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 一般社団法人日本埋立浚渫協会は、2021年12月6日、設立から60周年を迎えます。この間、会員企業各社は港湾・空港を中心に数多くの社会資本整備のプロジェクトに関わり、日本の経済発展や豊かな国民生活の実現に貢献してきました。60周年を迎えるのを機に、ここ四半世紀ほどの間に会員企業が手掛けた時代を画する主要プロジェクトを取り上げ、その意義や事業から得られた教訓などを施工現場の第一線で活躍した技術者を中心とする関係者の座談会で振り返る企画を今号から始めます。
 初回は2010年に完成した「羽田空港D滑走路建設事業」を取り上げます。
2010年09月02日撮影 提供:羽田再拡張D滑走路JV
 国内航空輸送ネットワークの要である羽田空港(東京国際空港)。同空港の再拡張事業の一環として4本目の滑走路「D滑走路」が整備され、供用を開始したのは2010年10月21日のことである。D滑走路と共に新たに国際線旅客ターミナルなども開業。それまでのアジア路線のチャーター便に加え、同月末からは欧米路線も含めた定期便が就航し、24時間国際空港化に向けた運用がスタートした。
 羽田空港の再拡張は、航空需要の増加に伴う「首都圏第3空港」建設の議論に関連して浮上し、2000年に本格的な議論が始まった。2001年には再拡張事業の実施が決定。現空港の沖合に新たに長さ2,500m、幅60mのD滑走路を新設することになった。D滑走路ができれば、羽田空港の年間発着能力はそれまでの30万回から41万回に増加。利便性の向上や多様な路線網の形成につながり、国際定期便の受け入れも可能になると期待された。
 2002年になると、新滑走路の工法を検討する「羽田空港再拡張事業工法評価選定会議」が設置され、「桟橋」「桟橋・埋立組み合わせ」「浮体」の3方式の優劣が議論された。結果的に3工法とも工期・工費に大差はなく、どの工法でも整備は可能との結論が導き出された。さらに、同会議の結論としてもう一つ注目されたのが、工期・工費の確実性を担保するために「設計・施工一括方式による発注」が提案され、実際の入札でこの方式が採用されたことである。
 工事は「東京国際空港D滑走路建設外工事」として国土交通省関東地方整備局が発注。入札は2005年に行われ、桟橋・埋立組み合わせ工法を提案した「羽田再拡張D滑走路建設工事共同企業体」(鹿島・あおみ・大林・五洋・清水・新日鉄エンジ(現・日鉄エンジ)・JFEエンジ・大成・東亜・東洋・西松・前田・三菱重工・みらい・若築の15社JV)が落札。応札価格5,985億円(税込み)に30年間の維持管理費提案額を合わせた総額6,134億1,000万円で同年3月末に正式契約した。
 D滑走路は現空港の南東沖に全長3,120mの規模で新設。新滑走路と空港をつなぐ連絡誘導路も整備された。世界的にも例の少ない桟橋・埋立組み合わせ工法を採用したのは、滑走路の一部が多摩川の河口法線にかかるためだ。多摩川の通水性を確保できるよう、河口法線にかかる1,100mを桟橋部、残りの2,020mを埋立部とした。
 設計・施工上の大きなポイントとなったのは、埋立部と桟橋部、その接続部、連絡誘導路部という4つの異なる構造が組み合わさっている点。航空機の走行性を損なうことなく沈下や地震による変形を吸収しなければならない。特に重要なのは接続部。ここには地盤変形を抑制する鋼管矢板井筒構造の護岸を採用。接続部分の埋立部には管中混合固化処理土と軽量混合処理土を使って沈下を低減する一方、桟橋部はサンドコンパクションで地盤を改良し、護岸の変位を抑制した。接続部の渡り桁には伸縮装置を取り付け、地震などの揺れに対応できるようにした。
 約1年の設計期間を経て、工事は全体を9工区に分割して2006年春に始まった。本工事の着手(2007年3月30日)から完成まで短期間とあって、工事は24時間365日昼夜連続施工で進められた。現空港を使いながらの工事のため一部工区では航空制限がかかり、地盤改良船など高さのある作業船は日中には作業ができず、夜間作業を強いられた。
 2009年7月には現空港とD滑走路島をつなぐ橋が連結。同10月には埋立部と桟橋部が渡り桁で初めてつながった。年が明けて2010年1月末には桟橋部の最終ジャケットの据え付けが完了。3月には埋立材の揚陸が終わった。舗装などの工事を契約工期の2010年8月30日までにすべて終え、D滑走路は予定通り、10月21日の供用開始を迎えた。10月16日に行われた記念式典には当時の馬淵澄夫国土交通相や石原慎太郎東京都知事ら関係者と来賓計約700人が出席。テープカットを行い、国際線旅客ターミナルなどとD滑走路の完成を祝った。
