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土佐日記「那波泊(なはのとまり)」記念碑

東西交通の要衝の歴史
 「けふはこのなはのとまりにとまりぬ」〈今日はこの那波の泊に泊りぬ〉。935(承平5)年頃に書かれたといわれる日本最古の仮名日記「土佐日記」に、作者の紀貫之が記した一節である。彼は三十六歌仙のひとりにして国司でもあり、土佐守に任命された。任期を終えて帰京する途中、奈半利で2泊したときの描写である。
 奈半利町から野根山山系の尾根づたいに東洋町へと抜けるおよそ35kmのルート、野根山街道は約1300年前に官道として開かれたといわれる。国司や流人の移動、調庸物搬出の道として、時代を下ると参勤交代にも利用された。奈半利は古くから東西交通の要衝として、時代ごとに大きな役割を担ってきたのだ。
 
登録有形文化財の町を歩く
 近代港湾として整備された奈半利港や真新しい奈半利の駅舎、隣接するショッピングセンター、車が盛んに行き交う国道55号など、奈半利の玄関口に当たるエリアの姿からは、町の歴史の面影をうかがうことはできない。しかし、ほんの数歩、路地へと足を踏み入れれば、往時を偲ばせるものに出会える。迷路のように入り組んだ住宅街のなかに点在する古民家の数々である。観光目的で整えられたのではなく、地域住民の生活の拠点として残されたもので、そのまま住宅や商店などに利用されているのだ。
 消石灰に発酵させた藁を混ぜて作られる「土佐漆喰」、外壁を雨水から守るための「水切り瓦」、建物の狭いほうの壁面(妻)に入口を設ける「妻入り」、石や使用済みの瓦を積んで固めた塀など、江戸から明治、大正にかけての建築様式を目の当たりにできる。
 先にも述べたとおり、奈半利の古民家は、生活の場として利用されてきたもので、町の人々にとってはごく当たり前にしか過ぎなかったのだが、大学の研究者をはじめとして、町に対し貴重なものゆえ保存すべきと働きかけてきた。そして、2000(平成12)年、奈半利町内の8ヵ所26件が登録有形文化財に指定され、現在は12ヵ所39件に増えている。
 
野根山街道の入口を示す「高札場」。江戸時代には、藩が住民に情報を知らせる掲示板として使われていた。
路地へ歩を進めると時間をさかのぼるような気分に
漆喰や瓦、石の塀などが特徴的
明治〜大正のモダニズムを感じさせるレンガアーチ
奈半利川を渡れば、幕末の勤王派二十三士殉死の地に公園が整備されている
めしあがれ
金目鯛
高知県沖の太平洋は、魚にとっての栄養分が豊富な黒潮が流れ、カツオやマグロなどの漁場として知られる。季節によって旬はさまざまだが、奈半利では金目鯛が特産。煮付けが定番だが、刺身も甘みがあり脂ものっていると好評だ。
イチジク製品
他ではなかなかお目にかかれない、人気のお土産品。イチジクで作ったワイン、ジャム、アイスクリームなど、奈半利駅1階の観光物産館「無花果」で買い求めることができる。

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