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舞鶴湾は、若狭湾西部の起伏に富んだリアス式の湾入部に位置する

岸壁の母 Ganpeki no Haha
作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜、台詞:室町京之助、歌:菊池章子、二葉百合子。1954(昭和29)年、テイチクレコードから発売され、100万枚を超える大ヒットとなる。1972(昭和47)年にはキングレコードから再発売。歌詞の合間に室町京之助作の台詞を加えたものを二葉百合子が歌い、300万枚を超える更なる大ヒットとなった。なお端野いせは、当初、この歌のモデルが自分のことだとは知らなかったという。このため作詞をした藤田が彼女を見つけ出し、連絡をとった上で、レコードと蓄音機を贈ったというエピソードが残されている。

いまは遠い引揚船の面影
 本州のほぼ中央、海岸線が入り組み、湖のような静かな海面が広がる京都府の舞鶴港は、古くから天然の良港として利用されてきた。水深は平均でおよそ20m、湾の出入り口は約700mと狭隘である。このため湾内はたいへんに穏やかであり、最大で30cmという干満差、さらに周囲を取り囲む海抜400mほどの山なみのおかげで、風も少ない。こうした港としての好立地から、舞鶴港は漁業はもとより、海運の拠点として、また海洋国家日本の国防の要として発展してきた。
 舞鶴の東港には1901(明治34)年に海軍鎮守府が置かれ、軍港となった。その後、日露戦争の際には数多くの軍艦がこの港から出航、現在も海上自衛隊の第3護衛隊群や舞鶴地方隊が置かれ、日本海側の防衛の拠点となっている。
 こうした軍港としての舞鶴の歴史のなかで、特に悲哀を帯びた色を見せるのが、太平洋戦争終了後、引揚船の到着地となったことである。敗戦後、1950(昭和25)年から1958(昭和33)年までの9年間、大陸や当時のソ連領・シベリアから帰国する人々を満載した引揚船が、この舞鶴に入港している。船が入港するたびに、全国各地から夫や子供を出迎える人々が集まってきたが、出迎えの人々に混じって、毎回、港にたたずむ人々もいた。帰国の知らせや消息も分からない、帰らぬ肉親を探して、藁をもすがる思いで、舞鶴の港に足を運んできた人々である。

2度の大ヒットで「昭和」の歴史に
 1954(昭和29)年、こうしたいつ帰るかもわからぬ肉親を迎えに、引揚船の入港の度に舞鶴を訪れる人々のなか、涙を浮かべていた1人の女性にNHKラジオの記者がインタビューを行い、その内容が放送された。女性の名は端野いせという。いせの息子・新二は1944(昭和19)年、当時の満州で軍に入隊。その後、中国の牡丹江で行方不明となっていた。いせは、新二の生存と帰国を信じて、引揚船の入港のたびに舞鶴にやってきていたのである。
 このエピソードを聞いた、作詞家・藤田まさとは大きな衝撃を受け、一連の詩を書き上げた。これが後に、国民的な大ヒットとなる名曲『岸壁の母』となる。藤田の詩には、作曲家・平川浪竜が曲をつけ、歌は大映の「母もの」映画の主題歌で人気を博していた菊池章子が担当、100万枚以上の売り上げを記録する大ヒットとなった。さらに、歌詞の合間に台詞を入れた二葉百合子版の『岸壁の母』が1972(昭和47)年に発売され、こちらは300万枚を超える、更なる大ヒットとなる。4年後には女優の中村玉緒主演で映画化もされ、『岸壁の母』は、単なるヒット歌謡から、昭和の歴史となった。

青年の志と母の想い
 大陸から舞鶴への引き揚げは、初入港から9年後に終わった。そして端野いせの息子・新二は、ついにこの港に帰ってくることはなかった。それでもいせは、息子の生存と帰国を信じつつ、1981(昭和56)年7月1日、81歳で亡くなった。
 ところが、いせの死から19年後の2000(平成12)年、京都新聞が端野新二の生存を報道、中国政府発行の端野新二名の身分証明を確認し、いちやくスクープとなった。新二は終戦前にソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留された。さらに満州に移された後は、当時の中国共産党・八路軍に従軍。中華人民共和国の成立後は、上海でレントゲン技師として暮らし、家族ももうけていたという。新二自身、日本で母親のいせが、自分の帰りを待っていたことは知っていたという。しかし自身の生存を知らせることも、帰国することもしなかった。その理由については、さまざまな推測や憶測が流れたが、はっきりしたことは分かっていない。
 終戦後、多くの兵士や在留邦人が国外から日本に引き揚げてくる一方で、若き兵士や将校たちの中には、「アジアの自立」という信念のもと、中国やベトナム、インドネシアなど途上国の独立のため、あえて帰国せずに現地の人々と共に戦い続けた者も少なくはない。新二もそうした、「昭和の青年」の一人であったのだろうか。また、いせと同様に、帰らぬ肉親の帰国を待ち続けた家族も無数にいたことも、忘れてはならない。
 現在、舞鶴港にほど近い引揚記念公園の一角には、「異国の丘・岸壁の母の歌碑」があり、今も全国から訪れる人が後を絶たないという。

 
引揚船と出迎えの家族縁者たち
(昭和33年撮影/
 毎日フォトバンク提供)
 
舞鶴引揚記念館
 
異国の丘・岸壁の母の歌碑
 

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