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水先人やクルーとの意志の疎通が、仕事の出来不出来を決める
横浜港、川崎港を中心に活躍するタグボート「天竜丸」

 
「天竜丸」船長 伊藤 博 氏
 1952(昭和27)年、千葉県南房総市生まれ。学校を卒業後、東京汽船株式会社へ入社。以来、35年以上にわたってタグボートに乗務。食事を用意する係からスタートし、実地で業務を習得。10年間、航海士(副船長にあたる職位)を務めたのち、2001(平成13)年、に就任。主に横浜港と川崎港で活躍している。
 
 
[写真左]これほどの船体差があっても、押船することが可能
[写真中]鍛えられたクルーたちの行動は俊敏だ [写真右]ときに大胆にときに慎重に、勘と技を働かせる

わずか228tの小さな船が大型船やケーソンを「押して」動かす
 “天竜、真横”“天竜、停止”“天竜、おもて向き、スローに”
 無線機を通じて、絶え間なく操舵室へ送られてくる指示。船内ではクルーが指示を逐一復唱し、船長は操舵器をきめ細かく操作して、自船よりはるかに大きい貨物船を、ゆっくりと押し動かす。細心の注意が必要な作業。操舵室には緊張感が漂う。
 横浜港の本牧ふ頭に入港してきた中国の大型コンテナ船を、タグボートが押して着岸させている。コンテナ船の総トン数は65,000t、対するタグボート「天竜丸」は228t。押船しているさまをたとえるなら、クジラの横腹に衝突したマグロといったところか。にもかかわらず、天竜丸が大型コンテナ船を動かすことができるのは、4,000馬力もの強力なエンジンを搭載しているからだ。
 「指示にあった『おもて』という言葉は、本船(コンテナ船)の前方という意味。本船をゆっくりと前方へ押し出せという指示です。本船自体の動力で進むと前へ出すぎてしまうので、タグボートの力で適切な位置へ動かすのです」
 そう解説してくれたのは、天竜丸の伊藤博船長だ。タグボートひと筋37年のキャリアを誇る、ベテラン中のベテランである。
 タグボートの操船技術は独特だ。一般的な船の構造と異なり、タグボートにはプロペラが左右に2基ついており、水平に360度回転する。この構造により、きめ細かな方向転換と推進を兼ね備えた機動力を発揮するのだが、そのぶん操作も複雑で、高い精度を求められることになる。彼は「あくまで本船に乗り込んでいる水先人※からの指示に忠実に従うのが基本」と言う。だが、指示の内容は、冒頭に挙げたように方向と前進後進程度のシンプルなもの。さらに、操舵室からの視界は本船の船体に覆われ、その向こうの岸壁と本船との距離は確認できない。
 そのような条件下で、巨大船舶を数十cm〜数m単位で動かし、円滑に着岸させるのが、タグボート船長の手腕である。取材時、周囲のスタッフは彼の技術を「まさに職人技」と評した。
※多数の船舶が行き交う港や海峡、内海において、その水域に精通し熟練した操船技量と高度な知識で船舶を安全かつ効率的に導く専門家

経験からしか学べない勘と技を部下へ教え伝える
 タグボートの主な役割は、離着岸の補助以外にも本船の航路内警戒や海上防災、また、自航する機能を持たない浚渫船や起重機船の曳船など、港湾整備にも重要な役割を持つ。
 「ひととおりすべての業務を経験していますが、近年は離着岸の補助が中心で、毎日4〜5件の作業をしています。いまでも作業ごとに自分なりの出来不出来がある。水先人や同乗のクルーとの意思の疎通が、仕事の出来を大きく左右します」
 タグボートの操船は立ち仕事で、船長は常に視界や通信内容、クルーの作業状況などを把握し、迅速かつ確かな判断が求められる。
 「港内の状況は刻々と変化します。他の船もたくさん出入りしているし、思わぬ事態に出会うこともある。だからこそ、タグボートが存在する意味があるのです。横浜や川崎などの港は、タグボートがなければ大型船の出入りは不可能でしょう」
 強い使命感を抱き、仕事に勤しむ伊藤船長。その毎日はハードだ。毎朝5時6時には出航の準備を始める。本船の入出港の予定時刻は決まっているものの前後することも多く、1回の作業にかかる時間が読めない。早朝から夜まで、心身ともに消耗する仕事がつづくうえ、月に3〜4回の夜間勤務もある。
 「睡眠時間は普通の人の半分くらいでしょうね。だから、休日はしっかりと体を休めるようにしています。体調管理も仕事のうちです」
 長年にわたってタグボートに従事してきた者だけに備わった時間軸。そして、ベテラン船長としての自負も染み付いている。
 「船長はクルーにとって尊敬と畏怖の対象。実際、厳しく叱ることもありますが、それはあくまで『指導』です。この仕事は、経験でしか学べない。でも部下を萎縮させてしまっては、ひとつの目的に全員が心を合わせて取り組むという、仕事の勘どころが損なわれる。そうならないよう、常日頃から心がけています」
 叩き上げでここまで歩んできた彼は、若き日の実感を思い起こしながら、部下に中身の濃い経験を積ませるよう努める。「職人」の名にふさわしい勘と技を教えるための、地道な育成である。

タグボート
 タグボートは、船舶や水上構造物を押したり曳いたりする船のこと。港湾で船舶が岸壁や桟橋に離着岸するのを補助したり、動力を持たない作業船を移動させたり、河川、運河で艀(はしけ)などを動かすほか、水先人の乗下船補助などもおこなう。また、マストの天辺に消火銃を備え、海上火災の消火活動にあたったり、座礁船やエンジントラブルを起こした船の救助をおこなうこともある。
 サイズはさまざまで、港湾で使われる数十トン級の小型のハーバータグから、外洋で海難救助などの作業に従事する数千トン級の大型のオーシャンタグまで幅広い。
 他船や構造物を動かすのに使われるため、通常の同サイズの船よりも強力なエンジンを搭載している
 船舶を牽引する場合には、タグラインと呼ばれるロープをかけて引っぱる。押船する場合には、タグボートの前面(フェンダー)に装備された緩衝材を介して、船体どうしを接触させて力を伝える。緩衝材には航空機の古タイヤなどが用いられる。
 港湾内などで使われるタグボートの場合、小さな船体に機動性が求められるため、スクリューには特殊な構造が用いられ、舵の機能を持たせたものが多い。

[取材協力]東京汽船株式会社

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