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 2021年12月6日に迎える協会設立60周年を記念し、ここ四半世紀ほどの間で会員企業が手掛けた時代を画する主要プロジェクトを取り上げ、座談会で振り返る企画。3回目の今回は、北関東の物流の一翼を担う茨城港常陸那珂港区(旧名:常陸那珂港)を取り上げます。
2020(令和2)年5月撮影 写真提供:東亜建設工業㈱
 茨城港常陸那珂港区(以下、旧名:常陸那珂港)は、茨城県太平洋沿岸のほぼ中央部に位置し、ひたちなか市及び東海村にまたがる広大な土地(面積1,182ha、海岸線5.5km)に整備されている。北ふ頭、中央ふ頭及び南ふ頭の各ふ頭地区で構成され、北ふ頭地区から段階的に整備、供用が始まっている。
 鹿島港と同様、波浪条件が厳しい太平洋外洋に面した常陸那珂港は、コンテナ船の大型化の流れに対応し、5万トン級の大型船が接岸できる大水深岸壁やスーパーガントリークレーンをはじめとした最新鋭の荷役設備を配備し、国際コンテナターミナルとしての機能を有した中核国際港湾である。常陸那珂港は鹿島港と並び、北関東地域の流通・経済活動を支えるとともに、東京湾岸地域の港湾物流機能を補完した北関東の新たな国際物流拠点としての役割を担っている(首都圏ニューゲートウェイ(北側・東側))。また、首都圏の電力需要に対応するエネルギー基地としても計画され、北ふ頭では火力発電所が稼働している。
 かつて、太平洋戦争中は旧日本陸軍の飛行場として整備、戦後は米軍に接収され水戸対地射爆撃場として使用されていた。日本に返還されたのは1973(昭和48)年3月のことであった。その後、1981(昭和56)年11月に国の国有財産中央審議会が水戸対地射爆撃場返還国有地の処理大綱を示し、国営公園や流通港湾の整備など必要な諸施設を配置することが提示された。
 1983(昭和58)年3月には重要港湾に指定され、同年6月には港湾計画が策定された。そして、1989(平成元)年7月に作業基地の整備に着手し、本格的に建設工事が始まった。
 常陸那珂港の建設は、エネルギー事業の要請から急速・大量施工が求められ、様々な課題を克服するために、新たな技術開発や創意工夫が必要であった。大水深・高波浪の海象条件のもと、鹿島港の建設で培った荒海に挑み、不可能を可能にした技術者たちの不撓不屈のフロンティアスピリットが継承された。特に、本港の要となる計画延長6,000mの日本一を誇る東防波堤は、重量8,000t級のケーソンが設計され、年間24函を製作し、同数を据え付ける計画であった。そのため、背後地にはケーソンを8函同時に製作できる日本最大級のケーソン製作ヤード(250m×260m)が整備された。製作したケーソンの陸上移動には、フルーズ(空気膜式ケーソン移動装置)が世界で初めて港湾工事に適用された。これは、支承部の空隙に送気される圧縮空気による薄層の空気膜により摩擦力を著しく軽減し、重量の1/100の推進力でケーソンを移動するものである。
 また、ケーソンの海上移動には、浮きドック式の進水用台船DCL(Draft Controlled Launcher:着底型進水台船)をこちらも世界で初めて採用し、急速・大量施工に備えた。DCLは陸上のケーソンヤードで製作された重量8,000t級のケーソンを支承台に着座している状態で搭載し、喫水調整により水深5.0m程度の浅喫水な海域でも曳航できる特徴がある。沖合の所定の位置まで曳航されたDCLは、バラスト水の注水により1時間以内にDCL本体を急速沈降させ、ケーソンを進水させる仕組みである。
 ケーソンを設置する海域の稼働率が極めて低くかつ大水深であるため、水深約20mの捨石マウンドの施工には、潜水士に代わり機械均し機を導入した。機械均し機は当初、釜石港湾口防波堤の建設に対応するため、旧運輸省で開発された。その後マリコン各社で技術開発を行い、「民間技術評価制度(運輸省)」により認定されたものが本港東防波堤の建設に導入された。本港の建設工事で採用した当時の主な最新技術は、以下のとおりである。
 ①ケーソン(同時8函)製作ヤードの整備
 ②ケーソンの鉄筋ユニット工法
 ③フルーズによるケーソンの移動(DCLへの搭載)
 ④DCLによるケーソン曳航・進水
 ⑤捨石マウンドの機械均し工法
 ⑥捨石マウンドの防護ネット工法