2008年6月24日撮影 提供:羽田再拡張D滑走路JV 2009年4月27日撮影 提供:羽田再拡張D滑走路JV
野口 孝俊
国土交通省 関東地方整備局 横浜港湾空港技術調査事務所 所長
大和屋 隆司
東亜建設工業㈱名古屋支店 プロジェクト室担当部長
川端 利和
若築建設㈱ 東京本社建設事業部門 国際部インドネシア事務所
中部ジャワ作業所設計課長
小倉 勝利
東洋建設㈱執行役員 土木事業本部 土木技術部長
野口 哲史(司会)
五洋建設㈱ 取締役専務執行役員 土木部門土木本部長
(日本埋立浚渫協会技術委員会委員長)
ハイブリッド構造が工期短縮のカギに
省庁再編の効果発揮した事例に
野口(哲)D滑走路のプロジェクトを振り返ると。
野口(孝)D滑走路が供用を始めて来年度で10年。その前の設計段階から含めると15年が経過した。15年も前に始めたことはすっかり忘れているかと思ったら、意外とそうではない。協議事項は侃々諤々議論したことを明確に覚えている。D滑走路は国内では最大規模のプロジェクトであり、我々技術者はいつも以上に大きなエネルギーをかけて実施したことは間違いない。今振り返ってみると、こういうプロジェクトに関われたということは技術屋として非常に幸せなことだったと思う。当時、「首都圏第3空港」をどこに造るか、羽田再拡張の全体計画を決定する段階から関わっていた。D滑走路は構想、計画、工法評価選定会議、環境影響評価、要求水準書案の段階まで携わり、人事異動で1年半ほど離れたが、契約が決まったら再び戻った。契約時から5年間、詳細設計から基本施設の施工まで本当に面白い仕事をさせてもらった。このプロジェクトは明確な目的があったので、そのために何をやらなければならないか、自ら考えることが必要となるプロジェクトだった。振り返ると、人生のうちの何%かのエネルギーをD滑走路プロジェクトに注ぎ込んだと思っている。
野口(哲)このメンバーは皆、かなり早い段階からプロジェクトに関わったのでは。
大和屋私は「首都圏第3空港」から検討に加わり、その後、羽田再拡張の検討に従事した。当時、野口(孝)さんから「2週間で概算の工費と工期を算出してほしい」と要請されたのを覚えている。その試算によって、超概算で工事費1兆円、工期7.5年というイメージを提出した。そこから条件が具体化し、半年に1回のペースでアップデートしていった。私はその後も施工に携わり、工事完了後の維持管理にも8年間従事した。
野口(哲)7.5年と言っていたのを、建設期間41カ月、3.5年でやってしまった。
野口(孝)建設工期や工費について1年半ぐらいかけて発注者として事前検討した。最終的には早期に基本施設を建設する条件から、4年で8,000億円ぐらいと試算したと記憶している。最終的には基本施設は実質2年半ぐらいで出来上がった。工夫に工夫を重ねた結果と言える。
野口(哲)工期を縮めた工夫は主に何だったのか。
川端埋立エリアと桟橋エリアということで、少し業界が違ったところが腕を組んで一つのハイブリッド構造を造ったという点。それで工期を劇的に縮められたと思う。単一構造ではもっと時間がかかっていたはず。二つの業界がコラボレーションできたというのは大きかった。
野口(哲)国土交通省としても河川区域を考慮して構造を変えるというのは画期的だったのでは。
野口(孝)それまで河川区域に空港施設を建設するということは認められないことだった。ちょうど省庁再編で国土交通省になり、旧建設省と旧運輸省の河川局も港湾局も航空局もみんなで一つの目的に向かって進もうという形ができた。そこに海上保安庁も加わり、省を挙げてのプロジェクトだからみんなで協力し合ってやりましょうということになった。これは省庁再編のメリットが発揮された事例となった。
野口 哲史氏(司会)
大和屋埋立・桟橋接続部には抗土圧構造として鋼管矢板井筒護岸が採用された。私の工区はその井筒護岸背面に埋め立てを行うため、井筒護岸を建設している工区と各施工段階での制約があり、施工調整には大変苦労した。
野口(哲)国土交通省からの発注段階では性能設計で、構造までは指定されていなかった。
野口(孝)性能設計は概念としてはあったが、対象事案がなかった。その中で、空港施設としての一定の制約条件と要求水準を満たせば、いずれの構造形式でも成立するというのは今回のD滑走路建設工事の大きな特徴だった。
野口(哲)仕様書は1,000ページぐらいあった。
