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函館港全景写真 提供:函館市
明治20年頃の函館港(函館市中央図書館所蔵)

 函館港の近代史は、外国との軋轢の歴史でもあった。1793年にロシア使節ラクスマンがエカテリナ号で函館港に入港。あわてた幕府は、松前藩に支配を許していた蝦夷を直轄とし、鎖国を守ろうとしたが、黒船で浦賀にやってきたペリーに押し切られ、日米和親条約を締結。江戸から離れた函館港と長崎港を外国船が燃料などを補給するための寄港地として開港せざるを得なくなる。その後、初代米国領事ハリスとの間で日米修好通商条約を締結し、函館港は1859年に横浜、長崎などの港とともに国際貿易港として本格的に開港することになる。大きく発展を遂げた函館港は現在、南北海道唯一の重要港湾として、外貿コンテナ航路をはじめ南北海道の物流拠点として重要な役割を担っている。北海道〜本州フェリー航路の発着場として国内全体の物流にも大きな影響を持つ。また、函館港のウォーターフロントは「観光都市函館」の人気スポットとなり、多くの観光客でにぎわっていて、クルーズ船の寄港地としても人気が高い。さらなる発展を目指し、産学官が一体となり「函館国際水産・海洋都市構想」も進行中だ。
 国際貿易港として開港してから150周年を迎える今年は、7月1日に開港150周年記念式典が開かれ、8月8〜16日には記念イベントが予定されている。

北海道初の近代港湾施設
 函館港には、近代土木の父として有名な廣井勇博士が手掛けた石積み防波堤が残っている。廣井博士といえば小樽港の北防波堤が有名だが、実は小樽港より1年早く函館港で石積み防波堤を手掛け、コンクリート試験を繰り返すなどして基礎的技術を構築していた。北海道で最初の近代港湾施設といわれ、100年以上経過した現在も防波堤として機能している。2004年には周辺の造船ドックなどを含めた函館港改良施設群として、土木学会の選奨土木遺産に選定されている。
 この防波堤は1896年に着手した函館港改良工事の一環として整備された「函館漁港船入澗(ふないりま)防波堤」で、西風の際に波浪が港内に進入するのを防ぐのが目的だった。
 調査・設計および工事監督を、当時、札幌農学校の助教授で北海道庁の技師を兼務していた廣井氏が担当。築造にあたっては、弁天岬台場(旧砲台)の解体で発生した土塁石垣の石材が再利用された。石積みとコンクリートを利用した練り積み工法で、コンクリートブロックの土台に石材を積んで築造した。1899年に完成。このコンクリートブロックは、日本人による設計施工で大きな失敗もなく竣工した防波堤用コンクリートの第一号といわれる。

[写真左]函館漁港に廣井勇の石積み防波堤が現存
[写真右]小樽築港事務所長時代の廣井勇(提供:小樽港湾事務所)

函館港の歴史
1793年
1801年
1855年
1859年

1896年
1903年
1908年
1910年
1925年
1932年
1951年
1953年
1959年
1964年
1974年
1980年
1988年
1997年
2002年
2005年
ロシア使節ラクスマンがエカテリナ号で入港(外国船の初入港)
幕府による海面埋立および造船所建設を開始
日米和親条約に基づき外国船の補給船として開港(寄港地としての開港)
日米修好通商条約に基づき、外国貿易港として開港。
運上所(後の税関)を設置(国際貿易港としての開港。ここから数えて150周年)
廣井勇の調査・設計に基づき、第一期函館区営改良工事(函館港改良工事)に着手
函館船渠(現函館どつく)に船渠完成
函館〜青森間に青函連絡船が就航
北海道第一期拓殖計画に着手。若松町で青函連絡船の専用桟橋が供用開始
青函連絡船の貨車積み込み輸送を開始
西ふ頭の供用開始
重要港湾に指定される
函館市が港湾管理者に
中央ふ頭の供用開始
函館〜大間間にフェリー就航
万代ふ頭供用開始
緑の島の建設開始
青函トンネル開通、函館連絡船廃止
幹線臨港道路の第一工区が開通
港町ふ頭岸壁(水深14m)の供用開始
函館港港湾計画を改訂

港湾区域面積= 2,293万m
臨港地区面積= 262.6ha
バース数(公共、専用)= 80バース(09年3月現在)
入港船舶数(07年度実績)= 1万6,535隻(うち外航船251隻)
取扱貨物量(07年度実績)= 31,740千トン
貿易額(07年実績)= 473億5,700万円

