![]() |
![]() |
![]() |
伏木富山港新湊地区(富山新港) 提供:伏木富山港湾事務所 |
|
「バイ船」で賑わった伏木、東岩瀬(富山)の両港 |
伏木富山港は、能登半島に囲まれた富山湾の中心部に位置する。伏木(伏木港)、新湊(富山新港)、富山(富山港)の3地区で構成され、東西約20km内にこの3つの地区が点在する。このうち、西側にある伏木地区がもっとも古くから栄え、大伴家持が越中国守として赴任(746年)した際には、伏木の港として沿岸交易の要港として栄えていた。 東側に位置する富山地区も鎌倉時代には米の積み出し港として発展した。北条義時が制定した日本最古の海法「廻船式目(かいせんしきもく)」には、当時の日本の代表的な港である「三津七湊(さんしんしちそう)」の1つとして、越中岩瀬湊が盛り込まれている。越中岩瀬湊は今の富山地区の位置とは少し異なり、当時の神通川河口の西岩瀬にあった。17世紀後半に西岩瀬が洪水や侵食で港の機能を失い、現在の富山地区がある東岩瀬に港が移ったという。 江戸時代後期になると、伏木、東岩瀬の両港と、後の富山新港となる放生津(ほうじょうづ)は北前船で大きく賑わった。北前船は物資の運搬料で利潤を得るのではなく、船頭が荷を買い上げ、それを各地の港で販売して儲けていた。このため、1回航海すると買い上げたお金の「倍儲かる」ことから、地元では北前船のことを「バイ船」と呼び、明治時代中期まで隆盛を極めた。 |
海外との交易拠点として港湾施設を整備 |
伏木と東岩瀬の両港は、海外との交易拠点としても注目された。明治時代に入り、伏木港は海外と取り引きできる港として1889(明治22)年に「特別輸出港」、1894(明治27)年に「特別貿易港」、1899(明治32)年に「開港場」として指定され、ロシア領沿海州や樺太、朝鮮などと貿易を行った。 海外との交易が進む中で、港湾施設も整備された。明治から大正にかけて小矢部川に合流する庄川の改修工事が実施され、これによって小矢部川河口と庄川が分離され、伏木港は土砂の堆積が抑制された。同時に伏木港の港湾施設も改修工事が行われ、1912(大正元)年には3,000トン級の船が接岸できる近代港湾となった。 伏木地区は近年、小矢部川河口沿いの岸壁だけでは大型船などに対応できなくなってきたため、1989(平成元)年に外港建設に着手。1998(平成10)年に万葉1号、2号岸壁、2006(平成18)年に万葉3号岸壁がそれぞれ供用を開始している。 東岩瀬港(富山港)も大正時代に改修工事が実施され、導流堤で港を神通川と分離して土砂が港湾内に堆積しないように改善された。昭和に入り、「明治の治水」事業でできた廃川地を埋め立てて都市化するため、東岩瀬港から富山駅北まで約5kmの運河が開削され、その掘削土砂が神通川廃川地33万坪に使われた。 戦後、本格的に岸壁が整備され、1966(昭和41)年に1号岸壁(ー10m)、1968(昭和43)年に2号岸壁(ー10m)などが相次いで供用開始され、既存岸壁の改良工事なども実施された。 |
![]() |
伏木富山港の位置図 |
潟湖を利用した「新湊地区」が1968年に開港 |
一方、新湊地区は1964(昭和39)年に指定された「富山・高岡新産業都市」の新たな流通拠点として計画された港。約1.8haの放生津潟を利用して掘り込み式港湾を建設し、浚渫した土砂で背後の湿田地帯を埋め立て工業地帯を造成した。工事は計画指定を受ける前の1961(昭和36)年に着手。1968(昭和43)年4月に開港し、同時に造成された背後工業用地(約426ha)には現在製造業など約90社が立地し、約7千人の雇用を創出している。 2002(平成14)年には、多目的国際ターミナルが整備され、コンテナ貨物量が順調に増加。2007(平成19)年にコンテナヤードを拡張。2010(平成22)年度には岸壁改良工事を実施し、これに併せてコンテナ用ガントリークレーン1基が増設され、ガントリークレーン2基体制で港の機能向上が図られた。 |
輸出入のバランスが良い取扱貨物量 |
