巨匠が愛した海辺の風景 |
小津がリメイク作品である『浮草』のロケ地に大王町を選んだのは、自身の青春時代の思い出に対する憧憬があったからかもしれない。小津は東京に生まれたが、9歳の時、父の故郷である三重県松坂へ移り、以後、浪人時期や映画界に入る前の代用教員時代などを三重県で過ごした。その後、日本映画界の名監督として活躍した小津が、生涯でただ一度、三重県でロケを行った作品が『浮草』であった。
この地での撮影は、同年8月19〜28日まで、真夏の炎天下のなかで行われた。小津の日記には、「八月十九日(水) 波切に十時につく 小憩ののち ロケハン 夜盆踊りを見にゆく 竜王閣泊」、「八月二十日(木) ロケハン 志島 甲賀 波切を見る 夜 地元有力者と会食打合わせをする 本隊この日 東京発」などと、当時の撮影の様子が記されている。撮影時、小津は大王町を「東洋のニース」「東海の尾道」と称した。とくに前者は地元の人々や小津ファンのあいだでよく知られている。
波切は石工の町としても知られている。現在は採取されないが、玄武岩のような硬い良質の「波切石」と呼ばれる石材を産した。この石を利用して町が作られたため、町並みは個性的な魅力を持っている。あくせくとした都会での生活にはない、心和ませる町の風情が、巨匠をして感慨に浸らしめたのであろう。
映画では冒頭、旅芸人の一座が海辺の町を訪れるシーンで印象的に使われる漁港の灯台をはじめ、長野町の坂道、波切漁港などが、抒情あふれる物語の背景になっている。なかでも伝三坂のある天満地域は、特に小津が好んだ場所であったという。
波切へは まだもう一里
道の辺の 石の地蔵に
秋立つらしも
こんな歌を日記に記した、小津安二郎が愛した志摩の風景は、いまも変わらずにある。 |
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石壁や石畳が独特の景観を形づくる |
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趣深い風情の家屋が建ち並ぶ大王町の町並み |
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