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小豆島の寒霞渓から瀬戸内海を望む

壺井栄 Tsuboi Sakae
1899(明治32)年香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)生まれ。郵便局や役場などに勤めながら文学書に親しむ。1925(大正14)年に上京、同郷の詩人壺井繁治と結婚。夫と共に作品を書き始める。第一作品集「暦」が第4回新潮文芸賞。「母のない子と子のない母と」が第2回芸術選奨文部大臣賞ほか受賞多数。代表作「二十四の瞳」は映画化され、壺井栄ブームと小豆島人気を呼んだ。1967(昭和42)年没。

オリーブの島を襲った「戦災」
 瀬戸内海の島々のうち、淡路島に次いで大きい小豆島は、日本を代表するオリーブの産地だ。明治時代、農商務省がイワシやマグロの油漬け加工に必要なオリーブ油を国内自給するために、香川県(小豆島)と三重県、鹿児島県の3ヵ所に試作を依頼。結果、気候風土の適した小豆島だけが栽培に成功したのが始まりだという。
 「気候風土が南欧的だといわれる瀬戸内海の小豆島、そうしてオリーブのかおる地中海沿岸の風光をそのままに移したように、入り海をかこんだ村々のいたるところに、オリーブのやわらかな葉色がしずかな風にゆれています。六月ともなれば、しずんだみどりの葉の色はつやをまして、葉かげにむらがりさいた小さな白い花の、モクセイを思わせるほのかなにおいは、水気をふくんだ空気の中に流れて、人のきもちをなごやかにするのでした。」
 これは、小豆島出身の作家・壺井栄の児童向け作品「オリーブに吹く風」の一節である。25歳で上京するまでこの島に暮らした者の実感が込もったきめ細かな描写で、静かに凪いだ瀬戸内海を思い合わせればまるで楽園のようなイメージを結ぶ。
 壺井の代表作「二十四の瞳」の舞台も小豆島である。この作品のテーマは戦争批判だが、憎しみを激しく煽ることなく、静かな悲しみと切なさを読者の胸に染み渡らせる。それは、空襲などの攻撃による被害こそなくても、男たちが兵に徴られ家族が残されることで、穏やかな島の暮らしがたちまち崩れ去る「戦災」が描かれていることによる。

のどかな島、人々の悲しい運命
 物語は1928(昭和3)年、岬の分教場に女性教師が赴任するところから始まる。担任する学級は小学校1年生、12人の子供たちである。まだあどけない生徒たちは教師になつき、教師も生徒一人ひとりを心から可愛がる。
 教師はまもなく対岸の本校への着任が決まり、わずかな期間ながら心を通わせあった生徒たちと別れることとなる。6年生になった生徒たちは本校へ通うようになり教師と再会を果たすが、5年の歳月のあいだに世情には戦争の暗い影が迫り、生徒のなかにも家庭の事情で奉公に出される者があった。教師は、生徒の将来の相談に乗るなかで、戦争で命を失わないでほしいと願うも、やがて太平洋戦争が開戦。男子生徒たち、そして教師の夫も兵に徴られる。1945(昭和20)年8月15日終戦。教え子のなかにも戦死者が出、教師の夫も帰らぬ人となった。
 翌年、再び教壇に立った教師の復帰を祝い、同窓会が開かれる。命を落とし出席できない者、大きな傷を負った者……。
 物語のなかに描かれる島の暮らしはのどかで、子どもたちの会話は方言のユーモラスさも相俟って微笑ましい。教師と生徒たちの別れや再会の場面には、小豆島の南側の草壁港と岬をつなぐ連絡船が登場する。岸を離れ、また岸に近づく船のゆっくりとした動きに、登場人物たちは思いを深める。静かな時間の経過のなかで、人間の運命だけが戦争に翻弄されていくため、悲しみがいっそう強く迫るのである。
 この作品は1952(昭和27)年、キリスト教系の雑誌に連載されたのち、単行本として刊行された。連載中はあまり注目されなかったが、単行本となり、さらに2年後に映画化されると空前のヒットとなった。海外でも小説の翻訳版が出版されている。
 1987(平成元)年に映画化されたときのロケセットが小豆島に残されており「二十四の瞳映画村」として島を訪れる年間20万人の観光客のお目当てになっている。
 
小豆島「二十四の瞳映画村」には、いまもなお大勢の壺井ファンが足を運ぶ
 
分教場やボンネットバスなど、映画のロケがそのまま残されている
 

[参考資料]小豆島観光協会/二十四の瞳映画村

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