野口(孝)特定の工法を決めるには、評価をする時間が必要。そもそも早く供用することを目標とする中で、選定に時間をかけることはナンセンスであること。工法評価選定会議前からどの工法でも成立するということを勉強していて、桟橋工法、埋立と桟橋のハイブリッド工法、浮体工法の三つの中のいずれかの構造であれば成立するのではないかという感触はあった。ただ、本当に短期間の工期で完工できるのか、安い工費で収まるのか、そこは契約という手続きの中でやらなければいけないということだった。各工法についての要求水準を作成したため、仕様書が3倍になった。
大和屋設計検討書を発注者に説明に行くと、「その構造が妥当である根拠は何か」とよく聞かれた。港湾基準をベースに構造を検討していたが、さらにその根拠を調べようとすると、1社では見つけられなくても15社JVのうちどこかの会社が見つけてくる。その繰り返しが大変だったが、ものすごく勉強にもなった。
野口(孝)適切な照査方法を提案して頂いて、その内容を審査し、適切であると判断した場合は、その照査方法により確認行為と説明をして頂き、要求水準を満たしていれば承諾するという審査方法だった。そこは受注者が全ての責任を持って実施するという契約方法であり、国内の大規模工事では初めてのデザインビルド。従来の仕様発注なら、図面通りに造ってくれればよいが、デザインビルドでは最終形の数値と図面がないので、その妥当性を評価するのは大変な作業だった。発注者としても適切な判断をするために、仕様発注より非常によく勉強をした。
野口 孝俊氏
早期供用開始の目標が首尾一貫
野口(哲)国交省としてこういう方法で進めることになった経緯は。
野口(孝)可能な限り早く供用をさせたいということのためなら、あらゆる手段を講じようという中で、おのずとこの契約方法が固まった。設計会社と施工会社で齟齬があってはいけないし、連携の乱れがあってもいけないというので設計・施工というのが出てきた。なおかつ民間の優れた技術も生かせるということでデザインビルドという方法がだんだんと絞り込まれてきた。
小倉プロジェクト全体を通して、早期の供用開始という目標が首尾一貫していたというのが一番印象に残っている。何か判断する、またはしてもらう時の基準がすべてこの早期供用開始だったので、非常に分かりやすかった。
野口(孝)工期が短い中、受注者と協議をする際、通常なら過去の事例に照らして妥当性を確認するところだが、その作業を実施すると工期遅延に影響してしまうので、基本は次の日には返事をするという考え方だった。従来の契約に比べると非常に短時間に最大のパフォーマンスを発揮した。
野口(哲)設計・施工ではありながら、設計変更には柔軟に対応してもらった。
野口(孝)性能を満たせば設計変更を行っても、契約した時点での性能が下回らないことを満たせばよいという考え方だった。断面が変わってもそれを証明してもらえればよいという方法を取った。その意味では画期的な方法だった。
野口(哲)土質に関する条件が変わった時は設計変更を認めるというリスク分担が明確な契約だった。
野口(孝)公共事業契約約款におけるリスク分担に基づいて契約変更を実施した。通常の工事でも条件不一致での変更はあるが、今回はリスク分担に基づき、受注者のリスクに関することでは契約変更を一切行わず、発注者のリスクについてはきちっと契約変更をしようという方針が明確にあった。
大和屋土質条件の不一致以外での大きな設計変更はほとんど無かったと記憶している。
野口(孝)当時は公共事業バッシングの真っ最中。公共事業は契約当初の金額より必ず事業費が増加するという批判があった。そうした中でランプサム契約が採用された。物価スライドを除けば、当初契約額とほとんど変わらなかった。その意味では素晴らしいプロジェクトだった。
大和屋 隆司氏
川端従来の契約なら設計変更が認められると思うケースでも認められず、契約した時よりも性能が高くなっていればよいとして、工夫による解決が求められた。いろいろな工夫をして工期や費用の増加分を相殺できるので、必死になって考えた。これがプロジェクトを進める原動力になったと思う。
野口(孝)発注者としては、要求性能を満たすことが説明できれば認める方針はぶれなかった。
川端公共工事では設計図面通りに造るというのが普通なので、仕様設計慣れしている。工夫の中で従来であれば減額となるような断面を提案することに最初は抵抗があった。性能設計に慣れる必要があった。
野口(哲)着工までの間に発注者との間で100回近くは打ち合わせをしているはず。1日の議題が10件ぐらいあった。
野口(孝)工事が始まってからは、施工工区ごとに打ち合わせがあり、ダブルブッキング、トリプルブッキングも当たり前だった。
