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国際海上コンテナとクルーズ(背後観光地クルーズ)でにぎわう金沢港

 兼六園をはじめ著名な観光地にほど近い金沢港は、周辺に建設機械・産業機械をはじめとした有力メーカーが数多く立地し、地域経済を支える拠点港として発展してきた。北陸新幹線の開業効果も手伝って近年はクルーズ船の寄港が急増。金沢港の機能強化に向けた岸壁の再整備が本格化する一方、昨年11月には石川県によるクルーズターミナル施設の建設が着工し、開港以来とも言える大改造が始まっている。

【港湾概要】
【港湾面積】 2,208ha
【臨港地区】 400ha
【重要港湾指定】 1964年
【開港指定】 1970年
【取扱貨物量】 外貿:輸出入123万t
(輸出70万t、輸入53万t)
内貿:移出入219万t
(移出4万t、移入215万t)
 
開港以来の大改造計画が始まる
 
北前船の寄港地だった金沢港の前身
 JR金沢駅の西口から日本海に向かって一直線に伸びる県道60号(通称50m道路)の突き当たりにある金沢港は、旧宮腰(みやのこし)港(金石〈かないわ〉港)と旧大野港が合併して1954(昭和29)年に生まれた。金沢市街を流れる犀川、大野川の両河口を包含し、犀川河口の金石地区と大野川河口の大野地区の大きく2つの地区で成り立っている。大野地区は古くから栄えた港泊地で、遠く奈良時代から大陸との往来が行われていたとされる。日本海沿岸の中央部に位置する両地区は、江戸時代には北前船の寄港地として大いに賑わいをみせた。商傑と呼ばれた銭屋五兵衛が宮腰(金石地区)を拠点に広く海外と交易し、関西や東北、北海道の港との海運も活発に行われ、加賀百万石の権威を背景に繁栄を極めたという。
 しかし物流の中心が鉄道へと移るに従い、北前航路は衰退の道をたどり、金石・大野の港からも往時の賑わいは消えていった。その後、貿易港を建設しようとする動きがあったものの第二次世界大戦の勃発で凍結され、北陸地方の政治・経済の中心都市である金沢にありながらも、港湾整備は立ち後れる状況が続くこととなった。この状況を一変させたのが、1963(昭和38)年に起きた記録的な豪雪災害、いわゆる三八(さんぱち)豪雪である。
 
三八豪雪を契機に近代港湾の整備開始
 その年の1月から2月にかけて全国的に非常に強い寒波が南下。福井気象台の213cmをはじめ、富山県高岡市や新潟県長岡市、三条市など各地で観測史上最高の積雪を記録した。金沢市では1月22~27日の6日間に301cmの積雪があり、1月27日の最深積雪量は同市の史上最高記録となる181cmに達した。
 新潟県から京都市北部の日本海側と岐阜県の山間部を襲った記録的豪雪により陸路での物流は完全にストップ、金沢は陸の孤島となった。当時は港湾機能を主に富山県の伏木港に頼っていたことから、三八豪雪の教訓を踏まえ、金沢港の整備事業が具体化。翌1964年4月に重要港湾の指定を受け、大野川で掘り込み式の近代港湾の建設が始まった。現在の金沢港は胃袋を逆さにしたような形をしており、右上から時計回りに大浜(おおはま)ふ頭、石油ふ頭、五郎島(ごろうじま)ふ頭、御供田(ごくでん)ふ頭、戸水(とみず)ふ頭、無量寺(むりょうじ)ふ頭の6つのふ頭を持つ。
 
犀川と大野川の両河口を包含し、主に6つのふ頭で構成される金沢港
全写真提供:北陸地方整備局金沢港湾・空港整備事務所
 
金沢港の取扱貨物量・貿易額の推移 金沢港のコンテナ取扱貨物量の推移
 
港湾整備が地域経済に大きな効果
 
地域経済の発展支える6つのふ頭
 冬季の燃料確保の重要性を考慮し最初に着工したのが石油ふ頭。1970(昭和45)年に-7m岸壁が完成し、関税法による開港に指定された。71~73年にかけて戸水ふ頭(-10m)の2バース、無量寺ふ頭(-7.5m)の3バースが相次ぎ完成し供用を開始。御供田ふ頭(-10m)は78年に1つ目のバースが、99年に3つ目のバースが完成し、2005年にガントリークレーンが供用開始となった。コンテナやセメント・鋼材を取り扱う御供田ふ頭では13年にトランスファークレーンが、18年4月に2基目のガントリークレーンが整備された。金沢港では日韓定期コンテナ貨物航路が1988(昭和63)年に開設。開港30周年を迎えた2000(平成12)年には北米との定期貨物航路が開設されている。
 日本海に最も近い大浜ふ頭では2006年に国の直轄事業で国際物流ターミナルの整備が始動。事業効果の早期発現を図るため、08年11月に水深-12m(暫定)、延長260mのバースが供用を開始した。延長は16年に140m拡張され、大型船にも対応可能な400mとなった。金沢港の貿易額は2009年の623億円から、17年には2,375億円へと約4倍に増加、港湾整備が高い経済効果を上げている。大浜ふ頭は小松製作所金沢工場に隣接し、建機を運ぶPCTC船が2000年から入港するなど物流の核となっており、-13m岸壁への掘り下げ工事が続行中だ。
 
