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家島建設株式会社 浚渫船「真洋」船長
杉本 三好 氏
 船長としてのキャリアは、愛船「真洋」とともに積み重ねてきた。「真洋」が建造されたのは1997年。建造当初から実質的な船長を務め、これまで約15年間、苦楽をともにしてきた。首都圏での大プロジェクトである羽田空港D滑走路の埋立工事にも「真洋」とともに参画。「航空制限があるなど厳しい環境での作業だったが、やりがいはあった」と当時を振り返る。
 家島建設に入社したのは1971年10月。20歳の時だった。出身地の天草(熊本県)にいた時、先輩から誘われ入社することになった。「良き先輩に恵まれたからでしょうね。まさかこんなに長く勤めるとは自分でも思わなかった」と笑う。社歴を重ねるうち、徐々に後輩の面倒を見る立場に。若い頃、先輩に教わった経験を糧に後輩たちの面倒をみるうち、船長という重責を担うことになっていた。「今は7人の気心の知れた仲間と一緒に働いている。ベテランが多く仕事はやりやすい」。抜群のチームワークをいかし、常に安全な作業を心がけている。
 東日本大震災が発生した2011年3月11日。愛船「真洋」とともに千葉県の銚子沖にいた。この日の作業を終え、アンカーを上げ、曳航されて港に引き返そうとした時だった。それまで遠くにはっきりと見えていた灯台が、波間で見え隠れする。奇妙な感じがした。「津波じゃないか」。デッキにいた仲間の一人が叫んだ。直後に2m近い大きな波に襲われた。初めての経験だった。曳航式の浚渫船は、海が荒れれば作業は中止となり、これほど大きな波を受けることはない。何が起きたのかわからないまま港に停泊。あとで東北地方の沿岸部が大津波に襲われたことを知った。銚子港も津波による被害があり、銚子沖での工事は中断となった。銚子沖の作業が中断したため、しばらくは和歌山の現場で作業をした。その現場を終えた時、新たな仕事が入る。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた久慈港(岩手県)の復旧工事だった。
 震災発生から約半年経った10月中旬、久慈港に入った。「ケーソンが傾いたり、大きくずれている。驚きで言葉がなかった」。台風など被害で同じような被害状況は見たことはあるが、改めて津波の怖さを見せつけられた思いがした。
 工事は被災したケーソン2函を取り壊して撤去する作業だった。バケットで被災ケーソンを削ったり、50tの砕岩棒を約10mまで吊り上げ、被災ケーソンに落として砕く。水中のケーソンはモニターを見ながらの作業。細かくなったコンクリート柄や鉄筋クズをバケットでさらい引き上げる。「途中、バケットの爪が折れて修理しながら作業を続けた」。撤去を急がなければ新しいケーソンは据え付けられない。単調な繰り返し作業の連続だが、危険を伴うだけに細心の注意を払いながらの作業だった。
 今年2月中旬、久慈港での作業が終了し次の現場に向かった。震災で中断していた千葉県の銚子沖の現場だった。東日本大震災発生から1年目は、奇しくも地震発生時と同じ現場で迎えることに。「私にとっても忘れがたい1年でした」。千葉の現場から一日も早い被災地の復興とこれからの工事の安全を祈った。
真洋(大型グラブ式浚渫船兼砕岩船)
【船体寸法】 長さ60m、幅24m、深さ4m、吃水2.25m
【主  機】 機種 ディーゼル、出力2,250kw
【保有グラブ】 ライト重量55t、容量25m3
ヘビー重量80t、容量8m3
【重  垂】 50t
【浚渫深度】 50m
久慈港で被災ケーソンを取り壊す「真洋」

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