 ⑦大型ベルトコンベアシステムによる急速・大量埋立て工法 など
 東防波堤の築造工事は、1992(平成4)年12月に1号函の据付けで始まり、1997(平成9)年12月には延長3,000mに達した。そして、その翌年(1998(平成10)年12月)には、当初計画どおり北ふ頭地区に第一船の入港を果たした。入港に先立ち同年2月には「プレ開港フォーラム」を開催、多くの一般参加者が参加して盛大に記念式典が行われ開港を祝った。
 その後、2008(平成20)年3月には、本港と日立港、大洗港の3港が統合され、茨城港として更なる発展の途上にある。2020(令和2)年3月末現在、東防波堤は延長5,650mが完成し、施工は今なお続いている。
首都圏の高規格道路ネットワーク図
DCLによるケーソン曳航・進水 フルーズ(空気膜式ケーソン移動装置)
出典:国土交通省関東地方整備局 鹿島港湾・空港整備事務所
佐藤 恒夫氏(運輸省第二港湾建設局)
(一社)日本マリーナ・ビーチ協会理事長
樋口 慎一郎氏(五洋建設)
五洋建設㈱東京土木支店土木部工事部長
横塚 和久氏(東洋建設)
東洋建設㈱常陸那珂・鹿島地区統括作業所長
幕田 和宜氏(若築建設)
若築建設㈱東京支店副支店長
鳥原 守氏(りんかい日産建設)
りんかい日産建設㈱九州支店安全環境品質部長
木村 好孝氏(東亜建設工業)
信幸建設㈱大阪支社長
濱崎 健氏(東亜建設工業):司会
東亜建設工業㈱東京支店茨城営業所長
※( )内は当時の所属先
今回の座談会は対面ではなく、各者それぞれの場所からリモート接続し、“オンライン座談会”としました。
大量・急速施工実現へ最新技術を次々投入
濱崎 初めに佐藤さんから当時の常陸那珂港建設の背景や意義、整備事業の特徴などを。
佐藤 常陸那珂港が建設された区域は、かつて米軍が対地射爆撃場として使っていた所で、1973年に返還され、これを平和利用の象徴にしようということで流通拠点港湾を整備する計画が動き始めました。目的は東京湾に過集中する物流の一部を湾外に展開すること、首都圏のエネルギー需要の増大に対処するため火力発電所を建設すること、国営ひたち海浜公園や阿字ケ浦海水浴場などと連携の取れた高質な親水空間を提供することの3点でした。整備を進める上では、大規模、大量、急速施工という大きな三つの特徴があり、その条件として大波高、長周期、大水深という3点がありました。有義波高1m以下、周期8秒以下の出現頻度が約30%という非常に厳しい海象条件の下で、30mも水深がある場所に計画延長6,000mの「東防波堤」を大型ケーソンで急速施工する。それが事業の最大のミッションでした。1998年に第1船入港、2003年に火力発電所が運転開始というスケジュールが決められていましたので、1998年には東防波堤を4,000mまで延ばすことが必要で、年間24函の大型ケーソンの据え付けが必須条件になりました。
濱崎 ケーソンの製作・据え付けにはどのように進められたのでしょうか。
木村 まず巨大なケーソンの製作ヤードを確保する必要がありました。海岸線に6.5haの広さの敷地を確保し、8,000t級の超大型ケーソンを8函同時に製作できる設備を整備しました。製作ヤードは250m×260mの大きさで、当時としては日本最大級の製作ヤードでした。製作したケーソンの移動・据え付けのために、陸上移動では「フルーズ」と呼ばれる空気膜式ケーソン移動装置、海上移動では着座型ケーソン進水装置「DCL」など特殊なハイテク装置を運輸省の指導の下で採用しました。
横塚 私が現場に赴任したのは25年前の1995年。現場を見てそのスケールの大きさに驚かされました。大きなケーソンが立ち並んでいる様子に圧倒されたのを覚えています。
濱崎 DCLの特徴や性能は。
樋口 私は1998年に現場に赴任し、DCLを初めて見ました。DCLは長さ69m、幅50m、高さ25mの浮きドック式の進水用台船です。8,000t級のケーソンを搭載し、浅喫水で沖合の所定の位置まで曳航してバラスト水の注水により進水させるもので、世界初の試みでした。浅喫水なので水深5.0m程度の航路にも適応し、作業基地内でその機能を十分に発揮しました。1992年12月に第1函が進水し、2010年5月までに合計201函の進水を行いました。
濱崎 ケーソンの製作では鉄筋のユニット化というのも特徴の一つでした。
