(へいたく・りゅういち)氏 今年3月末、1年務めたベトナムの海上工事の現場から戻ってきた。首都ハノイに近い北部ハイフォン市の海岸に日本の政府開発援助で新たな海の玄関口を造る「ラックフェン国際港建設事業」。急成長が続くベトナム経済を引っ張る大規模プロジェクトの一つだ。 携わったのは、土量1,000万m3を超す航路浚渫工事。国内で行われる港湾工事とは桁違いのスケールである。この貴重な経験が、若き船団長をまた一回りも二回りも大きく成長させた。 海上で浚渫工事などを行う作業船の本船とその補助ボートなどの一団を率いる「船団長」になったのは、今から3年前、29歳の時。80年以上の歴史を誇るタチバナ工業でも、史上最年少での船団長昇格だった。若手のエースとして今、社の期待を一身に背負う。 香川県観音寺市の出身。実家が海に関係した仕事をしていたわけでもなかったが、漠然と「船に乗る仕事がしたい」と考え、水産高校に進んだという。卒業を控え、就職先をいろいろと考えていた時に、先生から「こんな仕事がある」と紹介されたのが、高松市に本社を置くタチバナ工業からの求人だった。今でこそ、港湾工事でも子どもや学生、一般市民向けの見学会やインターンシップなどが頻繁に行われるようになったが、当時はそんな機会もなく、勧められるままにこの世界に飛び込んだ。 入ってみて「まず船の大きさに圧倒された」。その衝撃が、自身の体のどこかに眠っていた才能を呼び覚ましたのかもしれない。「仕上げの精度とスピード。自分で工事をした所が形になっていく。それがこの仕事の面白さ」と語る。神戸港、大阪港、羽田空港など国内各地の現場を回り、初めての海外工事でベトナムへ。「行ったことのない所で工事をしてみたい。現場があればどこへでも行く」とも。 会社には母校から後輩も入ってくるようになった。「あまり広く知られた仕事ではないけれど、チャレンジ精神で飛び込んできてほしい」と思っている。船団長として、次の船長・船団長を育てていくことも仕事の一つ。自身が入った頃はまだ「先輩の技を見て盗む」が普通だったが、「最近の若手はそうじゃない」。手取り足取りがよいのか、それとも昔風の教育方法がよいのか、「時代に合った育成方法を考えなければ」。柔和な表情と穏やかな語り口の中に、早くも若きリーダーの貫録が垣間見える。 この記事が誌面に載る頃には、愛媛・東予港の作業現場で船団を率いている。 |
全旋回式多目的作業船「鷲羽号」
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![]() 浚渫作業中の鷲羽号
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