title
title
title
Back Number

提供:国土交通省 酒田港湾事務所

【港湾概要】
【港湾地区】 1,645ha
【臨港地区】 630ha
【バース数】 本港地区25バース、
外港・北港地区15バース
【取扱貨物量】 355万トン(2015年)
【コンテナ取扱量】 2万2,028TEU(2015年)
中国:1万3,874TEU、
ロシア:2,294TEU
 最上川の河口に位置する酒田港(山形県酒田市)は、日本海沿岸や庄内平野の河川・海上交通の要衝として発展を遂げてきた。古くは北前船・西回り航路の寄港地として繁栄し、江戸時代中期には100軒近い廻船問屋が港に軒を連ねていた。江戸末期〜大正初期、最上川の土砂流入や大型汽船の登場、陸上交通の発展などで港勢は鈍ったが、港湾施設と最上川を分離する大規模な治水工事が行われ近代港湾としての基礎が築かれた。その後は、北港開発などにより近代設備が整った港として順調に成長を続けてきた。ここ数年はコンテナ貨物の取扱量が急増。中国を中心とするアジア市場に向けた輸出拠点として注目される酒田港を紹介する。
 
ストック効果の好事例として高い評価
 
「西の堺東の酒田」、北前交易で繁栄築く
 酒田港の歴史は700年代前半までさかのぼることができ、800年代には港を中心とする酒田の町は出羽文化の中心として栄えた。初めは最上川の河口を利用した小規模な港だったが、1600年代に入り江戸に米を運ぶために計画された北前船が運航を始め、豪商・河村瑞賢が日本海側の西回り航路を拓いてから、海上交易の拠点として「西の堺東の酒田」といわれるほど活況を呈した。酒田から庄内米や紅花、うるしなどを積み込み、日本海沿岸を通って大阪や江戸に寄港。各地で塩や木綿類、海産物、日用品などを積んで酒田に帰航した。
 長きにわたって交易で繁栄した酒田港だが、明治時代に入ると最上川の流入土砂による港湾施設の埋没、大型汽船の登場、鉄道など陸上交通の発展によって港勢は大きく衰退。明治末期から大正にかけては港内の水深が浅くなり大型船が入港できなくなったため、艀(はしけ)による沖荷役が行われていた。
 当時の内務省は1919(大正8)年〜1932(昭和7)年にかけて、最上川の洪水対策として酒田港と最上川を分離する大規模な土木工事を実施した。最上川と酒田港の間に「背割堤」と呼ばれる仕切りを築堤。1932(昭和7)年5月に完成した河海分離工事によって酒田港の弱点だった流入土砂の堆積を食い止めることに成功し、近代港湾に生まれ変わる礎が築かれた。
 戦後の1948(昭和23)年に開港場指定を受け、1951(昭和26)年には港湾法に基づく重要港湾に指定された。2年後の1953(昭和28)年に山形県が港湾管理者となり、1954(昭和29)年に決まった港湾計画に従い本格的な開発が始動。1966(昭和41)年、港湾審議会計画部会で酒田港拡張計画が決まり、1970(昭和45)年から北港地区の開発が始まった。この工事では本港地区の北側約3kmの海岸線を掘り込み、同時に発生した掘削土砂で現在、火力発電所などが立地する工業用地を埋立造成した。並行して防波堤や護岸の整備も進められ、1974(昭和49)年に北港が開港した。
 
酒田港の位置図
提供:国土交通省 酒田港湾事務所
 
港を核に交流人口の拡大目指す
 
外貿コンテナ取扱貨物が急増
 北港開港以降も岸壁や防波堤などのハード整備は着々と進行した。航路開拓にも力を注ぎ、1992(平成4)年に中国黒竜江省との新航路「東方水上シルクロード」、1995(平成7)年には韓国・釜山港との定期コンテナ航路が開設された。
 近年の外貿コンテナ取扱貨物量を見ると、2011(平成23)年が1万346TEU(うち輸出3,601TEU)、2012(平成24)年が8,666TEU(同2,953TEU)、2013(平成25)年が7,797TEU(同2,538TEU)と推移。決して順調とは言えない状況だったが、この流れは酒田港に生産拠点を持つ大手化学メーカーのある戦略によって一変する。
 日本製「乳幼児用紙おむつ」の需要が中国やロシアで急増したことを受け、このメーカーは製品増産のために国内で設備投資を計画。日本海側に位置する格好の地理的条件を満たし、ガントリークレーン増設といった利便向上も後押しとなり、2014(平成26)年2月、本港地区に紙おむつの新工場を稼働させた。
 輸出が本格化したことで、酒田港の外貿コンテナ取扱貨物量は2014(平成26)年に過去最高の1万3,799TEUと、2013年に比べ76.9%増を記録。さらに2015(平成27)年は急増した前年をさらに上回る2万2,028TEU、2014年比59.6%増となり、国内でも成長が著しく、インフラ整備のストック効果を発揮している港湾として注目を集めるようになった。
 海運需要の急拡大に連動し、2014年2月時点で週2便だった国際定期コンテナ航路は2015年6月時点で週6便に増え、2015年12月にはさらに1便増えて週7便が運航。韓国の蔚山(ウルサン)や釜山、中国の上海や寧波(ニンボー)を行き来している。恵まれた立地条件や港湾機能の充実が民間企業の設備投資を呼び込み、取扱貨物量の増加がさらなる設備投資や港湾機能の充実、雇用創出につながる好循環を生み出す。このメーカーは現在、さらに100億円規模の追加投資を実施中で、2016年秋には新たな工場が完成するという。
 