幕田 年間24函のケーソン製作を達成するために、鉄筋のユニット化を図りました。施工高7ロットのうち2ロット以降の隔壁法線平行方向の鉄筋パネルを地上で組み立て、所定の位置に建て込み固定します。これにより、鉄筋の組立サイクルを1函当たり6日短縮できました。大きなケーソンだったので、ユニット化は有意義で、非常にメリットのある工法でした。今でいうプレキャスト部材につながる発想だったと思います。
鳥原 1992年に常陸那珂へ赴任し、その翌年から東防波堤の築造工事に4年8カ月ほど携わりました。現在、安全を担当する部署にいますが、当時のケーソン製作現場では、鉄筋のユニット化に加え、足場のユニット化も推進され、安全と工期短縮を目指していました。これらは現在の安全管理や工程管理対策としても行われています。足場の撤去の時間も短縮され、解体がスムーズに進みました。
濱崎 ケーソンの据え付けの難しさは。
横塚 海象条件が非常に厳しい中で、年間24函を据え付けなければならないので、海象条件をどう判断するか、波を見る目というか、「見えない技術」が大事でした。機械で判断する技術は確かに発展していますが、海洋土木では人間が持つ技術、経験から来る感覚が大事だということを今も実感しています。有義波高のデータは出ていますが、最大波が大きく、周期の長い波が入ってきて、何度かワイヤーが切れたり、ピースが飛んだりしたことがありました。一発の波が非常に怖かったことを覚えています。そうした危険を見る目、波を見る目を大事にしろと先輩方に言われました。最近は予測データもいろいろありますが、今でも波を見る目を大切にしています。
濱崎 海象条件が厳しい中での捨石投入や均し作業はどのような状況でしたか。また、どのような新技術が使われましたか。
木村 作業可能日数の少ない大水深の現場であり、年間600~700mを築造するのに稼働日37日、66組の潜水士の確保が必要という試算結果でした。そこで自動測量システムによる捨石の投入と、水中機械均し機による捨石均しが導入されました。水中機械均し機は、釜石港の大水深湾口防波堤の建設に対応するため運輸省で開発されました。その後、マリコン各社が実用化したものが「民間技術評価制度」によって評価され、現場で採用されました。「8脚歩行式」「垂直転圧式」「着座型タンパ式」「水中バイブロ式」の4タイプがありました。
濱崎 ケーソンを据え付ける際の注水には集合管方式が採用されました。
樋口 大型ケーソンでいわゆる集合管方式を実際にやってみて画期的な方法だと感じました。24マス均等に、かつ大容量で注水できる集合管方式は、海象条件が厳しいこの現場では作業に不可欠だったと思います。
幕田 ちょうどGPSが普及し始めた頃で、従来の方法に比べると安心して据え付けができると思いました。ただ、データの入力ミスがあったりして、結局はトランシットで誘導して据え直すということもありました。今でこそGPSは信頼できる技術ですが、当時は機械に頼ってばかりでは駄目で、人の手による確認が精度の高いものをつくる基本だと思いました。捨石の水中機械均し機は急速施工に大きな効果がありました。常陸那珂港の工事で各社がいろいろなパターンの新技術を開発したことは後々、高波浪で作業時間の確保が難しい現場の工程管理に大きく寄与したと思います。
濱崎 現在も均し機械は積極的に使われ、当時の技術が継承されています。ほかにケーソンの据え付けで記憶に残ることは。
鳥原 東防波堤の施工場所は静穏時でも1mぐらいのうねりがあるので、普通のウインチワイヤーでケーソンを引き付けて沈めるというやり方では歯が立ちませんでした。ウインチのワイヤーだけで引っ張っていると、1回のうねりで切れてしまいます。そのため、3,000馬力のタグボート5隻を使い、起重機船を横に付けてウインチを操作しました。集合管方式の水中ポンプによってケーソン自体を上下させながらダグボードで微調整するという非常に神経を使う据え付け作業でした。
佐藤 当時、二建局長と一緒に現場を見せて頂く機会がありました。ワイヤーのどこが切れるかが分からないと大事故につながりかねないというので、ワイヤーのどこかに弱点をつくり、そこを監視してリスクに備えているというリスク管理の一端を伺って感心した記憶があります。5隻のタグで据え付けが終わった後に、既設ケーソンの上に設置されたウインチでギリギリと引っ張って面を合わせる。決められた基準にしっかり収まっているにもかかわらず、更に厳しい精度管理をされているのを見て、さすがだと意地のようなものを感じました。