増大する物流・人流に対応
 金沢港のコンテナ取扱貨物量は2011年の4万7,568TEU(20フィートコンテナ換算)から2017年には6万4,306TEUとほぼ右肩上がりで伸びるなど地域産業を支える国際物流拠点港として成長する一方、ここに来てクルーズ船の寄港回数が急増、観光面での地域経済の伸張にも大きく貢献している。クルーズ船の寄港は2013年に18回、14年に16回、15年に18回、16年に26回で推移していたが、17年には一気に53回と前年比で倍増し、18年も予定を含め44回と増加。これに伴い、クルーズ船受け入れ機能の強化が急務となっている。
 クルーズ船は主に戸水ふ頭に係留。インバウンド(訪日外国人旅行者)は場内バスでCIQ(税関・入国管理・検疫)施設へ移動するが、現状では仮設テントの施設であり、ふ頭内をバスで移動するなど、乗客のスムーズな動線が確保されていない。待合施設となるレストランや会議・宿泊施設を備えた金沢みなと会館は1972年の建設で老朽化しており、周辺には工場が多く立地、クルーズ船の乗客を出迎える港としては、やや殺風景な印象を受けるのは否めない。
 
PCTC船の入港などで物流の核となっている大浜ふ頭 金沢港のクルーズ船寄港状況
 
2020年、満を持して開港50周年
 
機能強化整備計画が着々進行
 そこで石川県が打ち出したのが金沢港の機能強化整備計画だ。①金沢港クルーズターミナルの整備、②アクセス道路・駐車場・緑地の整備、③無量寺・戸水ふ頭に点在するコンテナ上屋の集約―の3本柱からなり、金沢港クルーズターミナルは2018年11月18日に金沢みなと会館の隣接地で阿達雅志国土交通大臣政務官や金沢市の山野之義市長らが出席して建設工事の起工式が行われた。建物は鉄骨造3階建て延べ1万600㎡。1階にCIQ・待合エリア、観光案内、2階にセミナールーム、レストラン、屋根付き展望デッキ、3階に金沢港湾事務所、金沢港振興協会などが入る。CIQ・待合エリアはクルーズ船の2隻同時接岸にも対応可能とし、クルーズのオフシーズンとなる冬場は屋内スポーツやイベント会場としても利用できるようにする。展望デッキに加え、建物の海側は全面ガラス張りとし、港の眺望が堪能できる施設となる。クルーズターミナルの供用により、みなと会館は解体される。
 アクセス道路の整備では50m道路から直接進入できるように改善。戸水・無量寺両ふ頭の間にある船だまりを埋め立てて駐車場を確保するとともに、緑地を整備し景観の向上を図る。合わせて、両ふ頭に点在するコンテナ上屋は御供田ふ頭の先にある東部工業用地に集約することで、すっきりした景観とし、各ふ頭の役割の明確化も図る。
 金沢港の機能強化の核となる無量寺ふ頭では岸壁の再整備事業が進行している。岸壁は、老朽化対策と合わせ耐震改良を行うことで、金沢港初の耐震強化岸壁となり、増大するクルーズ船の受け入れ拠点と緊急物資の輸送拠点の役割を担う。現在は、北陸地方整備局と石川県が同時並行で工事を進めており、地盤改良や杭打ち用の重機が立ち並んでいる。港湾施設の機能強化や魅力向上に向けたこれらの工事はクルーズターミナルを含め19年度末までの完成を目指しており、東京オリンピック・パラリンピックの開催年である2020年に、金沢港は満を持して開港50周年を迎えることになる。
 
戸水ふ頭に停泊するクルーズ船「コスタ・ネオロマンチカ」 クルーズ船の受け入れ環境向上を図るための再整備事業が進む無量寺ふ頭
 
横浜港とクルーズ船誘致で連携協定
共同でポートセールス
「おもてなし」の心でクルーズ船客を迎える
 石川県は2018年11月、横浜市との間でそれぞれが管理する金沢港と横浜港のクルーズ船誘致に関する連携協定を結んだ。谷本正憲知事が横浜市を訪問、16日に林文子市長と協定書に調印した。国内外の船会社や旅行代理店に共同でポートセールスを行ったり、海外の見本市に出展し両港の魅力を生かした航路を世界のクルーズ市場に売り込んだりする。北陸新幹線の開業で関東圏との往来が容易になったことで、新幹線とクルーズ旅行を組み合わせた「レール&クルーズ」の人気が上昇しているという。金沢港と横浜港が連携することで競争力をいっそう高め、日本海側と太平洋側のクルーズ拠点港としての位置づけを強化していく考えだ。
 

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