野口(哲)開港前の航空局のフライトチェックとの同時施工には神経を使った。
野口(孝)運用時において埋立・桟橋接続部の滑走路に段差がないというのは最大の要求内容だった。
野口(哲)施工段階でほかに苦労したことは。
大和屋制限表面下の地盤改良は夜間に実施した。沖側、現空港側、埋立・桟橋接続部にトータル13隻の船を毎晩制限表面区域外から移動させて作業をし、それを8カ月間行った。
川端昼間と夜間では入れる場所が違うので、毎日、夜になると滑走路の延長上の進入表面の下にサンドコンパクション船やサンドドレーン船などが移動していく。
野口(哲)作業できるのは夜の8時から朝の6時まで。6時までに制限表面の下からみんな出ていかなければならない。そして夜になるとまたみんな集まる。毎日大きな船を動かすのでアンカーの順序まで全部段取りをし、入れる順序から外す順序まで決めて進めた。
野口(孝)23時まで運航があり、朝6時から運航が再開する、さらに、夜間の維持管理工事を実施している羽田空港ならではの制約条件だった。夜間の短時間でしか施工できなかったのは相当の苦労だったと思う。ほかの空港ではちょっとあり得ない。関空、中部、北九州も供用中という条件ではなかった。そこが違う。
野口(哲)D滑走路の工事で使われた新技術は。
野口(孝)今、i-Constructionと言われているが、D滑走路の工事で既に使われていた技術もある。その一つがIT土工。締め固めや密度管理にも今で言うi-Constructionの技術が使われている。性能設計だったのでそれが認められた面もある。
大和屋円弧すべりと圧密沈下をセットにした設計計算のソフトを新しく開発した。
川端圧密沈下予測・管理システム(HASP:Haneda Airport Settlement Prediction Program)が開発・運用された。20mメッシュで埋立部の沈下予測値を年月日ごとに出すことができ、沈下管理はもちろんのこと、出来高管理の検査基準値としても運用された。また、このシステムには、何月何日にどの位置にどんな種類の土がどのくらい入ったかの各工区のデータを集めた荷重ファイルというものが必要とされた。荷重ファイルの作成には、出来形管理システムで蓄積されたデータが利用された。このシステムはトレーサビリティーにも役立った。BIM・CIMの原型のようなものと言えるかもしれない。
小倉 勝利氏
デザインビルドのメリット出たプロジェクト
維持管理の容易性も要求性能に
野口(哲)維持管理に話を移したい。
大和屋D滑走路は完成後の残留沈下を許容し、それに伴い埋立と桟橋の境界部に発生する段差は計画的に修正する設計・維持管理計画としている。完成直後は月に1~2回程度、15mm程度の段差修正を実施した。供用開始から半年後に東日本大震災があったが、残留変位も設計の想定内に収まり、滑走路の段差は2cm弱だった。滑走路は一時運用を停止したが、CABの点検後すぐに運用を再開した。
野口(孝)性能設計を採用し、各施設に対応した維持管理計画書を作れたことは非常に良い事例となり、港湾施設の維持管理計画書を作る規範になった。そこは自慢してもよいところだと思う。
小倉維持管理を考え、すぐに点検できたり直せたりできるような設計にしてある。それがあったので大震災の後もすぐに復旧ができた。維持管理を要求性能の中に組み込んだ成果だといえるのではないか。
野口(孝)「維持管理性」という言葉を作り、いかに維持管理が容易にできるかということも一つの要求水準とした。そのため最も復旧が効率的に実施される方法が採用されている。
野口(哲)設計・施工で非常にうまくいったケースだと思う。大規模工事を発注する際の大きなヒントを与えた工事だと思う。
野口(孝)小規模工事だとデザインビルドはなかなかメリットが出てこない。D滑走路建設工事程度の規模であればメリットが出てくるのではないか。
小倉造る側が、維持管理や運用の段階で発生するかもしれないリスクまで考えて設計・施工をするので、そこの意識の違いはやはり大きい。材料一つ選ぶにしても考える。発注者がそこに踏み切ったことが今の品質につながっていると思う。
野口(哲)点検のことまで考えて設計・施工したのはわれわれが初めてだったのではないか。
大和屋D滑走路は埋立材も厳選し残留沈下も小さくなるように設計・施工を行ったため、現空港の滑走路に比べて不同沈下が小さく、私が従事していた時点で舗装等の基本施設に劣化というイメージがほとんど感じられなかった。
