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苫小牧港西港区 提供:苫小牧港管理組合 |
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港湾施設整備は漂砂との戦いだった |
苫小牧港は、太平洋に面した砂浜に建設された港だ。背後地には勇払原野が広がり、明治時代には浜からイワシの地引き網漁が行われ、賑わったという。 大正時代に入り、漁が衰え始めると、沖合漁を求めて漁港整備を望む声が地元から上がった。地元の漁師である今井寅之助や永井勇三郎は周囲の強い要望を受け、私財を投げ打ち勇払川河口に港の建設を進めるが、掘り込んだ水路は打ち寄せる波と潮の流れで、いずれも砂に埋もれてしまった。 それでも、地元の港づくりの情熱はさめず、国などへの陳情活動が続けられた。大正後期、留萌築港事務所の林千秋所長が「勇払築港論」を発表。林所長は当時、北海道から多くの石炭が本州に運ばれていたことに注目し、その積出港として勇払港の整備が必要だと訴えた。この反響は大きく、昭和に入り、試験突堤の建設や工業港としての研究が進められた。 戦後、こうした地道な陳情活動や各種の調査研究が功を奏し、1951(昭和26)年には国の予算に苫小牧港築港のための調査事業費400万円が計上され、同年8月に現地で盛大に起工式が行われた。ただ、建設は容易ではなかった。砂浜の原野に世界初の掘り込み式港湾を建設するため、約11年間にわたって漂砂の調査研究が続いた。その調査結果をもとに防波堤の整備などを進め、1960(昭和35)年から本格的な内陸の掘り込み作業に着手。1963(昭和38)年に第一船の石炭船が入港した。 この時、掘り込み式港湾はまだ一部しか完成しておらず、その後順次港湾施設が整備された。港湾機能の充実が進む中で、1965(昭和40)年には港湾管理者として、北海道と苫小牧市の共同管理となる苫小牧港管理組合が発足。すでに開港以前に設立されていた苫小牧港開発株式会社、苫小牧埠頭株式会社と合わせて、官民の苫小牧港の管理、運営体制が整った。 |
苫東計画と一体的に整備された東港区 | ||
岸壁不足が深刻化する中、国家的なプロジェクトである苫小牧東部工業開発計画(苫東計画)のマスタープランが1971(昭和46)年に決定。西港区から20数km離れた浜厚真(はまあつま)沖に新たな港(東港区)を建設し、同時にその背後地に重厚長大産業を中心とした工業基地開発計画が提示された。 港湾整備はこの工業基地開発と一体的に実施された。巨大ケーソンによる急速施工で建設が行われ、着工からわずか4年という異例のスピードで、1980(昭和55)年に一部供用(石炭岸壁)を開始した。 現在、公共ふ頭として国際コンテナターミナルがある中央ふ頭(−12〜−14m)、フェリーターミナルの周文ふ頭(−9m)、民間ふ頭として苫東ふ頭があり、北海道電力苫東厚真発電所やコール(石炭)センターがある。 開発は第三セクター方式で設置された苫小牧東部開発株式会社が担当した。着工前に起きた石油危機で景気が低迷。港湾整備は行われたものの、工業基地開発は思うように進まなかった。ただ、石油危機をきっかけにエネルギー政策が見直され、国家石油備蓄基地構想が浮上。東港区の背後地の工業基地には大規模な石油備蓄基地が整備された。 1995(平成7)年には苫東計画が見直され、東港区と西港区の一体的な運用が開始された。広域的な物流港として機能拡充も進められ、東港区にはエネルギー関連、リサイクル関連などの企業が立地している。 |
取扱貨物量は国内第4位で、道内の約半分 |
苫小牧港の2012年の取扱貨物量は、前年比3.1%増の9,941万トンで、国内第4位の規模を誇る。2008(平成20)年のリーマンショック前は1億トンを超えていたが、2009(平成21)年に9,405万トンまで落ち込み、その後は回復を続けている。北海道内でみると、道内全体の48.8%と約半分の取扱貨物量があり、道内の「かなめのみなと」となっている。 内・外貿の内訳は、内貿が同4.8%増の8,245万トン、外貿が同4.5%減の1,696万トン。内貿は2001(平成13)年から国内第1位をキープし、2位の北九州港(2012年実績で6,622万トン)を大きく引き離している。 苫小牧港管理組合の松原敏行総合政策室企画振興課長は内貿を支えている要因として、札幌をはじめ道内の主要都市と高速道路網で結ばれているという「地の利」を挙げるとともに、定期船航路ネットワークの充実を強調した。 |
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■港湾取扱貨物量 | ■外貿コンテナ取扱量 |
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完成した本港地区西ふ頭の耐震強化岸壁 |
定期航路は28航路、週113便が就航 | ||
このうち、フェリーは西港区で八戸、仙台、仙台・名古屋、大洗の4航路、東港区で秋田・新潟・敦賀、敦賀の2航路があり、年間79万人の旅客と取扱貨物量の約55%を輸送している。 主な取扱貨物は、完成自動車工場が道内にないため、完成自動車のほぼ100%を苫小牧港で扱っている。このほか、家電製品や日用品、石油製品、紙・パルプ、自動車部品、建設資材、再利用資材などの貨物を取り扱っている。 外貿のうち、外貿コンテナについては19.6万TEU(2012年)で、北海道全体の約7割を占める。内訳は輸出が8.9万TEU、輸入が10.7万TEU。北米、韓国、中国・韓国、ロシアへの航路があり、主な輸入品目は製材・原木、農産品、牧草・飼料、製造工業品など、輸入品目は紙類、自動車部品、水産魚介類、電気機械などとなっている。 松原企画振興課長は「西港区にもあった国際コンテナ機能を今年3月に東港区に集約しました。翌4月にはロシア航路が18年ぶりに復活しました。輸出が少ないのが課題で、今後道庁などと連携しながら、農産物をはじめとした道産品の輸出拡大を進めていきたいと思っています」という。 |
豊かな自然と人、みなとを調和 |
工業港から流通港として発展を遂げる苫小牧港だが、最近は「人とふれあう港づくり」にも力を入れている。西港区北ふ頭に遊具や遊水路などがある「キラキラ公園」を整備。休日には親子連れなどで賑わっている。勇払地区にはマリンレジャーの拠点「勇払マリーナ」も整備されている。 松原企画振興課長は「苫小牧市は工業都市・港湾都市のイメージが強く、毎年8月に開催する『港まつり』には多くの観光客が訪れます。ただ、普段から港と人が触れ合う機会は少なかったような気がします。苫小牧港の周辺には樽前山やウトナイ湖など豊かな自然も多い。こうした自然と港を調和させ、多くの人が集う港づくりを進めていきたい」という。 |
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提供:苫小牧港管理組合 海王丸が入船 |
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