伏木富山港の取扱貨物量は2013(平成25)年で771万トン、貿易額は3,688億円となる。2008(平成20)年までは1,100万トンを超えていたが、「リーマンショックとロシアの中古自動車の関税引き上げ、精油所の機能停止の影響を受け、2009(平成21)年に大幅に落ち込んだ。ただ、その後はコンテナや中古車輸出を中心に回復し、過去5年間で貨物量は1.4倍になっている」(富山県)。 特に外貿コンテナ取扱貨物量が好調で、2013(平成25)年のコンテナ取扱貨物量は76,904TEU(速報値)で過去最高を記録。2002(平成14)年と2012(平成24)年を比較した過去10年間の伸び率をみても、5.6%増と全国平均(3.2%増)を上回っている。 2013(平成25)年の取扱貨物量の内訳は外貿520万トン、内貿252万トン。外貿は輸出159万トン、輸入361万トンで、内貿は移出23万トン、移入229万トンとなる。また、コンテナ貨物の輸出入のバランスが良いことが特徴で、「ファスナーや自動車用の特殊ゴム、アルミ素材などトップシェアを誇る製造業が港の背後地に多く立地し、輸出も一定量あり、結果的に輸送コストの削減にもつながっている」(富山県)。 |
![]() |
![]() |
|
■総取扱貨物量の推移 | ■外貿コンテナ取扱貨物量の推移 |
極東ロシアへ国内唯一の定期RORO船 |
品目別では、火力発電用の石炭が最も多く、次いで石油製品、木材チップ、完成自動車、重油、原油などの順となる。このうち、完成自動車はロシア向けの中古自動車が大半で、2013(平成25)年には85,287台が同港からロシアに輸出された。この台数は国内からロシア向けに輸出される中古自動車の約半数に相当。さらに、国内からロシアへの輸出貨物取扱量の全体をみても、伏木富山港は国内第1位となる。 「現在、外貿定期航路は5航路43便/月が就航しています。外航商船入港隻数は本州日本海側の港では、新潟港に次いで第2位(平成23年)で、極東ロシアへの定期RORO船が運航しているのは国内で伏木富山港だけです。ロシアだけでなく、中国や韓国も含め、大陸沿岸部に位置する港との定期航路をさらに増やし、取扱貨物量を拡大していきたい」(富山県)。 ロシア向けの中古自動車の輸出は、リーマンショックの同時期に関税が引き上げられたため、激減した。ただ、今年1月にロシアが自国の自動車メーカーを優遇する措置(廃車税)を是正したため、中古自動車の輸出がさらに増加することが期待されている。 一方、貨物取扱量を伏木、新湊、富山の3地区別でみると、多目的国際ターミナルがある新湊地区が全体の取扱量の6割弱を占め、ロシア向けの中古自動車を多く扱う富山地区が約3割、石油製品を多く扱う伏木が1割強となっている。 「〝逆さ地図(環日本海諸国図)〟でみればよく分かるのですが、伏木富山港は日本の東京や名古屋、大阪などの主要都市と対岸諸国を結ぶ中心に位置しています。その地理的な好条件を生かし、国際的な物流拠点を目指していきたい」(富山県)。 |
![]() |
![]() |
|
伏木富山港富山地区(富山港) 提供:伏木富山港湾事務所 | 日本の逆さ地図。環日本海交流の中心に位置する伏木富山港 提供:富山県 |
大型クルーズ船などが相次いで寄港 |
富山県では物流拠点だけでなく、観光拠点としても伏木富山港の活用に力を入れている。昨年9月にはアジア最大級の外国クルーズ船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」が寄港。石井隆一知事が自ら海外を回って、クルーズ船誘致のトップセールスを展開している。 「今年4月に外国クルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号が寄港しました。今後、国内外の豪華客船の寄港も予定されており、クルーズ船の誘致には県を挙げて取り組んでいます」(富山県)。 県内には立山黒部アルペンルートをはじめ、五箇山、富山湾の味覚など数多くの観光資源がある。来年3月の北陸新幹線の開業を控え、外国人も含めた観光客を呼び込み、県内全体の経済の活性化にもつなげていく方針だ。 |
![]() |
提供:伏木富山港湾事務所 伏木富山港伏木地区(伏木港) |
![]() |