木村 常陸那珂へ赴任する前に、鹿島港の南防波堤築造の様子を描いた記録小説『砂の十字架』(木本正次著)を読みました。ケーソンを据え付ける際、ロープをアンカーに結んでそこからウインチに持ってくると必ずロープが破断します。それを当時の技術者たちは「剛」と呼びます。そうではなく、ロープをタグボートに取り付けて引っ張る。それを彼らは「流し方式」と名付け、剛に対し「柔」と呼んだそうです。波に逆らうのではなく、ケーソンを波の力で軟着底させ、もう一度浮上させた時に今度は剛の力のウインチでぐっと引き寄せる。鹿島港で採用された方式がここでも導入されました。ケーソン据え付けの管理精度は確か±1mだったと記憶しますが、各社とも概ね10㎝程度の精度で据え付けていたのではないでしょうか。
横塚 「流し方式」のように、機械ばかりに頼らず、技術者の目が重要になる技術がまだまだあるのかもしれません。常陸那珂港の工事では、その前に担当した現場に比べ、GPSなどの新技術があってびっくりしましたが、人間に頼らないといけないところも多くありました。
濱崎 常陸那珂港の建設では、厳しい海象条件の下で急速・大量施工が求められたため、他にもまだいろいろな技術が使われたと思います。
木村 海象条件が悪く、ケーソン据え付けのチャンスが少ないところで、きつかったのが中詰めです。中詰めが完了しないと次のケーソンの据え付けができません。綱渡りのような状況で、背後地の中詰め砂をいかに大量に急速施工できるかが課題になりました。中詰め材は1函1万2000㎥で、据え付け後2日以内に中詰めを完了させなければなりません。そこで作業基地の護岸にガット船積み込み用のダンプシュートを8基設置しました。これも知恵を出し合って急速施工を実現した新技術の一つだと思います。
濱崎 北ふ頭地区の埋め立てでも大量急速施工が行われました。
佐藤 北ふ頭地区のふ頭用地と工業用地の造成は1996年9月に着工し、1999年9月の完了を目指して進められていました。背後地に非常に良質の土砂があり、180haの埋め立てに必要な2,470万㎥という大量の土砂は北ふ頭南西の2カ所の港湾関連用地からの供給でした。工事の安全性や環境への影響を考慮し、ベルトコンベヤーによる埋め立て工法が採用されていました。
木村 東防波堤を築造していた横で巨大なベルトコンベヤーが轟音とともに動いていました。大量の土砂はバケットホイールエキスカベータと呼ばれる大型連続掘削機械により自動掘削され、総延長約6.5kmにも及ぶベルトコンベヤーで北ふ頭地区まで運搬されました。コンベヤーは1時間に最大8,000㎥の搬送能力があり、埋立地の先端ではスプレッダーで直接埋め立てを行っていました。一連の作業が完全にオートメーション化されていたので、みるみるうちに埋め立てが終わった印象があります。第1船の入港が1998年ですから、2年から2年半ぐらいで埋め立てたことになります。これはすごいことです。
濱崎 健氏(司会) 樋口 慎一郎氏 木村 好孝氏 鳥原 守氏
横塚 和久氏 佐藤 恒夫氏 幕田 和宜氏
イメージアップ、ICT施工の先駆けにも
濱崎 当時の苦労話や思い出話を。
佐藤 施工者の皆さんに大変な苦労とご迷惑をお掛けした話を。私は前職が港湾技術研究所の情報センターであり、常陸那珂港は先端的な工事をしていたこともあって、CALSの試行工事をやるのはここしかないと思っていました。一方、内部には常陸那珂港の工事は忙しいので、CALSなど持ち込んで大丈夫かと心配する声もありました。紆余曲折はありましたが、今のICT施工につながる最初のステップになったのではと思っています。もう一つは運輸省が施策として打ち出していた「イメージアップ工事」。これも常陸那珂港が大型工事ということと市民に開けた魅力ある「みなとまち」を形成するという意義から、積極的に進めました。音楽祭をやったり、小学生を招いて見学会をしたり、子供たちの手形を取った板を防波堤の上部工に埋め込んだり。防波堤の延長が3,000mに達した時には記念講演会を開き、その際には施工者の安全協議会にもご協力いただきました。当時、常陸那珂港の整備事業には逆風も吹いていましたが、講演会には地元の市民が定員を超えて来場され、非常に反応が良かったと記憶しています。