 
ヤード拡張やバース延伸など計画
 
ヤード拡張など港湾機能強化を検討
 コンテナクレーンの増設といった港湾機能の強化と、中国をはじめとする巨大市場に近いという立地条件によって企業の工場増設が盛んになり、2015年にはコンテナ貨物取扱量が2万TEUを超えた酒田港。港を管理する山形県港湾事務所の菅井時弘所長は「港湾機能の強化に合わせて国際定期コンテナ航路が増便され、酒田港は便利になっている。コンテナ貨物取扱量を2019(平成31)年に3.5万TEUまで引き上げるのが今の目標だ」と話し、新規荷主の開拓に向けPR活動により力を注ぐ。また、国土交通省と山形県は、さらなる港湾機能の強化のため外港地区にある国際ターミナルの施設整備に向けた取り組みを進めていく。2016年度、国土交通省は国際ターミナルの岸壁延伸の基礎調査(土質調査、測量、設計・施工方法の検討)を実施。山形県は、既存コンテナヤード(水深−14m、岸壁延長280m)で管理棟などの設計を実施するとともに、隣接する3haの土地をコンテナヤードとして拡張するため、舗装、フェンスや照明灯などの設置工事を進める。コンテナ貨物の取扱量急増という追い風を生かすために、菅井所長は「荷主開拓と合わせて工業団地への新規誘致、再生可能エネルギー関連開発、クルーズ船誘致に注力したい」と力を込める。
 
ヤード拡張と大型船接岸対策の計画地
提供:国土交通省 酒田港湾事務所
 
インバウンド需要に照準、ソフト・ハードの両面で取り組み加速
 クルーズ船の寄港による経済波及効果は大きく、飲食や土産品購入、ツアー参加など乗船客がもたらす直接効果はもちろん、観光消費に伴う関連産業の生産増といった1次間接効果、直接・1次間接効果に伴う雇用者所得増による消費支出増という2次間接効果も期待できる。
 外航クルーズ船のインバウンド(訪日外国人客)は現在、年間100万人を超える。船の大型化も進んでいる。ただ酒田港に外航クルーズ船が寄港した実績はこれまでない。国や県、市、民間企業などで構成する“プロスパーポートさかた”ポートセールス協議会は「外航クルーズ船誘致部会」を新設。誘致実現に向けた計画づくりを進めながら国内外に対する売り込みを強化し、「酒田港を核に周辺地域の交流人口拡大につなげたい」(菅井所長)としている。
 
 
外航クルーズ船寄港へ取り組み強化
 
再生可能エネルギー発電施設が集積
 産業面で好循環に入っている酒田港は、風力や太陽光といった再生可能エネルギー発電施設の集積地という顔も持つ。風力発電施設は港とその周辺を合わせて15基が立地。発電出力は酒田市全世帯の年間電力消費量の約3割に相当する2万5,270kWに達する。2013年9月には北港地区に出力1,000kWの大規模太陽光発電所(メガソーラー)が稼働している。
 同じく北港地区では大手商社の関連会社が東北最大級の木質バイオマス発電所を建設する。250億円を投資し出力5万kWの発電所と輸入木質ペレットの保管施設を整備。2018年5月の稼働開始を目指し、6月に発電所の建設工事が始まった。発電所では主燃料として輸入木質ペレットを年間12万t、間伐材が原料の木材チップを同16万t、補助燃料として石炭を同1万6,000t使用する。
 
“プロスパーポートさかた”ポートセールス協議会新組織体制図
 
地域経済活性化の礎に
 酒田港は、山形県唯一の重要港湾として国内だけでなく北東アジアとの交流拡大で大きな役割を果たす。ハード面では需要が増大する外貿コンテナ貨物の取扱量底上げ、分散している物流機能の集約と適正配置、静穏性確保に不可欠な防波堤整備などが課題となる。ソフト面は外航クルーズ船寄港のほか、鳥海山や最上川などの美しい自然や歴史的建築物を生かした景観形成、市民が集まれる憩いの場整備などが課題に挙げられる。産業活動を支えながら、物流、交流、環境、安全の四つの機能をどう充実させるのか、今後の動きが注目される。
 
酒田港全景
提供:国土交通省 酒田港湾事務所
 

Back Number