弁天地区に総合研究センター「函館国際水産・海洋都市構想」実現へ
 函館港の施設整備は、1801年に江戸幕府と高田屋嘉兵衛により埋立が行われ、堀割と造船所が建設されたのが最初と言われる。本格的な築港工事は1896年の第一期函館区営改良工事(函館港改良工事)が最初で、西ふ頭、中央ふ頭、万代ふ頭、港町ふ頭などが順に整備され、近代港湾として発展を遂げてきた。
 現行の函館港港湾計画は2005年4月に改訂された。「賑わいと親しみあふれる活力ある函館港」を目指し、南北海道の流通拠点としての整備や、地域特性を活かした国際的な水産・海洋に関する学術・研究拠点の形成、国際観光都市として賑わいと魅力あるウォーターフロントの整備が計画されている。
 計画の柱は弁天地区の再開発、フェリーふ頭の整備、旅客船ふ頭の整備など。このうち、弁天地区では2003年3月に策定された「函館国際水産・海洋都市構想」に基づき、その中核をなす国際水産・海洋総合研究センターが整備される。同センターは、国や大学などの学術研究機関が集積した複合的研究施設で、北大の水産学部や道の水産研究機関などが入る。すでに設計を委託済みで、2013年に一部供用を開始する予定。
 同地区では同センターを中心に水産海洋関連調査船の係留施設や臨港道路、マリーナ、緑地などの整備も計画されている。2008年11月には港湾計画を一部変更し、専用埠頭計画を追加し、併せて土地利用計画の変更が行われた。センターの前面では北海道開発局函館開発建設部が調査船の係留施設となる岸壁整備を進めており、センターと同時期の供用開始を目指している。
 フェリーふ頭は、北ふ頭に新たなバースを整備し、現在三つのフェリー会社が利用している複数のふ頭を集約する。北海道と本州を結ぶフェリー輸送機能をさらに強化するとともに、岸壁は耐震強化構造とし、災害時の緊急物資の輸送にも対応できるようにする。若松地区で予定されている大型旅客船ふ頭は、国内外の観光クルージング需要に応えるのが目的。多くの観光客を呼び込むだけでなく、耐震強化岸壁として災害時の緊急物資の輸送も行う。
 これらの施設が完成すれば、函館港は物流・観光機能が大幅に強化されるとともに、「国際水産・海洋都市」という、港湾を中心とした新たな街づくりが進むことになる。

[写真左]着々と整備が進む函館港(提供:函館市)

記念イベントポスター(提供:函館市)
8月8〜16日に記念イベント
「食」「音楽」「スポーツ」キーワードに
 函館港開港150周年の記念イベント「DREAMBOX150」は8月8〜16日に函館港の緑の島(大町・末広地区)で開かれる。記念事業実行委員会(会長・西尾正範函館市長)で準備を進めており、「食」「音楽」「スポーツ」をキーワードにコンサートや市民ステージ、マリンレジャーなど、たくさんのイベントが繰り広げられる予定だ。
 8日のオープニングイベントでは、航空自衛隊ブルーインパルスが大空を舞い、祝賀ムードに花を添える。屋外ステージでは、市民から公募した言葉をつないで作曲家の小林亜星さんが作ったアニバーサリーソングの大合唱に続いて、セレモニー、海上自衛隊東京音楽隊の演奏会、アンサンブルコンサートが予定されている。
 9〜10日には世界の芸術団体が集う「はこだて国際民族芸術祭」、11日には函館の開港、歴史に関するシンポジウムが開かれる。13日には2010年に名古屋で開催される「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)と連動させたスペシャルライブが予定されており、札幌出身の歌手、大黒摩季さんらがステージに立つ。
 会期中、函館の物産コーナー「国際フィッシャーマンズ・マーケット」では、水産の町・函館をアピールするため、漁獲から食卓に上るまでの工程を展示するほか、マグロの解体ショーなども実施。地場食材を条件に市内の店舗を募集し、地場食材の飲食コーナーを設けるほか、おつまみも楽しめるビアガーデンも開園する。
 物販や飲食には、前売りに対して10%のプレミアムが付いた専用通貨「ペロリ」を使用してもらう。

高田屋嘉兵衛像
発展に貢献した高田屋嘉兵衛
100周年の時に市内に銅像
 開港100年を記念して1958年に函館市内に建造されたのが、江戸時代の廻船商人、高田屋嘉兵衛の銅像だ。制作者は函館出身の彫刻家、梁川剛一。
 嘉兵衛は淡路で生まれ28歳で箱館に渡り、箱館を拠点に択捉島をはじめ北方に漁場を開いた先駆者だ。一代で巨万の富を築いたが、私欲におごることなく、積極的に地元へと還元して箱館の発展に貢献した。
 1811年に日本で捕らわれの身となったロシア人、ゴローニンを釈放させるため、自らの身を挺して日露両国を説得した活躍は有名。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公でもある。

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