横塚 現場に赴任した当初は忙しく、イメージアップ事業に関わるのが難しかったのですが、最終的にはみんなで盛り上げようと一致団結してイメージアップに取り組みました。私は今も常陸那珂港で仕事をしており、働き方改革などにも取り組んでいます。今後も先輩方の考えを受け継いで引き続きイメージアップ活動に努め、他の現場に先駆けた取り組みも進めたいと思っています。
幕田 先ほど話に出た手形ですが、イメージアップで上部工の背面側に手形を取り付けることになり、作業基地に小学生に来てもらい、手形を取ってそれをブロック版にしました。かなりの重量があり、背面側に埋設アンカーを入れるなど工夫を凝らして設置しました。その後、先生にお話を聞くと、子供たちも大きくなって常陸那珂港で手形を取ったという話をしているというので、やって良かったと思っています。何も無かった海岸線に、今は人工衛星から見える港ができています。こうした事業が、意気込み、熱気、やりがいを感じられる事業と言えるのではないでしょうか。こうした事業がたくさんあれば、次代の担い手にとっても良いことだと思います。
木村 私は自分の子供が地元の小学校に通っていたため、イメージアップの見学会に近隣住民の立場で参加したことがあります。私と子供の2人の手形が63号函に設置されており、今も手元に写真が残っています。
樋口 私が担当した現場でも地元の阿字ケ浦地区の自治会を対象にした見学会を催しました。ご年配の方が多くお見えになり、その方々から建設前は一直線の砂浜があり、塩田があったという話など昔の話を伺いました。工事を円滑に進める上で地域の方々との交流は非常に重要だと感じました。東防波堤は非常に長いので、自分が据え付けたケーソンがどこなのかが分からなくなりますが、私が据え付けた150号函から152号函までの3函は、たまたま防波堤法線が20度折れ曲がる場所で、地図上で示せるため、自分の子供に「ここがお父さんが据え付けた所だよ」と教えたことも覚えています。
幕田 ケーソンの据え付けでは、各JVの順番の取り合いもあるので、毎日毎日とにかくよく打ち合わせをしました。施工者だけでなく、発注者も入って一緒に取り組んだ現場という印象が強く残っています。
鳥原 海象条件が大変厳しい現場でしたので、休む時はみんなすぐ休み、なぎが続いている時は土曜、日曜もなく作業をして工期内に納めました。各JVともメンバーはその都度替わりましたが、目的は一緒で進む方向も一緒。隣接工区同士が協力し合うことで工事がスムーズに進みました。
濱崎 海象条件の厳しい所での施工でしたが、いろいろな最新技術を使い、それを克服してきました。最後に常陸那珂港の現況と、今後の見通しを。
横塚 2018年12月に常陸那珂港、大洗港、日立港の3港が統合され、「茨城港」に名称が変更されました。常陸那珂港は正式名称が「茨城港常陸那珂港区」となりました。東防波堤は計画延長6,000mのうち2019年度末時点で5,650mが完成しています。北ふ頭地区には電力基地として火力発電所が稼働し、大水深の国際海上コンテナターミナルも整備されました。取扱貨物量、コンテナ取扱個数とも順調に増加しています。2019年には茨城県内で初めて外国クルーズ船が寄港しました。火力発電所から排出される灰の処分地となる次期処分場が今年3月に完成し、5月から灰の埋め立てが始まりました。この事業では急速施工として鋼板セル工法やハイブリットケーソン工法が採用され、鋼板セル護岸の上部工工事に3次元データを活用するなど新技術も導入されました。厳しい海象条件下で他の港湾建設に先駆けて導入した最先端技術やICT施工、先人から受け継いだ努力が、これまでの事業の成功につながっていると思います。
佐藤 常陸那珂港の整備はもともと、北関東の流通港湾として首都圏の物流拠点になり、東京湾内の港湾の負担を軽くすることを目的に始まったものです。時間はかかるでしょうが、将来的には物流機能は常陸那珂を中心とした茨城港をはじめ東京湾外の港湾が主に担い、東京湾内の港は市民が楽しめる機能に重点を置いた港湾にしていくべきではないか、と勝手に思いを馳せています。常陸那珂港はスタートの時から高速道路などと港湾の整備が一体になって動いてきたプロジェクト。今後も地域にとって誇れる港に育てていってもらいたいと思います。

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