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五栄土木 株式会社
船舶部 船長(ポンプ浚渫船「駿河」船長)
下薗 忠之(しもぞの ただゆき) 氏
 2011年3月11日。この日のことは一生涯忘れないという。「船体放棄」。ポンプ浚渫船「駿河」の船長として、船を捨てるという決断をした日だった。「小名浜港の泊地浚渫工事を終え、ちょうど回航するための準備作業を行っている時でした。大きな揺れを感じ、すぐに機関長と相談して船内放送で船体放棄を告げました。一瞬の迷いも許されない状況でした。乗組員と一緒にすぐに揚錨船に移り、10マイル沖に出て行きました」。
 沖に出て陸地を双眼鏡で覗くと、目を疑うような光景が広がっていた。大津波が港や町を飲み込んでいた。「信じられない光景でした。メーデーという無線が鳴り続けていましたがどうすることもできず、船が沈むのを何隻も見ました。その夜は沖に停泊したのですが、いろんな漂流物が陸側から流れてきていたので、揚錨船の陰に小さな漁船やモーターボードが50隻ぐらい隠れていました」。
 
 翌朝、慎重に航海しながら港に戻った。多くの船が陸に打ち上げられていたが、「駿河」は奇跡的に無事で、ほとんど被害がなかった。「小名浜港は地盤が固く、特殊なアンカーを打っていたので、津波に持って行かれずにすんだようです」。乗組員だけでなく、船が無事だったことは「本当にありがたかった」。「駿河」を係船状態にして、震災後3日目には乗組員全員を無事に家族の元へ帰すことができた。
 1983年に五洋建設に入社し、1999年に五栄土木に転籍した。両社を合わせたこれまでの30年間、ほぼポンプ浚渫船一筋できた。「学生時代から機械いじりが好きで、どうせ機械の道に進むのであれば、大きなエンジンが載っている作業船が良い」と思い、この道に入った。ただ、作業船の乗組員になると、機械関係だけでなく、甲板員としてさまざまな業務も経験した。
 「今もそうですが、乗組員にはエンジンのオーバーホールから甲板作業まで、すべての業務を経験させます。ポンプ浚渫船を稼働させるのに資格はありません。それだけにすべての業務、すべての機械を知っておく必要があるのです」。
 30年間のうち、約半分の15年間は海外勤務だった。「五洋建設の主要な海外プロジェクトに携わっています。海外に行けば、通常現地の乗組員を雇うのですが、英語が使えないことも多く、いざという時に辞書を引いている時間はありませんので、現地語を作業服に書き込んで、それを見ながら指示することもありました」。
 社内の管理職ポストで、船を任されることもある副船長職に就いたのは39歳の時。異例の若さでの抜擢だった。「若い頃から卓越した操作技術を持った先輩方を見て、いつかは先輩たちのようになりたいと思っていたので、副船長と言われた時はうれしかったです」。
 管理職ポストに就いてからは、これまで以上に後進の指導に力を注いできた。「ポンプ浚渫船は見えない海底を掘るため、経験と腕がものを言う世界です。船内にはいろんなゲージ(計器)がありますが、そのゲージからいま何が起きているのかをイメージできなければ、効率的な浚渫はできません。『機械的な目線でゲージを見ろ』。先輩たちにたたき込まれたことを、今度は私が若い職員に伝える番です。これまで築き上げてきたポンプ浚渫技術を絶やすことなく、若い人たちと一緒にそれに磨きをかけていきたいですね」。
ポンプ浚渫船「駿河」 非航式鋼製箱形のポンプ浚渫船。
最大浚渫深度
最小浚渫深度
船体全長
船体幅
全装備機関出力
カッター出力
32.0m
5.7m
119.0m
19.4m
16,900PS / 12,400kw
2,000PS / 1,500kw
ポンプ浚渫船「駿河」

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