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[アクセス] 市電・市バス「水前寺公園前」下車徒歩5分 

名君への想いが園を蘇らせた
 市の中央に高々とそびえる熊本城は、城下町として栄えた歴史をいまに伝える。市民にとっては郷土の誇りとでも呼ぶべき名跡である。
 また、熊本市は古くから「水の都」と呼ばれる、水に恵まれた街である。人口70万人規模の都市で、上水道に使う水のすべてを地下水でまかなっている街は全国でも少ない。白川や緑川などの代表的な河川をはじめ、市内には多くの「水の財産」がある。
 なかでも観光名所として、また市民の憩いの場として親しまれているのが、国の文化財に指定されている水前寺成趣園(じょうじゅえん)(水前寺公園)だ。肥後国熊本藩主初代細川忠利がこの地の豊富な湧き水に着想を得て、1636(寛永13)年頃から築いた「水前寺御茶屋」が、この公園の始まりである。第三代藩主の綱利のときに泉水や築山などがつくられ、現在のような庭園となった。
 1632(寛永9)年から明治維新までの約240年間にわたり藩を治めた細川氏は、行政や産業・学問の振興など、幅広い分野にわたって手腕を振るい、名君の呼び声が高い。水前寺成趣園は、明治時代に官有となったが、中心となる御茶屋「酔月亭」は1877(明治10年)の西南戦争で消失し、泉水や築山なども荒廃した。これを憂慮した有志が払い下げを要望し、翌年に細川藩主を祀る出水神社が園内に創設され、庭園は出水神社の社地として払い下げられた。細川氏に対する市民の崇敬が、水前寺成趣園に再興の道を開いたのである。
 
初代熊本藩主の細川忠利は、戦国時代には武勇に秀でていたが、江戸時代に藩をまかされると行政に長け、名君とあがめられた。
熊本城は2007(平成19)年、築城400周年を迎えた
「古今伝授の間」は京都御所内にあった由緒ある建築物で、大正元年この地に移された

伝統ある景観と行事
 約73,000m2の庭園は桃山式池泉回遊庭園で、阿蘇の湧水で作られた池を中心に、東海道五十三次を模したつくりで、築山、浮石、松の木が巧みに配されている。江戸末期の「水前寺庭中之図」に描かれた風景が現在もそのままに残っている。
 毎年4月と10月に出水神社の奉納行事として開かれる流鏑馬(やぶさめ)は、約150mの距離を射手が疾走する馬に跨り、標的に向かって3本の矢を放つ勇壮な技を披露。また、8月の第一土曜日には神事として薪御能(たきぎのう)が開かれ、当地の夏の風物詩となっている。景観、行事ともに古式ゆかしい水の都の伝統が体感できるスポットだ。
 
夏の夕闇のなか、かがり火に照らされる薪御能
出水神社へは池にかけられた橋を渡って参詣する
「神水 長寿の水」は阿蘇火山系の伏流から湧き出る硬水

めしあがれ
馬刺し
馬刺しは、熊本城を築いた加藤清正によって広められたという。馬の脂身は融点が低く、人肌の温度でも溶けるため、霜降り肉でも刺身でおいしく食べられる。ショウガやニンニク、ネギなどを薬味に醤油で食べるのが一般的で、熊本では寿司にして食べることも。
からし蓮根
味噌と粉辛子と蜂蜜でつくった辛子味噌を蓮根に詰め、小麦粉とウコンと水を混ぜ合わせた揚げ衣をまんべんなくつけて中温の油で揚げる。口にすると辛子の刺激がツーンと鼻を抜ける。ご飯のおかずにもよいが、熊本名産の球磨焼酎との相性が抜群だ。

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