野口(哲)施工だけでは図面通り造ることのみ考え、あまり使う人のことを考えて工事をしない。それを考える良い経験になった。その意味でも設計・施工はものすごく勉強になった。そういう仕事が増えてくるのはウエルカム。ただし発注者は大変になる。こちらがいろいろ説明したことに対し、それでいいという判断を下さなければならないから。
川端要求水準の中に供用後の地盤の変形を照査するという項目が最初からあった。この段階から維持管理への布石が打ってあった。我々が建設計画中心の設計を行ってきた中で、発注者はよく考えているなと感じた。
野口(哲)羽田にもう1本滑走路を新設するという話もある。
野口(孝)羽田にJRが乗り入れるという話が進んでくるだろう。シールド工法となれば建設土砂が発生する。首都圏で出る土砂をどこで処理するのかを考えると、どこかに受け入れ場所がないと進まない。D滑走路も建設発生土を使用して埋め立てを実施したため経済的に実施できた。今、横浜港の新本牧地区で埋立工事が始まるが、そこまで輸送すると経済的にも高くなり、CO2の排出という問題もあるので土砂処分の観点からも受け入れ地は必要だ。ただし、空域の話があるので、空港施設を建設するという話になるかどうかは別の話になる。
野口(哲)埋立工事は材料が一番のネック。どうやって材料を集めるかが重要なテーマになる。D滑走路でも建設発生土を135万㎥ほど入れている。受け入れ期間は1年半ほどだったが、都内中から来ていた。受け入れ判定基準を二重三重に作っていたが、それを突破して持ってきていた。みんな捨て土に苦労していたということだろう。今から大規模な埋め立てをやろうとすると、発生土は避けて通れないテーマになる。
川端 利和氏
国内外から多くの見学者受け入れ
野口(哲)ものすごく見学が多かった。
野口(孝)どの工事現場も学生の見学や事業視察をよく受け入れた。当時は公共事業バッシングだったので、いかに土木事業の必要性を説明するかが重要だった。ただ、「はとバス」がツアーを組むほど一般の方が来てくれるとは思っていなかった。展望台から見て何が面白いのかと我々は思っていたが、来訪者の「こんな大きなものを造っているのを見たのは初めてだから、それだけで満足です」との発言は、非現実的な空間を見学できるインフラツーリズムの先駆けとなったと自負している。
川端桟橋部脇を飛行機が飛んでくるとすごい迫力なので、見応えもあったのだと思う。
野口(哲)海外からも大学生の見学者が多かったので、英語のレジュメをたくさん作った。
野口(孝)技術検討委員会の委員は多くの機会を設けて現場確認を行い、時には学生を同伴という場合も多かった。その後、採用試験でD滑走路のような仕事をしたくて志望したという学生が何人かいたので、見学を受け入れてよかったと思っている。振り返れば、現場見学の受け入れは担い手確保や学生の土木教育につながる行為であり、今後とも様々な現場で実施して頂きたいと思っている。
野口(哲)見学会でよく出た質問や、印象に残っている質問は。
野口(孝)多くの見学者が来ると、われわれが答えに困るほど難しい質問をしてくる人もいれば、まったく興味のなさそうな人もいる。それが現場を見ていくうちに、みんな目の色が変わって興味津々になっていく。終わってみると、何かを見つけたような表情になる。土木というのはなかなか説明が難しいが今でもその目の輝きが忘れられない。
野口(哲)海外の大学生などの見学で印象に残っていることがある。発生土・浚渫土をこれほどリサイクルするのは日本だけ。もう一つは沈下管理。海外ではそもそもこんなに沈下するところに空港は造らないというのが常識。この2点をものすごくよく質問された。我々としては発生土を固化処理してリサイクルするのは当たり前、沈下を前提に開港するのは当たり前。それをコントロールするのが普通だと思っている。そこをシステマティックにやるところに非常に興味を持たれたようで、よく質問を受けた。
野口(孝)数字の大きさには感動されたようだ。米国土木学会の会長が来られた時に沈下の話をして桟橋連絡誘導路の杭の本数を説明したら、「ユー・アー・クレイジー」と。「クレイジー」は最大の褒め言葉であり、そういう仕事をしたいと思う。
野口(哲)ハイブリッド工法の空港は羽田の前に世界に三つあったが、規模では羽田が最大。滑走路を真ん中でつないでいるのは羽田だけ。
野口(孝)D滑走路は様々な新技術と工夫を採用した。閉塞化している日本にとって良いプロジェクトだった。
野口(哲)ぜひまたこのようなプロジェクトを発注してほしい。
野口(孝)民間から仕掛けることも大事だと思う。

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